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寂寞の首塚  作者: 三峰三郎
8/8

寂寞の首塚 完

「この女をわしのものとしたい。志賀城陥落の戦功と引き換えにもらい受けてもよろしいか」


 依奈の腕は、男に握られたままだった。

 

 その男は燃え盛る天守から依奈を連れ出し、そのまま麓の本陣がある幔幕内の床几に座る武田晴信の前まで来ると、片膝をつきながら言った。


「その女子は何者じゃ」


 諏訪法性兜をかぶった二十ばかりに見える若い大将は、その男に尋ねた。


「志賀城天守の最上階において笠原清繁と共に自害しようとしていたところを捕らえました。おそらくは奥方にございましょう」


「よかろう。小山田出羽守。小田井原の戦においては、そちの家臣が我が軍の勝利に貢献してくれたと聞き及ぶ。それに志賀城においてもお主の働きぶりには目を見張るものがあった。その女子は褒美としてくれてやろう」


 こうして依奈は小山田出羽守信有の妾となり、小山田領である甲斐の都留郡駒橋にて後半生を過ごすこととなった。

 

 依奈はその後、どのような思いで日々を送ったかは想像するほかないが、江戸時代に編纂された「甲斐国志古跡部」には次のように書き記されている。


「小山田出羽守妾婦宅跡(中略)土人傳言古ヘサリヌヘキ女房此地ニ住テ朝夕イト物カナシク涙カチニクラシタルトソ何人タルコトヲ知リサリキ今此地ヲ御所ト称ス」


 また、


「人ノ童謡ニ岩殿山でことをひくひくはとのうたふは殿の御めかけ此謡ハ蓋志賀城ノ妻ヲ取テ羽州ノ妾トナシ其色ニ淫スルコトヲソシル謡ナルヘシ」


 とも記される。


 天文十六年(1547)八月十一日、志賀城は陥落した。

 笠原清繁、高田憲頼ら志賀城に籠っていた兵、三百余人がこの戦で戦死したという。


 武田軍は籠城していた多くの男女を生け捕りにし、親類あるものは二貫文から十貫文の身代金と交換させ、身寄りのない者は甲斐へ連行し人身売買した。金山で働かせたともいわれている。

 これは、上杉兵を洗い出したかったのではなかったか。信濃に親類ある者はもとの地で農業に従事させ、親類なきもの、つまり上杉兵は甲斐本国で使役したのではなかったか。


 志賀城落城の翌年二月、信濃最大勢力を誇る村上義清は、武田晴信に初の黒星をつけることに成功する。

 しかし、その六年後には、武田軍により村上義清も信濃から追い出されることとなる。

 そして、関東管領を引き継いだ越後の上杉謙信と武田晴信との戦である、川中島の戦いへと歴史は進んでいくのである、


 全てを奪われた清繁の首塚が、麓にある私有地の田んぼの真中で、志賀城の惨状を忘れるなと今なお訴え続けている。


      完

 

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