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寂寞の首塚  作者: 三峰三郎
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寂寞の首塚 5

「依奈は、いかに思う」


 太陽が八ヶ岳の向こうへと沈む刻限、麓の屋敷へ戻った清繁は、妻と二人で夕膳を囲っていた。

 依奈に昼間の人夫とのやり取りを聞かせたのである。

 清繁は続けた。


「確かに内山城では、降伏した城主と最後まで籠城した兵たちの命までは、武田は奪っておらぬ。しかし、この城は、違う」


 上杉からの兵がすでに入城しているというところが内山城とは違う、というのである。


 武田家と上杉家の関係は微妙なものであった。


 昨年(1546)四月二十日、河越夜戦と呼ばれる武蔵国北東部にある河越城を巡る戦が、北条氏康と山内上杉憲政、扇谷上杉朝実との間で起きている。

 河越城には北条氏康の家臣、北条綱成が立て籠っており、半年もの間、八万ともいわれる両上杉家の軍勢からその城を守っていた。

 四月二十日の夜、今川義元との戦を切り上げた北条氏康は、河越城救援のため敵陣へ夜襲を掛けた。これが成功し、両上杉家の軍勢は多くの死傷者を出しながら、本国上野へと敗走した。このとき、扇谷上杉家の当主、上杉朝定は討死したといわれている。

 これ以降、上杉家は衰退の一途を辿ることとなるのだが、志賀城救援の軍を信濃に送ることができるほどには、まだその勢力を維持し続けていた。

 

 甲斐の国主が武田信虎の代、武田家と上杉家とは同盟関係にあった。

 しかし、当主が武田晴信となると、晴信は信濃侵攻に集中できるよう、北条家と今川家との協力関係を築こうとする。

 今川義元とは父の代から同盟が続いていたが、今川家と対立していた北条氏康との関係は、悪かった。

 しかし、天文十四年(1545)今川義元と北条氏康との間で起きた戦の仲介を武田晴信が取り持つと、それ以降、武田家と北条家との関係は改善され、上伊那郡侵攻の際には今川、北条両軍が援軍として参加するまでに良好なものとなっていた。


 北条氏康と上杉憲政は関東を巡って敵対しており、おのずと武田晴信は上杉憲政と敵対することとなるのだが、志賀城攻め以前においてはまだ、断交まではしていなかった。

 上杉家の家臣が入城している志賀城を攻めるということは、武田家と上杉家が表立って対立することを意味した。


 このような事情から清繁は、この城は違う、と言ったのである。


「この城が落ちると決まったわけではございませんでしょう。北条に一度負けたとはいえ、関東管領様がお味方してくださいますもの。それに、その人夫の言うように清繁様のお命まで危険にさらされるとは、私も思いませぬ」


 これまで静かに清繁の話を聞いていた依奈は、ゆっくりと箸を置いてから言った。


「己の命なぞどうでもよいのじゃ。この地の民を失いたくないだけなのだ。この城が戦火で焼き尽くされる前に、わしは武田に降ってもよいと考えておる。ただ、あの風景から農家や田園、それを営む民が消えてほしくないだけなのだ」


「投降の御意思があることを父に知られてはなりませぬよ」


 依奈は目を尖らせた後、少し間を空けてこう付け足した。


「それと、清繁様のお命はどうでもいいものではございませぬ。少なくとも私にとっては。私はただ、あの風景を愛おしむあなた様の傍にいたいだけということを、どうかお忘れ下さいませぬよう」


 清繁はじっと依奈を見つめていたが、急に照れ臭くなり、再び膳に箸をつけ始めた。

 温かい穏やかな心地になったと同時に、胃を徐々に締め付けられるような苦しい感覚にもなった。


「依奈、そなたがもし上杉家の者でなければ、いまごろそなたを連れてここを抜け出していたやもしれぬ」


 清繁はぽつりとそう言うと、箸の先で掴んだ物を口に運び、それをじっくりと味わった。



 

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