寂寞の首塚 2
上座に掛けた清繁の前に、五十ほどにみえる小男が両手をついて頭を下げている。
顔を上げた男の風貌の異様さに、一瞬、清重の表情が固まった。
片目はただれた皮膚に覆われ、もう片方は見た者を威圧するほどの眼力が秘められていた。座った格好もどことなく不自然で、どうも跛らしかった。
武田の使者の両脇には、清繁の家臣がずらりと居並んでいる。
家臣といってもそのほとんどがここ最近になって志賀城にやってきた者ばかりであった。上野出身の者がその半数を占め、残りの半数はこれまで武田に侵略された信濃各地から落ち延びてきた者が占めていた。
「天文十年(1541)に家督をお継ぎになられた甲斐の御屋形様は、ご存じの通りその翌年には諏訪地方を平定。さらに昨年五月、この地の川を挟んで向かいにある内山城を降しております。我ら武田の勢いはとどまるところを知らず、信濃全土を制圧するのも時間の問題かと存じまする。我々といたしましても無益な戦はしとうございませぬ。どうか早々に武田の軍門に降っていただきたい」
隻眼の男の発する地を這うような低い声には腹の底にまで響く迫力が籠っていた。清繁はじめ、その場にいる者は皆、息を呑みながら男の話に耳を傾けていた。
しかし、ここにいる誰もが武田に屈する気など微塵も持ち合わせていないことを、清繁は知っていた。
「天文十年といえば、関東管領であられる上杉憲政様と諏訪頼重殿が佐久地域を巡って争った年ですなあ。その戦以来、ここ志賀城は関東管領様の庇護を受けております。武田家は甲斐一国の守護に過ぎぬではありませぬか。官職の位を上げてから出直していただきたい。さすれば、武田の傘下に入ることを考えぬでもない」
関東管領職とは、もともと幕府が設置した鎌倉公方の補佐役であり、いわば関東一円を支配するナンバー2といえた。しかし、乱世となり関東管領など名ばかりになっていることは、清繁も重々承知している。上野から救援のために来た上杉家臣がいる手前、清繁は威勢を張るしかしようがなかったのである。
「その関東管領である上杉憲政殿は昨年の四月、武蔵野国の河越城を巡る戦で北条氏康殿に大敗を喫しておりまする。上杉家の勢力が今後衰退していくのは、火を見るよりも明らか。ここは信濃国でございますぞ。我ら武田家と戦をし、犠牲となるは上野の民ではござらん。そのこと、しかとお考え直し下され」
跛の男は言い終わると、両脇の者どもに一瞥をくれた。




