表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

BL

春になる前の場所

作者: 相沢ごはん

pixivにも同様の文章を投稿しております。


(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)

「あの、俺、和田のことが好きだ。俺と……俺と付き合って……ほしい……」

 消え入りそうな語尾で滝川が言い、かわいくラッピングされた小さな箱を俺のほうに両手で差し出した。滝川の発した言葉の意味はわかるものの、それを処理できずに、俺の脳内ではクエスチョンマークが次々に生まれている。

 放課後、教室でコートを着込み帰り仕度をしていると、「和田、ちょっときて」と滝川に言われ、戸惑いながら連れて行かれた先は、屋上の扉の前だった。階段をいちばん上までのぼった先の、行き止まりのその場所は、ちょっと秘密基地みたいな雰囲気で、内緒の話をするのにちょうどいい。二月に入り、三年生は自由登校となっているため、俺は滝川が学校にきていたことにも驚いた。ふと下の踊り場のほう目をやると、滝川の友だち二人がにやにやしながらこちらの様子をうかがっていた。そこで、脳内を埋めていたクエスチョンマークが少しずつ溶けるように消えていく。これはなにかの罰ゲームなのかもしれない。そうだ、そういえば今日は二月十四日、バレンタインデーだ。こんなベタな日に告白なんて、罰ゲーム以外にないだろう。きっと滝川は仲間内でのなにかしらの賭けや勝負事に負けたのだ。そもそも、なんの取柄もなく顔もいいとは言えない、よく言えば無味無臭な俺なんかを滝川が好きになるはずがないのだ。こんな状況、罰ゲームでなければ生じ得ない。そこまで考えて、俺はやっとこの状況を飲み込むことができた。

 目の前の滝川が、不安そうな表情で俺を見た。その手が震えている。俺がいつまでも差し出された小箱を受け取らないからかもしれない。俺は再び急いで考える。幸か不幸か、俺は高一のころから滝川のことをずっと好きだった。しかし、それは自分のなかだけの問題なので気持ちを伝えるつもりもなかったし、なにも望んでいなかった。このまま高校を卒業して離ればなれになることも、残念だけど仕方のないことだと諦めていた。なので、お互い大学受験も無事に終わり、もうすぐ卒業というこんな時期にこんなイベントが待っているなんて思いもしなかった。

「ありがとう」

 俺は、おそるおそる滝川の手から小箱を受け取る。そして、このイベントに乗るべきか乗らざるべきか、考えて出した答えを口にする。

「俺も、滝川のことが好きです。是非よろしくお願いします」

 その瞬間、滝川の顔全体にみるみる笑みがひろがり、

「よっし!」

 両手で拳を握り、ガッツポーズを取った。俺の返事はどうやら正解だったらしい。嘘偽りのない本音の言葉ではあったのだが、滝川たちにとっての正解かどうかはさすがにわからなかった。踊り場で俺たちの様子を見ていた滝川の友だちもにやにやしながらひやかしの口笛を吹たりしている。罰ゲームなら、普通に断ったほうがいいのかもしれない、と思いつつも滝川の告白を受け入れたのは、俺が欲望に勝てなかったからだ。罰ゲームとはいえ、この告白を受けたら、もしかすると滝川との交際を疑似体験できるかもしれないということに、俺は思いあたったのだ。

「じゃあさ、じゃあさ、さっそく今日いっしょに帰らない?」

 滝川が興奮冷めやらぬ様子で言った。

「うん」

 俺は頷き、

「あの。これは、もしかしてチョコレート?」

 気になっていた小箱のことを尋ねる。

「うん、本命」

 滝川は照れたようにもじもじしながら古風なことを言う。

「ありがとう。でも、俺はなにも用意してないや。ごめん」

「そんなの、全然。俺が急に言ったんだし。それに、オーケーしてくれただけでも……好きって言ってくれただけでもうれしいし……」

 滝川は本気のトーンでそんなことを言った。

「そ、そっか」

 この罰ゲームは結構本格的だぞ、と覚悟を決めながら、俺は相槌を打つ。

「あ、でも、来年はほしいかも。和田のチョコレート」

「来年?」

「和田、東京の大学行くだろ?」

「うん」

 そういえば、冬休みが明けたころにどこの大学へ進学するのか聞かれたな、などと思いながら俺は頷く。

「俺も東京だからさ、あっち行ってもしょっちゅう会えるよ。やったな」

「うん」

 滝川がなんだか壮大なことを言っているように錯覚して、頭がくらくらする。ちなみに、東京の大学と一口に言っても俺の受かったそこそこの大学とはちがい、滝川の行く予定の大学はかなり偏差値が高い。なのでクラス内でも話題に上がっていたため、滝川の進学先は、クラス全員が知っている。

「おまえらも、もう帰れよー」

 踊り場の友だちに向かって滝川が声をかけ、

「あ、なんかごめん。あいつらおもしろがってくっついてきてさ。俺がフラれたら笑うつもりだったんだ、絶対」

 俺に向かっていいわけみたいにそう言った。そして、

「俺らも行こ」

 滝川は俺の空いているほうの手を取った。滝川の手は冷え切っていて、俺の手も冷たかった。俺は滝川に手を握られて階段を下りながら、普通に感動していた。俺の無味無臭の高校生活の最後に、こんなにうれしいことがあるなんて思いもしなかった。俺は、滝川にもらったチョコレートの小箱をそっとコートのポケットに仕舞う。

 そのあと、滝川とは駅までいっしょに帰ったのだが、帰り道のことはよく覚えていない。この状況を受け入れたといっても、やはり普通に混乱していたらしい。滝川が話しかけてくれて、俺がそれに答えるという、そんな感じだったとは思うが、自分がなにを話したのかおぼろげだ。ただ、夢のような時間だった。滝川とは三年間同じクラスだったので、それなりに会話をしたりはしてきたが、交際しているという体でいっしょに帰ったり会話をしたりということができるなんて思っていなかった。夢のような、でも本当に夢だ、と俺は思う。罰ゲームはいつかは終わる。

 滝川にもらったチョコレートは、家族から隠すように自室の机の引き出しに仕舞った。仕舞う前に、ひとつだけ食べた。丁寧にリボンを解き、そっと箱を開けると、それぞれ形や色のちがう、凝ったチョコレートが五つ入っていた。第一印象は、「高そう」だった。ひとつだけ食べたそれは、いままで食べたどのチョコレートよりもおいしかった。滝川にもらったものだからというより、普通においしいチョコレートなのだと思う。箱に小さくプリントされているアルファベットをスマートフォンで検索してみる。どうやら、高級チョコレートらしい。おいしいはずだ。そして、これは本当に罰ゲームなのか、という疑問も同時に湧いてきた。その疑問は、俺の期待のあらわれなのだと思う。滝川が、本当に俺のことを好きだといいのに、と俺は心のどこかで思ってしまっている。



 俺が滝川に好意を抱いたのは、高校一年生の冬のことだった。この高校には、冬休み前に生徒たちのみで学校中の大掃除をするというイベントがある。俺のグループは美術室掃除を割り当てられていた。そのグループのなかに当時も同じクラスだった滝川もいたのだ。

 俺がバケツに汲んできた水で雑巾を濡らし絞っていると、

「和田、ちょっとそれ貸して」

 そう言った滝川が自分の持っていた平箒を置き、俺の向かいにしゃがむと俺の手から雑巾を奪った。雑巾をぎゅっと絞る滝川の様子を見て、

「ありがとう、滝川」

 礼を言いつつも俺は滝川の行動を意外に思い驚いてもいた。思わず、滝川の伏せられた顔をまじまじと見てしまう。

「えっ」

 滝川が驚いたように顔を上げて俺を見た。目が合ったので、俺はもう一度、礼を言った。

「雑巾がけ、冷たいのに代わってくれたんだろ。ありがとう」

「えっ」

 滝川は俺が礼を言うのが意外だったのか、もう一度声を上げ、そして、

「うん。うん、そう。俺、雑巾やるから、おまえこれな」

 そう言って、傍らに置いていた平箒を俺に渡してくれた。それまで、俺は顔がよく明るく調子のいい滝川に身勝手な反感というか妬みを抱いていたため、滝川のその行動に驚いたのだ。軽そうに思っていたけれど滝川はとても親切で、こんなクラスで存在感のない俺なんかにもあたりまえに親切に接してくれるんだな、と思い、そのギャップに簡単に落ちてしまったのだ。どうやら俺は、ちょっとやさしくされるとすぐ好きになってしまうタイプのやばいやつだったらしい。

 滝川のことを気にし始めて気づいたのだが、滝川は勉強もできた。すっかり恋に落ちてしまっていた俺は、そんな滝川のことをかっこいいと思い、勝手に熱視線を送っていた。だけど、自分のこの気持ちが報われることなんてないとも思っていた。滝川は、女子にモテた。一年生のころの噂では、春から冬にかけて、彼女が三人も変わっていたように思う。その後、彼女云々の噂は聞かなくなったが、滝川がモテるのは相変わらずだった。きっと俺なんかに好かれても滝川はいい気はしないだろう。もしかしたら、そんな俺だから滝川たちの罰ゲームの対象に選ばれたのかもしれない。

「チョコ、食べた?」

 教室で、俺の前の席に座った滝川が言った。ちなみにそこは滝川の席ではないが、その席の主は自由登校期間を存分に活用して登校してきていなかった。示し合わせたわけではないが、俺はなんとなく登校し、滝川も教室にいた。

「ひとつだけ食べた」

「ひとつだけ? なんで?」

「もったいないから、一日一個ずつ、大事に食べようと思って」

 そう言うと、滝川はきょとんとした表情ののち、うれしそうな笑みを浮かべた。その表情をもっと見ていたくて、

「すごくおいしかったよ」

 俺はそう続ける。

「ネットで調べて、みんながおいしいって言ってたの選んだんだ」

 よかった、と呟くように小さな声で滝川は言った。そんな滝川を見て、ホワイトデーにはなにかお返しをしよう、と俺は思う。滝川は来年のバレンタインデーの話をしていたが、それは方便だろう。とはいえ、ホワイトデーの前には卒業式がある。この罰ゲームがどんなに長引いたとしても、さすがに、卒業式後まではいっしょにはいられないと思うので、少し早く用意しておこう。

「今度の土日とかどっか行く? あ、やっぱり、やめよう。初デートは東京がいい!」

 滝川がそう言った。罰ゲームを土日も実行することはないと俺も思うので、「うん」と素直に頷く。

「あー、すっごい楽しみ」

 滝川はきらきらした笑顔を俺に向ける。あまりに眩しくて、ありがたくて、泣きそうになる。滝川の笑顔が、他の誰でもなく、俺に向けられている。こんな胸をえぐられるような幸福感を、俺はいままで知らなかった。滝川が仕掛けてきたこの罰ゲームはきっと、高校生活最後の、最高の思い出になる。そして、この罰ゲームが終わって別れのときがきたら、きっと俺はどうしようもなく寂しくなるのだろう。

「和田もさ、俺のこと好きって言ってくれたけど、いつごろから好きだった……?」

 小声で、照れくさそうに滝川が言う。駅までの道のりをいっしょに歩くことも、今日が最後のつもりで、俺は気をしっかり持って対応する。昨日の帰り道のことをあまり覚えていないのは、よくよく考えるとすごくもったいないことだ。

「あー、ええと……一年の大掃除のときに、滝川、雑巾がけ代わってくれただろ。あのときから」

 俺は普通に本当のことを答える。

「え、うそ」

 滝川が驚いたような声を上げた。滝川のその感じは、どう見ても演技には見えず、なので俺は、本当に滝川と付き合っているんじゃないかという錯覚に陥る。気をしっかり持たなくてはいけない。これは、高校生活最後の夢なのだ。

「俺も、そのとき。そのときから和田のことが気になってて……」

 そう言いかけて滝川は急に口ごもり、そして、

「あのさ、俺、和田に謝らなきゃいけないことがある」

 急に真剣なトーンで言った。滝川はとうとう、これが罰ゲームだと告げるつもりなのかもしれない。それはそうだ。こんなこと、数日にわたって続けたって仕方がない。ついに、この幸せな夢が終わってしまうのだ。そう察した俺は、覚悟を決めて「なに?」と問い返す。

「あのときさ、俺、本当は雑巾をまるめて野球するつもりだったんだ」

「え」

 予想外の言葉を聞き、俺の脳は混乱する。

「え、どういうこと?」

「俺が和田から雑巾を取ったとき、和田、ありがとうって言ったじゃん。雑巾、代わってくれてありがとうって」

「うん」

「俺、そんなつもりじゃなかったから、びっくりして。でも、和田の目には、俺が雑巾で野球をするようなやつじゃなくて、雑巾がけを代わってくれるようなやつに見えてるんだって思ったら、本当にそういう人間になりたくなった」

 だから、本当に雑巾がけしようって思って。滝川はそう言った。どうやら、俺は勘違いで恋に落ちてしまったらしい。だけど、

「でも、本当に雑巾がけを代わってくれたじゃん。だから、滝川は俺のなかではもうそういう人なんだよ」

 俺は思ったままを口にする。

「うん」

 滝川は、うれしそうに笑う。

 家に帰り着き、手を洗って制服を着替える。そして、机の引き出しからチョコレートの箱を取り出し、ふたつ目を食べた。このチョコレートがなくなるころには、きっと罰ゲームも終わっているのだろう。



 次の日、ほとんど自習のような授業が終わり、教室で滝川とふたりきりになる。もともと登校している生徒自体が少ないのだ。

「滝川の好きなお菓子ってなに?」

「急にどうしたの」

 俺の前の席、背もたれを前に、椅子に跨るように座った滝川が不思議そうに問い返す。

「ホワイトデーになにかお返ししたくて」

 俺の言葉に滝川は、

「そんなの別にいいのに」

 などと言いつつ、「じゃあ……」と、いたずらっぽく言うと、

「ちょっとこっち」

 俺の顔を自分のほうへ近づけろというような仕草をする。耳打ちでもされるのかと思い、滝川のほうへ顔を寄せると、滝川が俺の首の後ろにそっと手を添えて、ごく自然な動作で顔をさらに近づけてきた。やわらかいものが触れたのを唇に感じて、俺は驚く。すぐに解放されたが、あっけにとられて固まってしまった。

「お返し、これでいいよ」

 固まっている俺に、滝川が照れたように笑いかける。

「いくら罰ゲームだからって……これは」

 自分の顔が真っ赤になったのがわかる。滝川は、こういうことに慣れているのかもしれないが、俺は初めてだったのだ。そのため、動揺して罰ゲームのことを口にしてしまった。

「……罰ゲームって、なに?」

 さっきの笑みから一転、滝川が戸惑ったような表情で俺を見た。

「だって、これって罰ゲームだろ?」

 言ったらこの関係が終わってしまうと思って、ずっと黙っていたが、もう仕方がない。

「滝川が俺に告白してきたのって、罰ゲームだったんだろ?」

 俺は滝川に自分が罰ゲームに気づいていたことを告白する。

「なに言ってんの、どういう意味?」

「ごめん、俺、最初から気づいてたんだ」

 俺がそう伝えると、滝川はすごく悲しそうな顔をした。

「誰かが、そう言ったのか?」

 そう言われて初めて、愚かにも俺は、誰もそんなことは言っていないということに思いあたった。滝川から告白されるなんて、そんなことはありえないと思っていた。だけど、もしかして、俺が勝手に思い込んでいただけなのか。滝川の告白を、気持ちを、俺が勝手に罰ゲームだと決めつけていただけなのだろうか。

「ずっと、罰ゲームだと思ってたのか?」

 滝川が、なにかを抑え込むように言った。

「俺の気持ちは、おまえにひとつも伝わってなかったのか」

 俺は返す言葉を持たない。

「おまえが俺のことを好きだって言ったのも、うそだったの?」

 それだけは、うそじゃない。そう言いたかったが、自分のやらかしによる後ろめたさから言葉にならなかった。

「あの日から、いっしょにいた時間はなんだったんだ」

 滝川は、スクールバッグとコートを掴むと、教室を出て行ってしまった。残された俺は、未だ動けずにいた。滝川を傷つけてしまった。どうして、滝川の告白を素直に受け取らなかったのだろう。どうして滝川の気持ちを、言葉を信じなかったのだろう。俺が好きになった滝川は、そんな罰ゲームを仕掛けるような人ではなかったはずだ。それなのに。後悔したって、もう遅い。こうなったのも、自業自得だ。

 ひとりの帰り道、ここ二日間の滝川の姿を思い出す。滝川はいつも俺に笑顔を向けてくれていた。うれしそうに、照れくさそうに。眩しいくらいのそれを、俺は思い出していた。滝川は、確かに俺を好いてくれていたのだ。

 家に帰り、チョコレートをひとつ食べる。涙が出た。だけど、泣く資格はない。滝川を傷つけておいて、俺が泣くなんてありえない。



 翌日、滝川は学校にこなかった。俺は授業を早めに切り上げ、家とは別方向の電車に乗り、デパートへ向かう。デパ地下で、ホワイトデーのお返しを買おうと思ったのだ。滝川は受け取ってくれないかもしれない。学校にももう出てこないかもしれないが、さすがに卒業式には出てくるだろう。それが、最後のチャンスだ。自己満足だが、お返しを渡して、傷つけたことを謝りたかった。そして、滝川のことが好きだと、ちゃんと伝えようと思った。

 滝川がどんな菓子を好きなのか、結局聞きそびれたため、俺は悩みに悩んでマカロンを選んだ。カラフルで元気がよさそうな感じが滝川っぽいと思ったからだ。

 家に帰り、俺はマカロンの小箱を自室の机に置く。明日、滝川は学校へくるだろうか。思えば、連絡先さえ交換していなかった。俺から滝川の連絡先を聞こうとは思わなかったし、滝川は滝川で、いつでも交換できると思っていたのかもしれない。マカロンは、受け取ってもらえないかもしれない。だけど、俺はこれを持って、滝川にちゃんと自分の気持ちを伝えようと思う。

 机の引き出しからチョコレートの小箱を取り出す。ひとつをつまんで口に入れると、やっぱりとてもおいしい。残りのひとつは、滝川と話をすることができたら食べよう。俺はそう決める。



 卒業式まで学校にこないかもしれないと思っていた滝川を、次の日の朝、職員室の前であっさり見つけてしまった。

 俺の顔を見るなり、滝川は逃げるように廊下を走り出した。俺は、コートを着たままのその背中を追いかける。俺も登校してきたばかりで、スクールバッグを持ったままなので走りづらい。バッグのなかのマカロンが壊れてしまうかもしれないと一瞬思ったが、マカロンよりも滝川だ。廊下の突き当たりで階段をのぼり始めた滝川を、必死に追う。廊下や階段にいた生徒たちが、ちらほらとこちらに視線を向けてくる。滝川は結局、階段をのぼりきった先、屋上の扉の前まで逃げ、そこでやっと止まった。奇しくも、俺が告白された場所だ。

 こんなに走ったのは久しぶりのような気がする。肩で息をする俺とはちがい、滝川はけろりとした様子だ。だけど、泣きそうな表情で俺を見て、そして顔を伏せた。俺は滝川の名前を呼ぼうとして、だけど苦しくて言葉にならない。脚の力が抜けて、その場にへたり込んでぜえぜえ言っている俺の様子を見て、

「……和田、だいじょうぶ?」

 滝川が心配そうに言い、俺のとなりにしゃがむと背中をさすってくれた。ほら、滝川はこういう人なんだ。罰ゲームで告白なんて、そんなことするばずがないじゃないか。そういうことを、俺はわかっていると思っていた。だけど、いちばんわかっていなかったのは、やっぱり俺だ。

「滝川、ごめん」

 俺はやっとのことで謝罪の言葉を口にする。逃げられたら困るので、俺は俺の背中をさすってくれていた滝川の手首を掴む。

「滝川が好きだ。ずっと好きだった。うそじゃない」

 呼吸をなんとか整えながら滝川の目を見て続ける。

「俺なんかを、滝川が好いてくれるなんて信じられなかった。ありえないと思った。だから、勝手な思い込みで滝川のことを傷つけた」

 滝川は黙っている。拗ねたような表情をしてはいるが、逃げようとする様子もない。

「ごめん。ゆるしてくれなくてもいい。ただ、謝りたかった」

 滝川はなにも言わない。きっともうきらわれてしまったのだろう。それでもかまわない。今度は、俺が滝川に告白するのだ。滝川の手首を離し、俺はバッグからマカロンの入った箱を取り出す。リボンのかかったそれを、滝川に差し出す。

「好きになってくれて、ありがとう。俺は、滝川のことが好きです」

 滝川はじっと俺の差し出した小箱を見ている。受け取ってもらえなくても仕方がないと覚悟はしていたが、やはりこわくて手が震える。ああ、滝川もあのとき、こんな気持ちだったのか。

 滝川といた時間は、すごく楽しかった。幸せなこの時間がずっと続けばいいのにと思っていた。でも、それも自分でだめにしてしまった。俺は本当に馬鹿野郎だ。

「おまえは、思い込みが激しい!」

 滝川が怒ったような口調で言う。実際、怒っているのだろう。だけど、俺の手から箱を受け取ってくれた。

「これ、なに?」

「マカロン。滝川っぽいと思って選んだ」

 急に普通のトーンになった滝川の問いに俺は応える。

「俺ってマカロンぽいんだ……」

 そう言ったのち、また急に思い出したように、

「和田は、思い込みが激しくて、自分勝手だ!」

 滝川は再び声を荒げた。

「……うん」

 そのとおりなので頷く。

「自分が言いたいことだけ言って、俺がどうしたいのか、ちゃんと考えてくれてないじゃないか」

 確かにそのとおりだった。俺は、いつも言われないと気づかない。情けない。

「ごめん」

 もう一度、謝る。

「そうだね。滝川のしたいようにして」

 俺は言い、

「俺はなにされてもいいよ。殴ってくれても、全然いいよ」

 殺されたっていい、くらいの気持ちでそう続けた。その瞬間、滝川に肩を強く抱き寄せられ、キスをされる。半開きの口から滝川の舌が当然のようにぬるりと侵入してきて驚いたが、俺はじっと動かずにそれを受け止める。だんだん変な気分になってきて、身体の力が抜けそうになる。そんなことを考えている場合ではないのに、俺は思ってしまう。滝川のキスは、なんだかエロい。

「和田。もう一度、ちゃんと俺と付き合ってほしい」

 唇を離して、滝川が言った。

「最初から、やりなおそう。ちゃんと俺の気持ちを素直にそのまま受け取ってよ」

 泣きそうな表情で、滝川はそれでも俺に笑顔を向けてくれる。

「好きだよ、和田」

「それじゃ、ご褒美だよ」

「だって、俺がそうしたいんだ」

 きらわれても仕方のないことをした。だけど、滝川はそれでも俺を好きだと言ってくれる。まだ信じられない。信じられないけれど、信じようと思う。

 滝川にもらったチョコレートは、まだひとつだけ残っている。それを食べ終わっても、まだ滝川といっしょにいられる。それがうれしくて、夢みたいで、だけど再びキスをされて、そのキスがやっぱりエロくて、俺は我慢できなくなって、小さく身を捩ってして滝川から顔を離す。

「なんで? キスだめ?」

 滝川が少し寂しそうに言うので、

「だめじゃないけど、だって、滝川のキス、エロいんだもん」

 俺は正直にそう言った。

「俺、キス自体、初めてだったのに、急にこんな……なんか、やっぱ、だめ。だめだと思う」

 たどたどしい俺の言葉を聞いた滝川は、んっふふ、と、くぐもったような変な笑い声をもらし、

「ねえ、今日、授業サボろ。どうせ自習みたいなもんだし」

 滝川は言い、もう一度、俺にキスをする。俺は、性欲に脳を支配されないように、がんばって耐える。そうしないと、脳味噌がすっかり溶けてしまって、本当にされるがままになってしまう。そう訴えると、

「それのなにがいけないの? なにされてもいいんだろ?」

 滝川は言い、俺は返す言葉もない。

「うそだよ」

 滝川は眩しい笑顔で俺を見つめて言った。

「もったいないから、少しずつ大事に食べるね」

 それが、マカロンのことなのか別のなにかのことなのか、俺はもう考えられない。



ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ