太夫
勝麟太郎を二条御所に案内した後、私はある女性と出会っていた。
確か夕暮れ時だった気がする。京の夕日はとても綺麗で、じめじめした気候が苦手な私でも好ましいと思えた。
二条御所からやや離れたところにある祇園に寄ったのは、そこの女郎屋の主人に薬を渡すためだった。うっかり量を少なめに包んでしまったのだった。気づいたのは今朝のことで勝麟太郎が来るかもしれなかったのでこんな時間になってしまった。
「いらっしゃい……一見さんでございますか?」
女郎屋である弁天屋の中に入ると遣り手婆がにこやかな笑みを浮かべて寄ってきた。
いや違う。私はここの主人に薬を届けに来たのだ。
「薬、でございますか? ……もしや医師の才谷先生ですか?」
おお、知っているのなら話が早い。これを渡してくれ。
「わざわざありがとうございますなあ。今、大旦那様を呼びますので、少しお待ちいただけますか」
私の返事を待たず、年の割に俊敏な動きで二階へと上がっていく。
ただ渡すだけなのだから会わずとも良いのだが……
「ああ。才谷先生。すみません……この間、薬いただいたと思いましたが」
出てきたのはでっぷりと太った弁天屋の主人だった。
見るからに不摂生なので薬の量も多い。
私は頭を下げて、申し訳ない。薬を少なく渡してしまったと謝った。
「そうなのですか? いや、気づきまへんで」
私の過ちだ。次回の診療代は無料で請け負う。
「いえいえ。いつも先生にはお世話になっておりますさかい、気にせんといてください」
それでは申し訳が立たん。
「うーん……ではこうしましょう。実は店の太夫の具合が悪くて……見てもらえませんやろか」
ああ、いいだろう……と言いたいが道具がない。診るだけになってしまう。もしも病ならば一度家に戻ってからになるがいいだろうか?
「もちろん構いません。ささ、どうか上がっておくれやす」
実を言えば女郎屋に入るのは初めてだった。
若干の緊張を覚えつつ、私は階段を上がった。広い廊下を歩いて途中に聞こえる艶やかな声に身震いして奥の間に通された。
「夕霧。お医者さんを呼んできたぞ」
主人の声に「はーい。入ってもええですよ」と女性が応じた。
がらりと戸が開く。
入って驚いた――
「あら。お若い先生やなあ」
けらけら笑う声は鈴が鳴るよう。
切れ長の目が美しく、鼻が少し高い。
薄紅色の唇が色鮮やかに映えている。
透き通るような白い肌は芸術的だった。
……文筆家ではない私が書けるのはここまでが限界だった。
言葉を尽くしても足りないくらい――美しかった。
「なんや。人の顔見て。もしかして惚れたんか?」
今度は甘ったるいくらいの笑い声。
私はハッとして、それからからかわれたことに気づいた。
武士と言うのは厄介な性格をしている。
好意を持った女性に対し素直に表現できない。
それどころか、自分の気持ちを隠そうとする。
そして今、私は小馬鹿にされたのだ。怒って当然だ――
「うん? なんで黙っとるんや?」
言葉がうまく出ない……もごもごしてしまった。
「こら太夫。お医者さんをからかうんじゃない」
弁天屋の主人が怒ったので、太夫――先ほど夕霧と呼ばれていた――はニコニコ笑って「はあい。ごめんなさい」と頭を下げた。
よく見ると二十歳になったかならないかの歳だ。下手をすると妹の松江より若いかもしれない。
いや、気にしていない。さっそく診察しよう。
先ほどの失態を取り戻せたか分からないが、妹と同じぐらいの娘だと思えたので少し冷静さを取り戻した。
弁天屋の主人が見る中、まず脈を取り熱を測る……ふむ。
どういう風に調子が悪いんだ?
「咳が出て熱っぽいんや」
ならば喉を見せてくれ。
夕霧が口を大きく開けた。
健康そのものだな。
仮病に違いない。
「先生、あたしどこか悪いんやろか?」
ここで夕霧が不安そうな目で私をじっと見つめる。
後ろの弁天屋の主人を気にしているようだ。
ふうむ……
「太夫はどうですか、才谷先生?」
軽い熱がある。しばらく仕事を休ませたほうがいい。
そう言うと夕霧は目を見開き驚いた。
おいおい、そんな顔をすると仮病がばれるだろ。
「ああ、そうですか……」
すぐに薬を調合する。それまで安静にしていなさい。
「ありがとうございます。お代は――」
薬代だけいただこう。なに、そこまで高くはない。それより詳しく診断したいから席を外してもらえるか。
弁天屋の主人が慌てて出て行くと「あんた、ほんまに医者か?」と夕霧は疑うような目で私を見た。
なんだ。だったら今からでも仮病だって言おうか?
「それは堪忍してほしいわ……でもなんで嘘言ったん?」
太夫とはいえ仮病で仕事を休んだら仕置きされるだろう。私にしてみれば後味が悪い。
夕霧は涼しげな笑みで「優しいんやね」と言う。
「助かったわ。今日の客は嫌やってん」
太夫なら断れるんじゃないのか?
「大旦那様は許してくれへんのよ。世知辛いわあ」
それは大変だな。
ま、とりあえず私は一度家に帰る。薬は用意しておくから飲むように。
「あれ? あたしどこも悪くないよ?」
ただの粉だ。それでも忘れずに飲むこと。いいな?
そう言い残して私は立ち去ろうとする。
すると夕霧が折り目正しく頭を下げた。
「ほんまにありがとう」
最後のお礼は今までの笑顔の中で一番爽やかなものだった。
それを見て私は医者として恥ずべきことを思ってしまった。
――また会いたい。




