帰参
土佐人が私の自宅で待ちかねていると桂小五郎から聞いたので、しばらくは彼の別宅で暮らすことになった。京暮らしのための仮宿よりも大きく清潔な家だったので、逆に戻りたくなくなってしまったのを覚えている。
そこで女中さんの世話になりつつ、伏見奉行所の獄医として働く毎日を送った。案外、上役や同僚には疑われなかった。不逞浪士が牢屋に入り、私のことなど気にする余裕がなかったのも理由だろう。
二月の終わり、三月になる頃には元の自宅に戻ることができた。
なんでも龍馬が土佐への帰参が許されたのことだった。
脱藩は重罪だがあの勝麟太郎が裏から手を回して何とかしたらしい。
この話は龍馬本人から聞いた。
しかも私の自宅でだ。祝いに鍋を一緒に囲んだのも印象深い。
「俺が赦免されたのは勝先生のおかげぜよ。ま、あん人にも思惑はあるが」
思惑? まあ善意だけではないとは思うが。
私は肉を多めに取って龍馬の椀に渡した。
「ありがとな……勝先生は俺に海軍塾の塾頭をやらせる腹積もりぜよ」
へえ。脱藩浪人が幕府の海軍塾の塾頭か。たいした出世だな。
「幕府のじゃなく勝先生の私塾じゃが、操船について学べるのは嬉しいわ」
私は山菜を口に運びつつ、龍馬が嬉しいのならいいんじゃないかと返した。
龍馬は肉を口いっぱい頬張ってもぐもぐさせた。
次の言葉を待ちつつ、鍋に具材を入れていく。龍馬は大食漢なので作る速度を速めなければならない。
「梅太郎は桂先生の仕事を手伝っておるんか?」
手伝いと言っても本当に手紙を届けるだけだった。
それも人を介しての行ないだった。一人だけではない、おそらく四人以上は関わっている。
それでも多すぎるほどの報酬を受け取っていた。
私はこんなに要らないと返そうとしたが、渡してきた長州藩士が「桂さんに怒られます」と頑として言うものだから仕方なかった。
この鍋の具材もその金で賄っている。
だから私は、十二分に配慮してもらっているよ、と答えた。
「それならええが。俺は梅太郎が心配ぜよ。桂先生は悪人ではないが……聖人ではないきに」
まあ清濁併せ呑むことができなければ、国を変えられないということだろう。
龍馬もそれができるほうだからこうして動いているのだ。
「そういえば浪士組のことを聞いたか?」
ろうしぐみ? ……ああ、清河八郎の置き土産か。
幕府の獄医なので噂は知っていた。なんでも清河八郎に反発して京に残った者たちが浪士組と名乗っていると。
「会津藩の預かりになるみたいぜよ。京の治安維持のために動くらしい」
不逞浪士を取り締まるのか。ますます勤めが忙しくなるな。
それに話を聞く限り、江戸から来た荒っぽい連中らしいので、獄医の出番が増えそうだった。
「壬生村を拠点に置くようで、もしかしたら梅太郎と関わるかもしれん」
まあ伏見奉行所と近いからな。
「今から会いにいかんか?」
今からか? もう日が暮れているが。
「思い立ったが吉日ぜよ。会って損はないきに」
そうは言うものの、不躾に訪ねるのは良くないだろう。
向こうに知り合いでもいるのか?
「あんれ? おんしに紹介したぜよ? あ、それとも知らんかったか」
だから誰だよ。
「天然理心流四代目宗家、近藤勇ぜよ。あん人は浪士組の局長になっちょる」
はあ。世間は狭いものだな。
というわけで、私と龍馬は近藤勇に会いに壬生村まで赴くことにした。
三月の肌寒い夜で飲み食いして火照った身体が冷えていく。
益体のない話をしながら、龍馬の案内で浪士組の屯所なるところへ向かうと、前方で諍いが起こっていた。
目を凝らして見てみると若い剣士が三人の男と相対していた。
一見、多勢に無勢と思っていたが、見事な剣技で若い剣士が立ち回っている。
「凄まじい腕前ぜよ。俺が敵うかどうか……」
北辰一刀流で鳴らしたと聞いていた龍馬がこぼした台詞に私は驚愕した。
私たちより年少、というより幼さを残す若者がそこまで強いとは信じられなかったが、目の前の剣戟で分からされてしまった。
あっという間に若い剣士が三人をやっつけてしまった。
殺した、という意味ではない。敵わないと悟った三人が逃げてしまったのだ。
「おーおー、強いのう」
龍馬が臆することなく若い剣士に近づいていく。
よく話しかけられるなあと思いつつ後ろについていった。
「先ほどの方々の仲間ではなさそうですが。あなたは何者ですか?」
「俺は坂本という。こっちは才谷じゃ」
得体の知れない若者にあっさりと名乗った龍馬。
警戒心はないのだろうかと思ったが、私たちは不逞浪士ではないのだから必要ないなと考え直した。
「はあ。そうですか」
よくよく見ると美少年だった。
役者絵の女形よりも色気があり、それでいて顔の筋肉が引き締まっている。
毎日剣を振っていると分かる鍛え方だった。
背丈はあまり大きくないがその分素早いのだろう。
「おまんの名前は?」
「初対面の人に名乗っちゃいけないって、先生や土方さんに言われているんです」
「そりゃないじゃないの。俺たち名乗ったんじゃから」
勝手に名乗ったのだが、若い剣士は気づかないようだった。
頬を撫でながら――ずいぶんと絵になる仕草だ――彼は「いいでしょう」と頷いた。
そして爽やかな表情のまま、味気のない自己紹介をした。
「壬生浪士組の沖田総司と言います」