182話 『存在の証明②』
アビスと魔人、異なる次元から来たであろう存在がぶつかり合う。
魔人が持つ力は私たちとは似て非なるものだった。魔力を利用し相手の動きに干渉したり、異常なまでの回復をみせたり、はっきりとはわからないがかなり緻密な操作ができている。
「おらッ! そっちいったぞ!!」
小さな身体のシャルがお母さんを蹴り飛ばす。
すぐさまシトリーがその身体を取り押さえると、蠢くアビスがこちらに干渉したが、見えないバリアに守られているようになぜか侵食されることはなかった。
すぐさまシャルが駆け付けると二人はアビスを掴み、お母さんの身体から強引に引き剝がそうとする。アビスは最後の抵抗とばかりに暴れた。
「さっさとしろ! こんなヤツに俺の力を使わせやがって!!!」
「くっ……往生際が悪いわね。よっぽどアビスを離したくないのかしら」
どうにかしてお母さんを説得しなくては……! しかしシトリーの力をフルで使っている今、主導権を変わるわけにはいかない。
時間もないなか動き出したのはフェンリルだった。自らアビスにぶつかっていくと身体に巻き付けるように走り回る。
アビスが侵食していくとフェンリルはお母さんの身体を手で弾き飛ばす。勢いと共にアビスがお母さんの身体から剥がれ、すぐにフェンリルの元へ集まり始める。
半ば無理やりアビスを剥がされたお母さんは倒れたままだった。
「おっしゃ! よくやったぞ犬っころ!!」
『このまま私を器にしろ、あとは頼んだぞ』
「マグニ、封じるわよ! 合わせなさい!!」
二人が同時にアビスを離すと一気にフェンリルの身体を黒く染め上げていく。シトリーが呪文を唱えるとマグニも同じように合わせた。
≪魔式:輪廻封間≫
幾重にも重なる筒のようなものにフェンリルの身体が収まると彫刻のように動きを止める。
「おい、さっさとこいつを殺せ。力を取り込まれる前にな」
殺せって……殺さないようになんとかしようとしてるんでしょうがッ!!
「そう怒らないの。アビスがまだ私たちの力に適応できていない今、チャンスは一度きりよ。あとはあなたたちが決めなさい」
「――ちょ、ちょっとシトリー! もう……どうしたらいいのよ」
主導権を戻された私の前では、固まったフェンリルの全身からアビスが徐々に動きだしていた。
「ママー黒いのやっつけよー!」
「そうね……だけど、フェンリルを傷つけないようにしないと……何か方法はないかしら」
「ん-? 黒いのだけ倒せばいいんだよー」
だからそれが出来たら苦労は――そうか、私とシャルは魔法使いだ。そういう魔法を作ればいい!
チャンスは一度だけ、絶対に失敗はできない。私はすぐにシャルとイメージを固めることにした。
「シャル、準備はいい? いくわよ!!」
手を握り二人分の魔力でイメージを合わせていく。魔法陣から現れたのは大きな剣を持った騎士だった。マントを靡かせ魔法とは思えないような重厚な鎧に身を包み、堅牢な兜は折れることのない意志を感じさせた。
シャルと私が作りだしたそれは絶対に負けることのない人物。
「パパ!!」
「レニ君!!」
「「やっちゃえーーー!!!」」
騎士は剣を構え走り出すとフェンリルを封印していた魔法ごと一太刀で斬りつける。アビスだけがすっぱりと切れると霧散し、フェンリルは以前の身体に戻るとその場に横たわった。
アビスの気配が完全に消えていることを確認しシャルに任せると、すぐさま倒れている母の元へ駆けつけ、クマを召喚し状態をみてもらう。
衰弱はしているが魔力の流れも異常はない、しばらく待てば目を覚ますという結果に胸をなでおろす。
「よかった……お母さん、もう大丈夫だよ」
幾度となく追い求め、やっと握ることのできたその手は私と変わらない大きさだった。そして、目の前でゆっくりと呼吸するその姿は母というにはあまりにも若く、姉だと言われても納得できてしまうほどであった。
* * * * *
いつからだろう――あれが現れたのは……。
初めに気づいたのは気配だった。常にみられているような、だがいくら探ってみようとも何かが見つかることはなく、その気配にも慣れた頃だった。
突如黒い塊がアインの背後に現れ私は咄嗟に彼を突き飛ばした。勢いよく黒い塊が私の影に入り込んでくると一気に憎悪、怨恨、悲哀など負の感情が押し寄せる。
危険すぎると判断した私はすぐさま時乃回廊へ移動しそこで気を失った。
それからだった。夢のような感覚のなか自分の娘という存在が、あるときは何者かに殺され、あるときは連れ去られ、しまいには探し求め何が本当なのかわからなくなっていった。
「……あさん? ……お母さん、大丈夫?」
ゆっくりと目をあけると私によく似た人物が覗き込んでいる。その人物が私をみてホッとした瞬間、嬉しそうに私の人差し指を握る娘とまったく同じ色の髪が目に映った。
あなたはいったい誰なの……なぜここにいるの? もしかして、あなたは……。
いや、ありえない。あの子には私たちの存在を知られてはいけなかった。だから私がそう呼ばれるのは自ら正体を明かしたときか、アインがあの子に出会って未来を確認したときのみ――――。
旅を始めもう何年が経っただろう……。いつ訪れるかもわからない未来に疲弊し徐々に口に出すことがなくなっていた言葉。
きっと恨んでいるかもしれない――しかし今、片時も忘れたことのなかった名前が限界を迎えたように口からこぼれた。
「…………リリア」
「ッ!!」
少女は涙を浮かべると私を力強く抱きしめた。ずいぶんと大きな背中をあやすようにさすり、はっきりと感じ取る――間違いない、この子は私が――私たちが愛した娘。
だが、母として何もしてあげられなかった私が今更何を言うべきなのか……。
「あなたには辛い思いをさせたわ……ごめんなさい」
「……お父さんに会ったの……私のために置いていくしかなかったって……ごめんね…………」
アインがすべて喋ったということは未来を乗り越えられたということだろう。
責められるべきの自分が逆に謝られ、どうしたらいいものかと戸惑っていると小さな女の子と大きな獣が寄ってきた。
「ママのママ、だいじょーぶー?」
『怪我もないようだしすぐによくなるだろう。残るはほかの奴らがやってくれることを祈るだけだ』
……娘をママと呼んでいる? ということはこの子は……。
「あ、あなた、もう子をつくったの……?」
「えっと、これには色々と事情があって――」
「初めまして、シャルだよー! えっとー……ママのママはお姉ちゃん?」
「シャルちゃん初めまして。私はネーナ、あなたのお婆ちゃんにあたるわ」
「お姉ちゃんなのにおばあちゃん? 変なのー!」
娘も可愛いが孫というのもなんと可愛いものだろうか!!
見ない間に家庭を持った娘に多少の寂しさを感じつつも、二人の可愛さに気力が回復していくのを感じる。
「あら、そういえばあなたの旦那は……まさか逃げたわけじゃないでしょうね?」
「パパは今世界を救いにいってるのー」
世界を救いに? 子どもにそんな嘘を教えなきゃいけないってことは相当な事情があるようね。
「リリア、話を聞かせてもらえるわね? 場合によってはあなたの旦那に痛い目をみてもらうわよ」
「お母さん、シャルが言ってることは本当で……と、とりあえずややこしくなるからシャルはフェンリルとあっちで遊んでなさい!!」
私が言えた義理ではないが母として教えなければならないことはまだまだ残っているようだ。
巨大なフェンリル相手に恐がることなく戯れているシャルの姿は、どこか寂しさを紛らわせているようにもみえなくない。
じっくりと話す必要があるようね、じっくりと――。