181話 『存在の証明①』
点々とした明かりに照らされた空間を高速でフェンリルが駆けていく。この先にアビスの王…………いや、お母さんがいる。揺れる背に掴まりながらメアさんの言葉を思い返す。
時乃回廊といわれるこの場所で、どこからか現れたアビスを封じようとしてお母さんはのまれた。ここならば被害もないと考えたのかもしれない。
「……あと、どのくらいかな?」
『気配が乱れているがもう少しってとこだろう。いつでも動けるように準備しておけよ』
促されると再度魔力を確認する。大丈夫、シトリーの反応もあるし力も使える……それに私は一人じゃない。腰に手を回しギュッと掴まるシャルを背に感じながら精神を鼓舞させる。
徐々に空間が変化していき見慣れた家がでてくる。何年も住んでいた思い出のある、お婆ちゃんと私の家だ。
『いいか、さっきもいったが決して情に流されるな。アビスを必ず倒せ、やり直せるなどと考えるな』
「わかってるわ……シャル、ここからは万が一何かあれば自分で考えて行動するのよ、できる?」
「はーいママ! まかせてー!」
しばらく歩くと周りの景色が変わっていく。机に椅子……誰もいなかったはずの空間にその人は立っていた。横に置いてある揺り籠を覗き込み、すすり泣く声が聞こえる。
「私の……可愛い、赤ちゃん…………」
「誰もいないよー?」
揺り籠を指指し、私に向かって顔を向けるシャルを下がらせる。
「お母さん! 私はここよ、正気に戻って!!」
「……か、カエして……ワ、わタシタチノ……ダイジナ……」
ゆらゆらと揺れる身体の内側からアビスが溢れ出てくると探し物を求めるように次々と手が伸びてきた。すぐに魔法を使いアビスを攻撃する。
炎の竜が女性の周りに纏わりつきアビスを焼いた。だが、アビスの手が竜に絡みつくと黒く染まった竜がこちらへ向かって攻撃を始めた。
魔法を取られた!? まずい、制御がきかない……!
竜が迫り咄嗟に攻撃をかわしたが、突然の出来事に惑乱した私の前に再度竜が迫る。だが、竜は高速で横切ったフェンリルに嚙み切られると霧散し消えていった。
『油断するなといっただろ。相手はお前たちと同じ魔法使いだ、すべてを想定しろ』
「ご、ごめんなさい……次は必ず!」
一進一退の攻防が続くなか、隙をついたシャルがアビスを抜き出そうと魔法陣を展開した。ソフィアさんのときに覚えたのか、アビスを取り除けばお母さんは元に戻る可能性が高いと思ったようだ。
魔法陣がアビスを引きはがそうと魔力を吸い取るとお母さんは苦痛のなか訴える。
「ダメッ……これを世に放っては……逃げ……テ…………」
魔法陣が割れると先ほどよりも濃い気配がお母さんを包み込んでいく。激しい攻防の末、魔法を当ててみるもアビスが減る気配はなかった。
もっと強力な魔法を当てるしか……だけどこれ以上はお母さん自身にもダメージが入る。
やはり……フェンリルの言う通りやるしかないのだろうか。最悪の場合を想定していなかったわけじゃない、何度も考え、その数だけ何度も決心した――しかし、それはあくまで私の想像の中でだ。
私だけじゃない、世界を救うためにみんなが戦っている。ここでお母さんを止めなければすべてが台無しになってしまう。
早く行動しろと急かすように鼓動が高鳴っていく。
やるしかない……みんなのためにも!!
――落ち着きなさい、まだ方法がなくなったわけじゃないわ。
ッ!! そうはいってもお母さんはアビスを離そうとしない、だったらもう……。
あなた、もう誰も失いたくないんでしょ? いいわ、智慧を貸してあげる。今回は特別に契約はなしでいいわ。
身体の主導権を得たシトリーはフェンリルに対し囮になるように呼び掛ける。唐突に無理難題を押し付けられつつも何か策があるとわかってくれたのか、アビスの周りを跳び攻撃を仕掛け始めた。
「シャル、あなたの中にいる魔人を起こしなさい」
「どういうことー?」
「違った魔力を感じるでしょ。それを叩いてあげればうるさいおじさんが起きるわ」
「ん-……あ、これかー!」
突如シャルの頭がガクリと項垂れるとゆっくりと顔をあげた。
「ぁぁあああくそがッ! なんで俺様がこんなガキに!!」
その口調は今でもはっきりと覚えている。レニ君の利き腕を斬り飛ばし、私たちを本気で殺そうとしてきた相手……。
こみ上げてくる憎悪を感じながらもシトリーは気にすることなく口を開いた。
「負けた相手には従う、それが道理というものでしょ。そんなことも忘れたわけ?」
「ちっ…………んで、こんなところで呼び出しておいて何をさせる気だってんだ?」
「今からあそこにいる人間のアビスを引き剝がすの。簡単でしょ?」
「はぁ? どこが簡単なんだよ……くそ面倒くせぇようにしかみえねぇじゃねぇか! ぶっ殺したほうが早ぇよ!」
会話から察するにシトリーはこの魔人に協力させる気のようだが……さすがに無理があるのではないだろうか。この態度といい協調性の欠片もなさそうだ。
「嫌なら別にいいのよ。ただし――一度ならず二度も、しかも子ども相手に負けたなんて、連中が知ったらなんていうかしらね」
「てめえぇぇ…………」
威嚇するように歯を剝き出しにするが完全にシトリーのペースだった。
魔人にとって負けることが恥なのか、それともこの人にとってそうなのかはわからないが、なんだかんだ言いながらも協力することになっていく。
フェンリルを呼び戻すと二人は交代するように駆け出していった。




