「出会いは襲撃と共に」
青く澄み渡った空の下、住宅街の中に設置された公園。
大人には大きくない公園でも、6歳前後の少年には広い特別な場所だ。
そんな中で、少年はひたすら兄の背中を追いかけていた。
「兄さん! 待ってよォ!」
6歳の少年らしい小柄な体型と、サラサラな茶髪、比較的大きな目をしたその少年は、女の子なのかと見間違われるような容姿をしている。
そんな少年は、必死に兄の背中に向かって声を振り絞る。
「早く来いよロキ!」
少年の先を走る兄。少年とは違い、若干クセのある黒髪に、鋭い目付き、全体的に悪戯好きな雰囲気を漂わせている彼は、自分の弟に向かって、振り返ることなく呼びかける。
少年は、必死に足を動かすが、兄の背中はどんどん遠ざかっていく。
「兄さん!」
このままだと見失ってしまう。
そう思った少年は、精一杯兄の背中に向かって声を張り上げたのだが、そこで足を取られて転びそうになってしまう。
咄嗟に体制を立て直した少年が、再び前を向くと……そこには兄の背中は無かった。
それどころか、先程まで少年の見ていた景色でもなくなっている。
そこは見知った公園ではなく、澄み渡った青空でもない。
そこは、星の瞬く夜空で、目の前には大きな岩。そして、その岩の上には少年に背を向け大きな月を見上げる女性。腰まで流れる黒髪が、月の光に照らされて、神秘的に輝いている。黒髪と背中しか見えないその女性は、どこか儚げで、触れば砕けてしまいそうな、そんな風に思えてしまう。
「今日も来たのか? ほんに飽きもせず、ようも毎日来るものじゃ」
少年には顔を向けず、古風な話し方で語りかけてくるその声は、少し低めの力強い声。
その声が、決して女性が弱く儚い存在ではないと教えてくれる。
この女性は誰なのか?
そう思った少年は、女性に向かって手を伸ばし、その手が血に塗れていることを知る。更に自分を見下ろすと、その胸には、何故か矢が突き刺さっていて……
「うわああああああっ!」
――そこで目が覚めた。
「……あれ?」
「おはよう。ロキ君」
今年17歳になるハズなのだが、小柄な体型と、サラサラな茶髪、比較的大きな目のせいで、12~3歳位にしか見えない童顔。鍛えている筈なのに、中々筋肉がつかない華奢な体躯。
そんな彼は、机に突っ伏した状態で寝ていたようで、彼が顔を上げると、その前には……。
何故か着物の上から白衣に身を包み、青い髪を眉の上で切り揃え、オカッパ風にしている少女が居た。
「えっ? えっと……その……お、おはようございます。エマ先生」
青く細めの眉の上で切りそろえた青い髪、まるで猫のように大きくつぶらな青い瞳、通った鼻筋に桜色の唇、少し赤みの残る頬、更には140cmくらいの身長。どう見ても12~13歳くらいにしか見えない外見とは裏腹に、エマ先生と呼ばれた彼女の背後からは、何やら黒いオーラが溢れ出ているように感じられる。
「ぐっすり寝てましたね? ウチの授業は、そんなに退屈でしたか?」
黒いオーラだけでなく、引きつった笑みまで浮かべ始めたエマ先生に、ロキと呼ばれた青年は、急いで頭を下げた。
「す、すいませんでした! 最近、その……不思議な夢ばかりを見て、なかなか寝付けないもので……その……寝不足で……」
頭を下げながらも言い訳を口にするロキ。こんな言い訳は無意味だと分かってはいるが、思わず口から出た言い訳に、ロキは頭を下げたまま固まってしまう。
そんなロキに、エマ先生は、これみよがしにため息を吐き出した。
「全く。あなた達兄弟は……どうしてこう問題児なんでしょうか?」
「ゔっ」
自分の兄の事を言われて、ロキは思わず苦しげな声をもらす。
「まぁ、ロキ君のお兄さんは、この学園始まって以来、最大の問題児と言われていましたから、そんなお兄さんと比べると、今のロキ君はかなり小粒ではありますけど……」
そう言いながら、エマ先生は再びため息を付く。
「今思い出しても、頭が痛くなります。可愛い女の子を見れば、授業を無視して口説いて学校を抜け出し、かと思えば夜中に学校へ忍び込んでテストを盗み、更には他校の生徒が気に入らないと言って叩きのめす。本当に、今思い返しても……貴方の兄と、“あの人”には、苦労ばかりかけられてーー」
「あ、あの……」
エマ先生の話を遮り、彼女の目を見たロキは「いくらなんでも、そんな事まではしない!」と、必死に目で訴える。
すると、エマ先生はまたもやため息を吐き出した。
「そんな、すがるような目をしても、ウチはトキメキません。とにかく、起きたのなら授業を真面目に聞きなさい」
ロキに注意を促した後、エマ先生はロキに背を向け、黒板へと向かう。
「さて、それでは授業を続けます。先ずは、誰かさんが寝ていましたから、基礎的なおさらいから……。ロキ君。答えなさい。先ず、この世界には幾つの国がありますか?」
エマ先生の質問に、ロキは椅子から立ち上がって直ぐ答えを口にする。
「大陸のほぼ中央に位置し、大陸最大の人口を誇る『シルメリア』。そのシルメリアの東に隣接する、商業の中心地『カラナタ』。カラナタから南に位置し、農業やリゾート地として有名な『カシェラ』。シルメリアから南西に位置し、大きな森に囲まれた中で、幾つかの集落が、独自の文化を築き上げている『タワナ』。シルメリアから、山脈を挟んで北西に位置する、魔法と科学の研究が盛んな『クシャナ』。そして、シルメリアやカラナタから更に東に位置する小国が、僕たちが住み、リュラトル大陸で唯一“ドラゴン”が国王として統治する『ホムラ』です」
ロキの説明に、エマ先生は満足気に頷く。
「はい。では、現在このリュラトル大陸にはどんな種族が住んでいますか?」
「大きく分けて、三つの種族が共存しています。
三つの種族とは1つが、人間族。魔力の量こそ少ないものの、この大陸において一番繁栄している種族であり、知識欲が高く、魔力に頼らず数多の物を作り出す技術力を持っています。
2つめは、獣族。犬科、猫科など幾つかの科に分かれるが、総じて人間族より魔力の量は多く、更に筋力や俊敏性など、それぞれの科によって人間族より高い能力を持つ種族です。
最後の3つめが、ドラゴン族。人間族や獣族など、足下にも及ばない魔力を持ち、何千年も生きる事で、他の種族より遥かに高い英知を有する種族です」
ロキが、エマ先生の質問に、間髪入れずに答えると、エマ先生は大きく頷いて見せた。
「はい。ここまでは基礎中の基礎です。皆さん、当然忘れてはいませんね?」
そう言いながら、エマ先生が教室の生徒達を見渡すと、数名がエマ先生から目を逸らす。
だが、エマ先生は目を逸らした生徒達を無視して、更にロキへ質問した。
「ではロキ君。次からが本題です。世界の万物は全て一つ魔法陣……『始まりの魔法陣』から創り出されました。それは、貴方達“人間族”やウチ達“ドラゴン族”も同じです。ですが、今から約200年前――『シルメリア大戦』と呼ばれる大きな戦争が、このリュラトル大陸で起きるまで、“ウチらドラゴンと獣族”は、このリュラトル大陸には居ませんでした。それは何故ですか?」
この問いにも、ロキは直ぐに返答する。
「それは、リュラトル大陸が封印された大陸だったからです」
ロキの返答に、エマ先生は満足したのか、ロキへ席に座るよう促した。
「はい。ロキ君。よく出来ましたね。皆さんも、復習が出来たところで、授業に戻ります」
エマ先生は、そのまま黒板へと移動し、足元に設置された踏み台に乗り、黒板に続きを書き始めた。
「では、続けて授業を行いましょう。”封印された大陸“であるこの大陸は、過去の大きな大戦である“竜人戦争”の際に、もう2度と同じ過ちをお繰り返さないと言う、ドラゴンたちの総意によって封印されていました。
そこから時は経ち、今から約200年前に封印が解かれる事件が起こります。
それが、“シルメリア大戦”です。はい! ここはテストに出ますからね!
みなさんしっかり覚えておいて下さい」
黒板から生徒の方へと振り返りつつ、重要なポイントを口頭で伝えるエマ先生。
その言葉に従って、生徒達がノートに書き込んでいる中、一人の生徒が手を挙げた。
「トゥーナさん。質問ですか?」
褐色の肌に、太めの眉、大きめのオレンジ色の瞳に、通った鼻筋、桜色の唇。
このクラスの委員長であり、密かに男子から人気のあるトゥーナは、少し高めの声でエマ先生へ問いかける。
「先生。そのシルメリア大戦は、謎があります。
この封印を解除させる事になるキッカケは、一体何だったのでしょうか?
どの歴史書でも、その中で出てくる重要人物は“ホムラの英雄”シェイン。シルメリアの王。それと、当時のホムラ国の女王である森羅。といった人物ですが、どの人物も封印を解除できる状況ではなかったと言われています。
一説では、その時代にドラゴンが関係する事件があり、そのドラゴンと関わりのある人物がいるはずとの事ですが、先生はドラゴンですし、その当時もこの世界に居たのでしょう?
何か歴史に残らない様にしている史実があると思うのですが、何かご存知ありませんか?」
いつものトゥーナらしくないと言えば良いのか。
委員長をしているトゥーナは、落ち着いた声色で話す生徒だが、この質問は少し声が高めになっている様に思う。
それだけ、この質問は彼女にとって重要な質問なのだろう。
そう受けとったエマ先生は、少し真剣な表情になり、顎に手を当てて何かを考える仕草をする。
「なんて言えばいいか……少し難しいのですが、シルメリア大戦というのは、そもそもシルメリアが世界へ向けて宣戦布告を行ったのがキッカケです。そして、世界へ向けて宣戦布告を行うと言うことは、それなりに勝てる見込みがなければ行えません。ここまでは、イイですか?」
エマ先生の言葉に、トゥーナが頷くのを見て、エマ先生はまたひとつ息を吐いて話を続けた。
「では、世界に勝てる見込みとは何か?
もう分かっていると思いますが、それがドラゴンの召喚でした」
トゥーナが息を呑むのが分かる。
そんなトゥーナを見て、エマ先生はふと力が抜ける様な笑みを浮かべてみせる。
「ドラゴンの召喚。実はね。そこから始まる、ある意味ラブストーリー?があるの」
笑みを浮かべて告げられた言葉で、クラスの生徒達が「ん?」といった顔をする。
そんな生徒達の顔が面白かった様で、エマ先生が楽しそうな顔を見せると、そのまま話を続けた。
「あのね、歴史書や教科書には書いてないけど、その当時召喚されたドラゴンは、1人の人間と恋に落ちて、この戦争を終わらせた立役者の1人になったの。そして、その後はこの世界でその人間と一緒に家族になって、子供まで生まれたのよ」
本当に楽しそうに話すエマ先生。
先生の雰囲気から、その話が本当で、その二人は幸せだったのだろうなと言うことが、生徒達にも伺えた。
「でね、ここからが本題だけど。ウチ達ドラゴンは長命でしょう?
つまり、まだ当時のドラゴンは存命してて、今もこの大陸で暮らしているの。
そのドラゴンは、本当に恥ずかしがり屋で、自分の話が教科書や歴史書に残る事をとても嫌がってるの。だから、歴史書や教科書にはその当時の話は載っていないし、載せない様にしているの。
何て言うか……公然の秘密?ってやつですね」
と、ここまで話し終えたエマ先生は、トゥーナへ視線を戻す。
「どうですかトゥーナさん。これ以上の詳しい話を聞きたいですか?」
できれば聞かないで欲しいなと言外に匂わせながら問いかけるエマ先生。
そんなエマ先生へ、トゥーナは晴れやかな顔をして首を横に振った。
「いえ、とても素敵な話を聞かせていただき、ありがとうございました」
そう言って、トゥーナが頭を下げたところで、タイミング良くチャイムが鳴り響く。
「はい。では今日はここまでです。みなさん、今日のポイントはしっかり押さえてくださいね」
エマ先生は、それだけ言って教科書を胸に抱えると教室から出ていった。
ーーそして時間は昼休み。
「珍しいね。委員長があんな質問するなんて」
先ほどの授業で、エマ先生へ質問していた内容が気になったロキが、トゥーナの座る席へ近づいて問いかけると、トゥーナは苦笑気味に答える。
「ロキ君だって、授業中に居眠りなんて珍しいじゃない。
寝不足だって言ってたけど、そんなに嫌な夢を何度も見ているの?」
そう返されるとは考えていなかったのだろう。
少し言葉に詰まったロキは、少し恥ずかしそうに鼻の頭を人差し指で掻きながら、最近見る夢について話そうと口を開く。
ーーと、そこで別の方向から2人に声がかけられた。
「お〜い。ロキ。委員長。メシ食わねぇの?」
声をかけてきたのは、肩まで伸ばした青い髪を、真ん中で分けていて、切れ長の目もやはり青い。
ロキよりも高い鼻や、少し厚めの唇、細い顎、細く整えた眉だけが黒い。
結構人目を引く容姿をしているこの男子は、クラスメイトであり、ブルードラゴンと人間の間に生まれたハーフで、竜人とも呼ばれている種族でもある「柳 ケイ」だ。
そして、ケイに少し遅れて、まるまる太った大柄の体型で頭には熊の耳。
本来であれば、周りに威圧感を与えるであろう男子が、和やかな雰囲気を纏いながらロキに近付いてくる。
「2人とも、あんまり話し込んでると、ご飯食べる時間がなくなっちゃうよ?」
やんわりとした口調で話し掛ける彼は「熊井 晃」と言って、スポーツ刈りに丸い鼻、細目を更に細くして、いつもニコニコしている為、クラスでも癒しキャラで通っている獣人のクラスメイトた。
「そうだね。早く食べないと、昼休み終わるし、委員長。せっかくだし一緒に食べよう?」
2人の言葉に頷きながら、ロキがトゥーナを食事に誘う。
すると、トゥーナも「そうね」と言いながら席を立った。
「オッ! イイね! 委員長と一緒にメシとか、他の男子に自慢できるぜ!
じゃあ、とりま屋上行かね?」
トゥーナも一緒と分かるや、急にテンションがあがるケイ。
そんなケイを見て、苦笑するロキとトゥーナとは違い、晃は嬉しそうにトゥーナへと話しかける。
「一緒に食べるなら、お菓子を作ってきてるんだ。良かったら感想を聞かせて欲しいな」
常日頃から「いつか食堂を開きたい」と明言している晃は、今日も今日とて自作の弁当とお菓子を持ってきており、少しずつお裾分けしては、都度色々な人から感想を聞いている。
今日は、お菓子の感想を聞かせて欲しい様だ。
「オホッ! クマさん今日はお菓子かよ! そりゃ楽しみだ!」
晃と仲の良いケイは晃のことを「クマさん」と呼んでいる。
因みに、ロキやトゥーナ、クラスメイトの殆どが晃を「クマさん」と呼んでいた。
「とにかく、早く行こう。じゃないと、本当に食べる時間が無くなるよ?」
話を戻したロキが、自分のポケットから小さな端末を取り出すと、その端末に魔力を流し込む。
すると、端末が小さく輝き、魔法陣が浮かび上がる。
その魔法陣に手を突っ込んで弁当を取り出したロキが、さっさと屋上へと向かう為に教室から出て行くと、同じよう弁当を手にトゥーナ達も屋上へと移動するのだった。
さて、場所は変わり屋上にてーー。
「--って言う夢を見て起きるんだ」
晃が持ってきた大きめのシートに、思い思いに座り食事していたトゥーナ達は、先程話そうと思っていた最近の夢について語るロキの話に耳を傾けていた。
「何それ怖! じゃ、何か? 毎回胸に矢が刺さってるのを見て起きんのか?」
話を聞いて、ケイは嫌そうな顔をしながら、晃が用意したクッキーに手を伸ばす。
あまり、心配している様には見えないが、それでもケイの目は真剣だ。
話し方や態度で勘違いされがちだが、ケイは意外と人情に厚いのだ。
「ちゃんと寝れないのは辛いよね。僕なら、学校に行かずに休むよ」
晃も同じ様に心配しながら、手にした端末に魔力を流し、そこからポットとカップを取り出すと、ポットに入っていたハーブティーをカップへ注ぎ、ロキ達全員へ配っていく。
「ありがとう」と口々に晃へ礼を言いながら受け取ると、皆が一斉に口を付け、ホッと安心した様に息を吐いた。
「でも、まさか……」
一瞬出来た沈黙の中、トゥーナが思わず呟いた一言、その呟きが他の3人に聞こえる。
「え? 委員長? 何か言った?」
聞き返すロキに、トゥーナはカップを下に置いて、少し思い詰めた表情を見せる。
「委員長?」
トゥーナの思い詰めた表情に、ロキが再度問いかけた時だった。
突然大きな羽ばたく音が響き渡り、屋上に巨大な影が掛かる。
「え?」
全員が声を揃えて空を見上げると、そこには2体の巨大なドラゴンの姿があった。
1体は緑色。もう1体は黒色。その2体のドラゴンは、2体共に屋上のロキ達を見下ろしている。
「え? ドラゴンが人化してない?」
ドラゴンが国王を務めるホムラ国は、基本的にドラゴンの姿のままでいないように注意喚起されている。
その為、ホムラ国に滞在しているドラゴンは、皆が人の姿に変じているのだ。
それでもドラゴンの姿のままでいると、ホムラ国の治安維持部隊である"カエン"が出動し、更に重大な事件になりそうな場合は、ホムラ国が誇る特殊部隊"シンラ"が出動してくる。
それだけ注意されるべき事が、目の前で、しかも学校で起きているという事だ。
驚きはしたものの、直ぐにカエンが出て来るだろうと思い直したロキ達は、とりあえず立ち上がり、ドラゴン達へと声を掛ける。
「あ、あの! 旅行中ですか?
このホムラ国は、ドラゴンの姿のままでいると注意されますよ!
早く人化した方がイイです!」
口に手を添えながら、ドラゴン達へとロキが声を張り上げる。だが、ドラゴンは4人を見下ろしたまま微動だにしない。
「おい。何か……変じゃないか?」
2体のドラゴンの様子に、危機感を覚えたケイが、他の3人へ鋭く声を掛けると、いつでも動ける様に身構えた。
そんなケイの様子に促される様に、他の3人もいつでも動ける様に身構える。
すると、4人の様子を見ていたドラゴン達が、徐に口を開いた。
「朝霧トウヤの弟は、この学校にいるか?」
いきなり兄の名を出され、ロキの表情が引き攣る。
"また"あの兄が何かしたのか!
思わず空に向かって「兄さん!」と文句を言おうとしたが、何とか言葉を呑み込み、3人の何とも言えない視線を浴びながら、ドラゴン達へと話し掛ける。
「あの……ぼ、僕が弟の朝霧ロキです」
おずおずと手を上げながら答えたロキに、2体のドラゴンの視線が突き刺さる。
すると、黒色のドラゴンが唐突に言った。
「そうか、では……死ね」
言うなり口元に禍々しい黒炎が溢れ出す。
「みんな! 逃げて!」
背中に冷たい汗を感じながら、ロキはトゥーナ達へ声を掛け、身を低くしながらドラゴン達へと駆け出す。
「ロキ!」「ロキ君!」
ケイと晃がロキへ声を掛けるが、ロキは立ち止まる事なく端末からカードを取り出すと、カードに魔力を流し込み始める。すると、カードから強烈な光が迸る。
一瞬の目眩し。その隙に、ロキは魔力操作で足に魔力を込めると、思い切り跳躍し、フェンスを飛び越えていった。
「--!!」
3階建ての学校の屋上から飛び降りたのだ。
全身に鳥肌が立ち、このままだと危ないと頭の中で警鐘が鳴り響く中、ロキはもう1枚のカードに魔力を流し込む。
そのカードを地面に向けて構えると、もう直ぐで地面と言うところで、猛烈な突風が巻き上がる。自分の体がフワリと浮かぶのを感じたロキは、そこで魔力を流し込むのを止め、無事に地面へ前転しながら着地する。
そのまま起き上がり、立ち止まる事なく校庭目指して駆けていく。
とにかく、今は逃げよう。
逃げて、治安維持部隊のカエンやシンラが来てくれるのを待つのだ。
そう考えながら、背後を振り返る。だが、そこでロキの背中に、再び冷たい汗が襲う。
ロキの視界には、2体のドラゴンが先程と同じ様にロキを見下ろす姿があり、更に1体の口には禍々しいの炎が消える事なく、そのままあったのだ。
マズイと思ったのと、大きく左に跳び退いたのはほぼ同時。
そして、ロキが今まで居た場所を、黒炎が通過したのもほぼ同時だった。
「アアッ!」
両腕で顔を庇うが、二の腕辺りに鋭い痛みが走り、苦悶の声を漏らしてしまう。
黒炎は、そのまま突き進み、あわや隣接する民家に当たる直前、魔力障壁に阻まれ掻き消える。
「学校に魔力障壁を張って……逃げ出せないようにしてるんだ」
その様子を見て、ロキは諦めた様に呟いた。
魔力障壁が張られていると言うことは、外部から救援が来るためには、あの強力な魔力障壁を破壊して入って来なければいけないという事だ。
この状況では、カエンやシンラが助けに来てくれるまでに、まだ時間が掛かるだろう。
だからと言って、それで自分が焼かれる事になるなんて、冗談じゃない。
そう強く思ったロキは、二体のドラゴンへと声を張り上げた。
「どうして襲って来るんですか!」
今分かっているのは、兄に何かしらの恨みがあるだろうと言うことだけ。
一体どんな恨みなのか?
どんな事になれば、自分が狙われる事になるのか?
現状では何も分からないのだ。
そんな状態で死ぬなんて、冗談じゃない。
ロキは2体のドラゴンを睨み付け、もう一度問いかける。
「兄が、何をしたんですか!」
問いかけるロキに対して、2体共に目を細めたかと思うと、緑色のドラゴンが口を開いた。
「今は、何も話すことは無い。貴様に出来ることは、我等から逃げる事だけだ」
話は終わりとでも言うように、今度は緑色のドラゴンが自身の周りにいくつもの魔法陣を展開させる。
逃げないとマズイ!
慌てて身を翻そうとしたロキの視界に、ドラゴンの更に上空から落ちて来る人影が写る。
「何してんだコラァ!」
上空にいたのはケイで、ケイは手に持ったバットを思い切り緑色のドラゴンの頭へと振り下ろす。
だが、ドラゴンへとヒットするなり折れるバット。
体制を崩したケイは、そのままドラゴンの頭にぶつかり、校庭へと転がり落ちていった。
「ケイ!」
落ちたケイへロキが声を掛けると、ケイはすぐさま起き上がり、ロキの方へと駆け寄ってきた。
「よう! 生きてるか?
全く、俺を置いて勝手に行くなよ」
竜人であるケイは、人間と比べて魔力量が多く、体が頑丈である。とは言え、無傷とはいかなかったようで、破れたシャツのところから血が滲んでいた。
「ケイ! 無茶だよ!」
思わず声を荒げたロキに、ケイは笑い掛ける。
「無茶って……お前が言うかよ。それに……ホラ。見てみ」
笑顔を浮かべながら、ケイが正面入り口の方を顎でしゃくる
のにつられて見てみると、そこには晃やトゥーナの姿があった。
「2人まで……危ないのに……」
声を振るわせながら呟いたロキに、ケイは何でもない事のように言った。
「ま、1人よりは、人数多い方がイイっしょ。それに、もう1人出てきたぜ」
ケイの話に驚いて、更に入り口の方を見ると、そこには小さな人影。
「ウチの生徒に、何をしていますか!」
それなりに距離が離れているにも関わらず、ロキ達まで聞こえたその声に、ロキが驚く。
「エマ先生!」
驚いたロキの視線の先で、エマ先生の小さな体が光ったかと思えば、もう1体のドラゴンが姿を現す。
「そこのドラゴン! ここは学舎です!
生徒達は勉強する為にここへ通っています。
決して、ドラゴンに襲われる為に通っているわけではありません!」
言うが早いか、ドラゴンの姿へ変わったエマ先生が、2体のドラゴンへと襲い掛かる。
「うっひょ〜! 迫力ヤバッ!」
目の前で始まったドラゴン同士のバトルに、ケイは大興奮だが、ロキは冷静に緑の色のドラゴンを見つめていた。
何故なら、エマ先生と戦っているのは黒色のドラゴンのみだったからだ。
同じ様に、緑色のドラゴンも、ロキから視線を逸らしていない。
そして、ドラゴンが展開させた魔法陣は今もそのままだ。
「ケイ! 逃げて!」
エマ先生の戦いを見て興奮しているケイの背中を無理矢理突き飛ばし、ロキは緑色のドラゴン目指して駆けていく。
「ロキ!」
ケイの焦った声が聞こえるが、ロキの視線は緑色のドラゴンに向けられたまま動かない。
そんなロキを狙って、魔法陣から風の塊が現れ、襲い掛かってくる。
「走れ! 止まるな!」
自分に言い聞かせ、ひたすら緑色のドラゴン目指して駆けるロキ。背後では、何かが爆ける音が幾つも響いて来るが、確認する余裕は無い。
端末に魔力を通し、魔法陣が浮かび上がると、そこから短めの木剣を2本取り出したロキは、両手に構えて駆けていく。
木剣に魔力を通し、強度を上げつつ、緑色のドラゴンに後少しで当てられる距離まで近付いたロキだったが、直ぐ横で風が唸る音が聞こえたかと思うと、視界がブレ、体が宙を浮いていた。
「え?」
自分が浮いている事に、一拍遅れて気付いたロキは、咄嗟に受け身を取ろうと手から木剣を放したが、間に合わずに肩から地面にぶつかってしまう。
そのまま何度か転がって、ようやく止まった時には、目は周り、まともに立てない状態だった。
それでも、必死に手足を動かして、フラつきながら立ち上がったロキは、かすり傷が痛むのに顔をしかめながら再び緑色のドラゴン目指して駆けていく。
「負けない」
相手はドラゴンだ。元々勝ち目なんて存在しない。
だが、時間さえ稼げれば、チャンスはあるはずだ。
一縷の望みを胸に、ロキは体を動かす。
そもそも、兄のせいでこんな酷い目にあって、理由すら分からず痛め付けられて……。
正直、兄を殴らないと気が済まない。
そんな兄から、昔教えられた事がある。
『どんな時も、負けないって気持ちでいたら、意外と何とかなるもんだ』
その時は、何言ってんだと思ったが、不思議と頭に残っているのだ。
そして、兄のせいでこんな目に遭っている手前、納得いかないが、その兄の言葉のお陰で、こうして体を動かそうと言う気持ちを持ち続けられる。
何とも言えない複雑な気持ちのまま、ロキは再度ドラゴンへ近付いていく。
が、ドラゴンはロキの行動に慌てるでもなく、待っていたかの様にその大きな手を振り抜く。
先程の衝撃でフラついていたロキは、なすすべなく吹き飛ばされる。
「ロキ!」
吹き飛ばされ、あわや地面に激突する直前で、追い付いたケイがロキを抱き留める。
「オイっ! 大丈夫か!」
声を掛けられたロキは、何とか頷き、再度ドラゴンと対峙する。
「負けない」
もう一度、今度は力強く声に出して、ドラゴンを睨み付けるロキ。
そんなロキを見て、ニヤリと獰猛に笑ったケイは、ロキの隣で身構えた。
--その時だった。
「流石は妾の"夫"じゃ。その勇姿。確と見せてもらった」
突然、黒く輝く髪がロキの視界に現れたかと思えば、今まで対峙していたハズのドラゴンを吹き飛ばしてしまっていたのだった。
「え?」
本日何度目の呟きだろうか。
今までで1番間抜けな声でそう呟いたロキは、突如現れた背中に目を奪われてしまう。
黒髪と背中しか見えないその女性は、どこか儚げで、触れば砕けてしまいそうな、そんな風に思えてしまう。
そして、その背中は……いつもの夢に現れるその背中だった。