瓢箪の巫女 ~ 夫婦
すぅっ、と。
体を蝕んでいた熱が引いていくのを感じた。
何をしてももう治らないのだろう、そんな覚悟を決めていたというのに、体が軽くなり、意識がはっきりとしてくる。
「目が覚めたかの?」
静かな声に目を向けると、垂髪の美しい女が、横たわる私を見つめていた。
「旅の者じゃ。そなたの夫に頼まれての、容体を診ておった」
視線で問うた私に、彼女はそう答え、湿らせた手ぬぐいで顔を拭いてくれた。
手ぬぐいの、ひんやりとした感覚が心地よかった。
「……ありがとう」
私が礼を言うと、女は小さく首を振った。
夫は、どこだろうか。
小屋の中を見ても、夫の姿はなかった。
うつってはいけないからどこか別の場所へ、自分でそう言っておきながら、目覚めたときに姿が見えぬというのは寂しいものだった。
夫のことは責められぬ、私もたいがい身勝手だ。
「あなたは……薬師か、何か……?」
「多少の心得はあるがの」
途切れ途切れの私の言葉に、女がまた小さく首を振った。
「本業は、巫女じゃよ」
「巫女……」
女──巫女は小さくうなずくと、傍らに置いていた大きな瓢箪を手に取り、茶碗に中身を注いだ。
とろり、としたなめらかな液体が茶碗に満たされた。
漂ってくるまろやかな香り……酒、だろうか。
「さて」
注ぎ終えた巫女が、私に静かなまなざしを向けた。
「何か言い残すことはあるか?」
……ああ、そういうことか。
私は巫女の問いにすべてを悟った。
病が癒えたのではなく、もう病の苦しみすら感じられぬ体になってしまった。だから体が軽く思えるのだろう。
不思議と、悲しくはなかった。
私は笑みすら浮かべ、目を閉じて来し方を思った。
幸多い人生、とは言えないだろう。
村が戦に巻き込まれ、一人焼き出された私は、野盗の集団に連れて行かれた。まだ十三の身で、見ず知らずの男の妻とされ、野盗の一員となった。
そのことを、どれほど恨んだだろうか。
とはいえ、野盗に連れて行かれなかったら、私はあのまま野垂れ死んでいただろう。私が生き残る道は、それしかなかった。
野盗としてさすらうこと十数年、ようやくこの地に落ち着いた矢先、私は病に倒れた。
日に日に病は重くなり、ついに起き上がることすらできなくなった。
元は野盗の群れだ、医の心得がある者などおらず、ろくな手当は受けられなかった。倒れたら捨てる、それが暗黙の了解だ。
「夫に……」
それなのに、私のために、心得のある人を探しに行ってくれた。
それが、心から嬉しかった。
「……ありがとう、と」
巫女はうなずくと、私の頭を抱え、茶碗に注いだ酒を飲ませてくれた。
酒が、するりと喉を通り胃に落ちていく。
「いいお酒、ね」
あの人にも──夫にも飲ませてあげたい。
それが、いまわの際に浮かんだ、最後の想いだった。
◇ ◇ ◇
息絶えた女のために祈りを捧げた後、旅の巫女──玲は小屋を出た。
「おや、戻ったのか」
「亡くなられたのか」
小屋の前では、大男が腕を組んで待っていた。
ひょんなことから共に旅をすることになった、傭兵戦士多々良だ。
「うむ、今しがたな」
「そうか」
「それで、おぬし……」
泥まみれの多々良を見て、玲は眉をひそめた。
「何をしておったのじゃ?」
多々良は無言で小屋の右手を指差した。
土が山となり、大きな穴が掘られていた。玲が女を看取っていた間に、墓穴を掘っていたらしい。
「助かる見込みはなさそうだったのでな。必要だろう?」
「ずいぶん大きく掘ったのう」
「夫婦そろって埋めてやろうと思ってな」
「夫婦?」
玲が穴をのぞくと、いかつい男の──死んだ女の夫の遺体が横たえられていた。
女の夫は、近隣でも名の知られた、悪名高い野盗だった。
そんな男が他の村に、それも役人のいる村にのこのこと顔を出せば、捕縛され処刑されるのは目に見えていた。
「いやキツかった。遺体というのは、重くてかなわん」
「用というのは、そういうことか。役人がよう許したの」
「ツテがあってな」
多々良は肩をすくめ、小屋に入っていくと、女の遺体を抱えて出てきた。
そのまま女の遺体を、夫の隣に横たえてやる。穴の幅が少し狭かったか、二人は寄り添い、抱き合うような格好になった。
「すまんの。お主に託された言葉、夫殿に伝えられなんだ」
しかし、と玲は思う。
処刑された夫の顔も。
病に倒れた妻の顔も。
そうとは思えぬほど穏やかで、幸せそうに見えた。
玲がわざわざ伝えなくても、夫には妻がどんな言葉を残すのか、わかっていたのではないだろうか。そんな風にすら思えた。
「その男、妻にありがとうと伝えてくれ、と言い残したそうだ」
「……夫婦そろって、同じ言葉を残したか」
「野盗崩れの、ろくな男ではなかったようだがな。苦楽を共にした妻とは、心が通じ合っていたのだろう」
「そうか……仲の良い夫婦だったのじゃな」
玲は瓢箪の口を開けた。
二人のなれそめも、どのような人生を過ごしてきたのかも、玲にはわからない。
だが、その積み重ねてきた歳月の果てで、同じ言葉を残して寄り添うように眠りにつくのだ、きっと幸せだったのだろうと思いたかった。
「行った先では、仲睦まじく穏やかにの」
そんな願いを込めて、二人の遺体に瓢箪の中身を注ぎかけ、玲は静かに祈りを捧げた。