星一個分の想い
空想は尊い
空想に恵まれた私は幸である
新美南吉
トイレの壁に吊るされた月めくりには、日付よりも大きな字で、でかでかと偉人の言葉が綴られている。
今月の名言は童話作家の新美南吉だった。
空想とは、現実に存在しない物事を、頭の中で思い描くことだ。
現実ではない事を考える。
人間だけだろうか?
言葉が通じないので、その他の動物が雲を見て林檎を想うかはわからない。
冬の童話祭に二度参加した事がある。
壁打ちみたいな投稿が寂しくなってきていたので、企画に参加してみたのだ。
童話といえば絵本を考えた。
クレヨンのような柔らかな表情の絵に、詩のような短文がついた本を想像した。
幼児に読み聞かせる姿を空想した。
言葉づかいはわかりやすい方がいいだろう。
どこまで言葉を知っているだろうか。
オノマトペが多い方が共感できるだろうか。
ストーリーは追えるのか?
ちょっと対象年齢が低すぎるだろうか。
童話だけど、大人が読むんだよな???
色々考えて、考え過ぎないほうがいいのかと考え込んで、少し諦め気味で超短文を投稿した。
新着はすぐに埋もれた。
それでも、お祭りの空気に当てられたようなゆるゆるの評価と、初めての感想がついた。
人生初の感想って、どう返事したらいいのか。
落ち着かない気持ちで書いたその返信は、できれば書き直したいと今でも思っている。
相手の想像力を邪魔したくないと思って、どうとでも受け取れる表現に留めておいたのだけれど、別の視点から見える景色を伝えられて、私は嬉しかった。
私の文章でまた新たな空想の世界が広がり、それを思い描くのはとても楽しい。
頭の中は自由だ。
沿道から祭囃子を眺めるような、そんな気持ちで二度の童話祭が過ぎていった。
星をひとつ、贈られた。
私は、気持ちを話すのがあまり上手くはない。
コミニュケーションは取れる。
当たり障りのない日常会話は、社会生活を続けるうちに自然と一定値までには達している。
ただ、自分の気持ちを伝える事、考えを述べる事、それを言葉にして相手に伝えることがとても難しい。
感情が昂っている時はなおさらで、理路整然とした文章は飽和した感情に押し出され、押し流された言葉は千切れた雲のように頭の中を漂う。
時間をかけて自分の心を整理して、何を伝えたいのかを組み立てる。
しかし、形になった時には、その話題はすでに終わったことになっているのだった。
いつだって言葉は足りなく、そして送り出した言葉がそのまま相手に届くわけではない。
10送っても、受け取られるのは2ぐらいがそこそこなんじゃないだろうか。
相手の心には何段もの敷居があり、私の心にもそれはある。
敷居を跨ぐうちに何かふるい落とされていって、相手に渡すときにはとても少なく、そしてそれが相手の好きなものとは限らない。
ヘンゼルとグレーテルのように、家に着くまでにパンが途切れてしまうこともあるだろう。
現実のコミニュケーションは難しい。
100パーセント伝える事が可能な人などいるんだろうか?
私はすぐに諦める。
二割も届けば良い方だろう。
良かれ悪しかれ、何か心に残ればそれでいい。
星一個、繋がったなにか。
自分の頭の中を書き表した小咄は、どれだけ伝わるのだろう。
たった一つの星が届けるその気持ちは、何かが伝わったという、他の星よりも信頼できる確実で誇張のない真実だ。
一番星に霞む、あわい恒星のひかりに、何を見いだしたのだろうか。
そうやって今日も、空を想う。
お読みいただきありがとうございました。