8話:過去
渋谷の日が目前まで迫っていた。
渋谷まであと一週間前の夜、いつも通り凛とDMで会話をしていた。
『渋谷楽しみだなぁ』
俺は小さいときのクリスマス前のように楽しみにしていた。
『楽しみだね!!』
『俺渋谷とかわからないからやっぱり楽しませられるか不安だよ、、』
俺は、心配であった。陰キャな俺は渋谷なんて見るものがないのである。
『前に言ったじゃん、勇人と一緒ならどこでも楽しめると思うって、、』
『でも、、』
『楽しいの!!』
返信が早かった。
昔から俺は自信がなかった。
小学生の時、音楽の授業で一人ずつみんなの前で歌う授業があった。
俺は幼稚園年少の頃からピアノを習っていたので、歌には自信があった。
しかし、はずかしくて本領が発揮できない。音程がずれてしまうのである。
みんなもこれには苦笑だった。
先生もイマイチな顔をされてしまう。
そして自分に自信がないまま成長してしまった。
中学2年生の時、ピアノ発表会があった。
奏順は一番最後、曲目はショパンの「木枯しのエチュード」である。
この曲は難易度が高く、難しい。
しかし俺はリハーサルでつっかえずに弾くことができた。
しかし、本番前。
そう、俺は極端に本番に弱い。
「あのリハーサルの演奏でいいのだろうか」「あれはショパンを表現できているのだろうか」
急に不安になってくる。
ドキドキしながらステージに出て、ステージのライトを浴びる。
そのライトの熱は、真夏の太陽よりも熱く感じた。
胸が張り裂けそうだ。
最初の音は「ミ」。
あんなに練習したのに、緊張で「ミ」の場所も忘れてしまう。
この時瞬間的に俺は思ってしまった。
「俺は下手だ」と。
練習の時の演奏が脳裏に流れた。
あれは下手だ。
実に機械的な演奏である。
楽譜のままだ、自分を表現できていない。
そんなことを考えながら、演奏を始める。
今のところ順調だ。
間違えていない。
難しいポイントを乗り越えたその時だった。
指が回らなくなった。
音が止まる。
ホールは無音になる。
まるで誰もいない世界のように静まり返った。
何事もなかったかのようにまた演奏を始めるが、目からは涙が出てきていた。
俺はピアノが嫌いだった。
なぜ習っているのかわからなかった。
やらされていると思いながら日々練習していた。
そりゃつっかえて当然だろう。
俺は勢いで曲を終盤までなんとか持っていき、最後の音を弾き終わる。
客席の人々は拍手をしてくれているようだが、俺には聞こえなかった。
絶望。
ただそれだけ。
俺は足早にステージの袖に帰っていく。
俺はしゃがみこんで泣いた。
多分、あんなに泣いたのは久しぶりだったであろう。
中学生にもかかわらず、子供のように声をあげて泣いた。
弱い俺が嫌いだった。
そんなエピソードがあって、自分に自信がなかったのだ。
『凛のこと、楽しませられるかな…』
『大丈夫、アキバめっちゃ楽しかったよ!』
過去に付き合っていた彼女が他の男のところにいくのも納得できる、自分が面白くない人間だからだ。
俺がもし女で、こんなやつと付き合うことになったら、他の男に行くであろう。
根暗で気持ちが悪い。
しかし凛はそんなやつなのに「勇人とならどこでも楽しいと思う」と言ってくれた。
『俺も楽しかった』
俺も凛とのアキバがとてつもなく楽しかった。
凛となら一生一緒にいれる気がした。
『私さ、実は人が苦手なの』
『人が苦手?』
『そう、中学の時にね、悪口言われて素の自分が出せなくなっちゃったの。それで友達の前でも少し気を遣っちゃってて、ちょっと生きづらい』
凛は人間不信らしい。
『でもね、私勇人とアキバに行った時、素の自分が出せてた。家族とたのしく話すような、あの感じ』
アキバの時の凛は明るい女の子だった。あれが素なのである。
『私、勇人の前でしか素出せない、勇人の前だとすごく楽で、楽しい!』
なら、もう凛にかける言葉はこれしかないであろう。
『他の人と一緒にいて生きづらくて、俺と一緒にいて楽なんだったら』
『うん』
『俺とずっと一緒にいればいいじゃん』