豚の丸焼き
【ホロコースト】と言う言葉をご存知だろうか?
この言葉を聞けば大概の人間が、第二次世界対戦中の国家社会主義ドイツ労働者党率いるナチス・ドイツが行った大量虐殺を思い浮かべるだろう。
私もそうだ。
だが【ホロコースト】の語源を掘り下げると、元来は、古代ユダヤ教の祭事に用いられた【獣の丸焼き】に由来する。
それがやがて殉教者の意味合いを持ち、転じて火災による破壊・犠牲を指す様になったのだ。
つまり、本来の意味合いは【大量虐殺】では無い。
その【言葉】とユダヤ人虐殺を結びつけたのは、1978年アメリカで放映されたテレビドラマ【ホロコースト】がきっかけだ。
テレビから流されるナチスの非道を綴った映像…それを当時の人々は視聴した。
【音声つき映像】の影響力は計り知れない。
それは目と耳を支配し、否応なしに脳に【言葉】と【歴史】を結びつけ刷り込む。
これによって本来は宗教的な語源である筈の【ホロコースト】がユダヤ人大量虐殺を意味するものにすり替えられたのだ。
さて…
話を変えよう。
今私は【駅】に向かっている。
この【駅】は私にとって終着点であり、解放の場でもある。
私は長きに渡り、考え、悩み、苦しんだ。
時間は無情だ。
それは唯々流れ過ぎ、人を堕落させては老いさせる。
時は金なりとはよく言ったもの…
いくら大金をはたこうが、過ぎ去りし時間も、若さも、情熱さえも戻りはしない…
あの時、ああしていれば…
この時、ああしていれば…
悔いるばかりで取り戻す事叶わず、諦めと言う名の【死】が迫る。
………また話を変えよう。
畜産に関わった事が無い人はあまり知らない事実なのだが、実は私達が普段食べている【豚肉】の豚の雄は生後一週間以内に【去勢】される。
去勢の方法はいたって単純だ。
鋭利な刃物で切開し、睾丸を取り出した後、一気に引き抜き切除する。
麻酔は一切無しだ。
この時の子豚達の悲鳴と言ったら…何と言うか…
一度聞くと…脳細胞にこびりついたかの様に離れてはくれない。
私は以前、農業高校に通っていた時に、授業と称した残忍な去勢手術を請け負う事になった。
けたたましく悲痛な子豚達の悲鳴…
その場の空気を震わせ、助けを呼ぶ声…
あれは今でもトラウマだ。
もう二度聞きたくないと思っていた声を、私はつい数ヶ月前に耳にした。
その叫び声は、私の中にある前世の記憶を呼び覚まし、私が【誰】であるかを思い出させる。
私が誰かって?
私は日本で生まれ、日本で育ち、日本の学校に通い、極々普通の生活を営んでいた普通のサラリーマンだ。
ある日私は営業に向かう途中、トラックにひかれ【人間】としての生を終えた。
そして転生し……【豚】として生まれ変わった。
今日は皮肉にもトラックに乗せられ、食肉工場に向かう所だ。
ここが私の【豚】としての生涯の【終着駅】になる。
幸いな事と言えばメスに生まれて来た事ぐらいで、後はニートの様な堕落した食っては寝る生活だったが…
だが、それも今日で終わる。
今日が私の命日だ。
私達、豚にとってはこの工場が【ホロコースト】に等しい。
前世の授業で学んだ、ユダヤ人達は一体何を思い、何を考え、何を悔やみ、何を悲しんだのだろう?
私は今、虚無に支配されている。
前世の記憶を取り戻した当初は、運命に足掻き、苦しみ、何としても脱け出そうと必死だったが……それも今となってはどうでもいい。
家畜風情が英知輝かしい人間様に敵うわけなく…私の努力は悉く挫かれ、心を何度も折られ……遂に私は諦めるに至る………
もう一度言う。
時間は無情だ。
それは唯々流れ過ぎ、【豚】を堕落させては【思考】を老いさせた。
時は金なりとはよく言ったもの…
しかし、豚に金など不要だ。
あったとしても、過ぎ去りし時間も、若さも、情熱さえも戻りはしない…
もし、人間としての人生をやり直せるのであれば、真っ先に【豚】の保護を訴えるだろう。
さて…
無駄話は終わりだ。
トラックから私達は降ろされ、建物の奥へと招かれる。
私達の終着駅。
今、ここにたどり着く……
これから……人間の胃を満たす為の、尊い殉教が待っている……
最後に一つ…言わせて欲しい……
あんたが食べてる、その豚肉……
それは【誰】の肉?