賑やかな晩餐
「爺、私におかしなところはないか?」
「いいえ、今日も完璧ですとも」
ラナンキュラス嬢はともかく、彼にとってはいつも通りの晩餐とそう変わりないだろうに。しきりに身だしなみを気にする姿は、社交の場で見せるランドルフ公爵の面影もなかった。
いつも以上にきっちりと結んだクラバットも、見た目通り高価なベストもワイシャツも、きちんとシオンは着こなしている。こちらからすれば、一体何に気を揉んでいるのかと逆に問いたいくらいだ。
「ラナンは……」
「ええ、じきに来られますよ」
全く、ずいぶんと惚れ込んだものだ。いつ頃知り合ったのだろう、彼の変化を見逃すほど年老いてはいないつもりだったが……。
自らの思考に夢中になっていると、ダイニングの入り口の方から小さな足音が聞こえてきた。婚約者のお出ましを悟ったシオンが、緩んでいた表情を引き締める。その様子を見守りつつ、そっと主人の側を離れた。
「お待たせしてしまいましたか?」
姿を現した少女は、こちらが用意しておいたうちの黄色のドレスを見に纏っていた。淡いピンクの髪色が引き立つ、いい選択だと感心する。
不安げに揺らめく赤い瞳に、彼が見惚れていることは手に取るようにわかった。
「あ……い、いや! ちっとも待ってなんかいません」
主人が頑張って取り繕っていた紳士の仮面に、ピキピキとヒビが入っていく音がする。シオンの狼狽を見て取ったラナンキュラスは不思議そうに首を傾げたが、追求はしないでいてくれた。
さりげなく椅子を引き、彼女の視線を引き寄せる。
「奥様、こちらへどうぞ」
「ありがとう」
彼女が椅子に腰掛ける短い時間に、主人は見事に動揺を引っ込める。切り替えの速さは素晴らしいと、心の中で称賛を送った。
やがて食事が始まり、二人の元に夕食が運ばれてくる。シオンに味はどうかと問われたラナンキュラスが美味しいと返して以来、しばらくは食器の音だけがその場に響いていた。
「婚約披露の場があるので、そのためのドレスを仕立て屋に頼んであります。明日の午後、採寸に来ますので……」
「はい、わかりました」
ようやっと話題を探し当てたシオンが口を開く。
しかしどうにも距離感のある会話だ。初日というのもあるが、婚約者としては少し寂しさを感じているだろう。
ここは執事として、何かきっかけというものを与えてやるべきなのか。
「奥様、失礼ながら、苦手な食べ物などございますか?」
「いいえ、特に何も」
「おお、それは素晴らしい」
含みのある言い方をすれば、彼女はすぐに興味を持つ。少し溜めてから、おほんと咳払いをして見せれば、シオンは不穏な空気を察して睨みを効かせた。
しかし、そんなことが通じる歳ではない。
「いえ、坊っちゃまはニンジンが大の苦手でしてな、小さな頃などにんじんを皿の上に見つけるなり不機嫌に」
「爺」
言葉で直接遮られ、これ以上は言えない雰囲気ができあがる。すでに全てを伝え終えたあとだからと、素直に引っ込むことにした。
「失礼致しました」
そそくさと壁際に退散する。
さてこれを聞いてラナン嬢がどうするのか、そこに興味があった。場を和ませようとしたのも、もちろん本当だけれど。
「……にんじん、今でも苦手なのですか?」
「え、いや……」
純粋な疑問を口にするように、彼女はそう尋ねた。私からは想定していても、婚約者からの質問は想定していなかったのだろう、シオンは解答に困っている。
しばらく悩んだ末、覚悟を決めた彼が内緒話さながらに声を潜めた。
「……ここだけの話、あれはオレンジ色の土だそうです」
「まあ」
シオンの冗談に、ラナンキュラスは悪戯っぽい笑みを浮かべた。ようやっと垣間見えた彼女の本質らしきものに、少しばかり安堵する。
「私たちは土から土を掘り起こしていたのですね」
「ええ、そうですとも」
「ふふっ……」
言ってしまえば幼稚な言動にも、少女は楽しげな笑い声を上げた。そのことが嬉しいやら恥ずかしいやらで複雑な表情を浮かべるシオンに気が付いたその子は、少し申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「すみません、意外で……弱点のない公爵様だと聞いておりましたから」
「それは……貴女こそ、本当に嫌いな食べ物はないのですか?」
「あら、私の弱点を探っているのですね」
そういうわけではと慌てるシオンを、彼女は再びクスクスと笑った。その笑みだけで反論するかも何も失せるのだろう、主人は何も言わず、ただ目を細める。
なるほど、悪くない。ふと未来を匂わされた気がして、胸の内が熱くなる。
ここはもう二人で良さそうだと懐中時計を取り出し、予定より遅れている様子のデザートの進捗を確かめるべくダイニングを出た。