庭園の午後
「素敵なお庭ですね」
「はは……貴女のお眼鏡に敵いましたか?」
問いかけの意図は不明だが、そこまで構える必要もないかと頷いた。愛想笑いを浮かべてみれば、彼はふいとそっぽを向く。
「……?」
どうしてこのタイミングで黙ってしまったのだろうと首を傾げる。公爵様は案外気難しい人なのかと、心の中でため息を吐いた。
話題に困って、美しい庭園を見回す。
(やっぱり綺麗……)
腕のいい庭師がいるのだろう。多種多様な植物が露に濡れて、キラキラと輝く様子は素晴らしいものだ。その種類の多さにもかかわらず、ごちゃごちゃしてはいない。
風が吹くたびに葉と葉が擦れ合い、心地のいい音が聞こえてくるのだ。庭園のど真ん中に位置する白い噴水の側で読書でもすれば、きっと集中できることだろう。
「あ……」
ふと、噴水の側の花壇に植わっている花に視線を奪われる。たくさんの柔らかい花びらを携えた、豪奢な佇まい。
ラナンキュラス。私の名の由来となる花だ。
「ラナンキュラス……貴女と同じ名前ですね」
「ええ……父が、母の部屋に飾られていた花を見て付けた名前ですの」
生まれたときに偶然花瓶に飾られていたから。適当に付けたと本人がいつか言っていた。
例えその花がアネモネだったらアネモネに、ダリアだったらダリアに、ポインセチアだったらポインセチアになっていただろう。
挙げ句の果てに長くて呼びにくいと、短縮して呼ぶことしかなかった。そんなくだらないこと、わざわざこの場で披露するまでもない。
「確かに貴女に似ています」
「ふふ、ありがとうございます」
褒め言葉と判断して、素直に受け取っておくことにした。再び浮かべた愛想笑いに、シオンはまたもやそっぽを向く。かと思えばこちらに向き直り、思い切ったように切り出した。
「名を……あの、呼んでも?」
「もちろんですわ」
なんだ、そんなことを考えていたのかと、なんだか拍子抜けしてしまった。確かに初めは少し驚いたけれど、考えてみれば婚約者なのだから、好きにしてくれていいのに。
噴水の隣のラナンキュラスの側で立ち止まった彼は、少し視線を彷徨わせたのち、再び口を開いた。
「愛称で、その……」
「……? あぁ、構いません」
何が言いたいのかと首を傾げ、すぐに意図を察した。長い名前で呼びにくいから、愛称を使いたくなったのだろう。それを気にして口籠もったのなら、彼は噂に違わぬ優しき人だ。
「私は貴方の婚約者ですから、好きにお呼びになって」
「あ、あぁ! そうですね」
気を遣ってくれていたとは思い至らなかった。目の前の人への評価を改めつつ、自分の立場を再確認する。
私を所有しているのが、両親から公爵様に変わっただけ。考えてみれば簡単なことだった。
「では……ラナン、私のこともシオンと」
「え、ええ……シオン」
そんな思考を否定するように、差し出された対等に面食らう。断ることもできず名を呼べば、シオンははっきりと破顔した。
「っ……」
見目麗しい人の笑みというのは、周りの心を掻き乱す。彼はハッとしたように表情を引き締めてしまったが、私の目蓋にはまだあの笑みが焼き付いていた。
騒ぐ胸を手で押さえていると、こほんと咳払いをしたシオンが私に向き直る。
「次は屋敷を案内します。あ、疲れてはいませんか? そういえば、来たばかりの貴女を連れ回してしまって……」
「いいえ、そう長い道のりでもなかったので」
互いに気を遣い合う、微妙な関係が如実に現れたやり取りだ。しかし、このくらいが一番いい距離なのかもしれない。
彼の腕に添えていた手をそっと握り、慌てた様子の彼に案内の再開を促した。