交わる視線
窓の外を流れる景色が美しく移り変わる。
きっとあの方の領地に差し掛かったのだろうと、納得して目を閉じた。
脳内で反芻するのは、これから自分を娶る変わり者の情報だ。
(シオン・ランドルフ……)
国一番の領地を持つ公爵様。彼の功績を数えようとすれば、両手の指に足の指を足してもまだ足りないとまで言われ、その容姿一つ取っても神の祝福を頂戴したのではないかと囁かれるほどのお方。胡散臭いまでに、良い評判しか耳に届かない人。
数多くの縁談の中から、私なんぞを選んだ奇特な人……。
(何を、望んでいるの……?)
一人でこの世の全てを持っているような方が、どうして冴えない伯爵令嬢を選んだのだろう。
社交の場で会ったことはない。あれば嫌でも覚えている。
私自身に特筆すべき美しさもない。特徴的な赤目に、長く伸ばした薄桃の髪の毛は、人混みに紛れたら霞んで見えなくなってしまう程度の代物だ。
財産なんて持っての他、お金も土地も家柄も、全てあちらの方が優っていると言うのに……。
「お嬢様、到着しました」
「っ、あ……ええ、ありがとう」
そんな思考に埋もれていたせいか、御者に声をかけられるまで目的地に到着したことにも気付かなかった。これではいけないと気を引き締めるために、一人深呼吸を繰り返す。
意を決して立ち上がり、武器を手に取るような心地で御者の手を取って馬車から降りた。
淡い色合いの煉瓦を踏み締めれば、お気に入りの靴のヒールがカツンと音を立てる。
「お待ちしていました、ラナンキュラス」
突如聞こえてきた穏やかな声に、ハッと息を飲んだ。
出迎えなんてないと思っていたからだ。
嫌味でなくお忙しい公爵様が、子猫を拾うくらいの気持ちで決めたであろう婚約者。そんな身分で、期待する方がどうかしているではないか。
恐る恐る顔を上げれば、朝日に照らされて煌めく海の色が目に入った。それが彼の瞳の色なのだと、数秒遅れて気が付く。
透き通るような金色の髪が風になびく様は、なるほど絵画さながらだと内心舌を巻いていた。
しかしいきなりファーストネームで呼ばれるとは。礼儀知らずなのか人懐こいのか……。
「……初めまして、公爵様。お心遣い感謝致します」
「あ、あぁ」
彼が一瞬、しまった。とでも言いたげな表情をしたのは気のせいだろうか。誤魔化すみたいな咳払いをしたシオンは、そっとこちらに手を差し伸べた。
その仕草一つ一つが洗練されている。自分だってそれなりに礼儀や作法を教わっていたけれど、それでも彼に比べたら貴族ごっこと言われても仕方がないと思えた。
「屋敷を案内するという栄誉を、私に授けて頂けますか?」
「っ……ええ、もちろんですわ」
不意打ちの微笑みにくらりとして、少しばかり返答に詰まってしまう。気を取り直してその手を取れば、淡い蒼の瞳は何故だか嬉しそうに煌めいた。
……こんなにも友好的ならば、案外結婚というものも悪くないかもしれない。彼の邪魔にならない限り、それなりに尊重してもらえるのではないだろうか。
(判断が早いかしら)
警戒を解くのはまだ早計だ。この人に何らかの目的があることは明白だし、印象が良いくらいのことで心を許すのは愚かだろう。
良好な関係を築ければ吉。それができなくても、自分の人生を生きることができれば私は満足だ。
そんなことを考えながら、隣を歩く婚約者をそっと盗み見る。まずは庭から案内しますと言う彼の横顔は、不思議なことに私よりもずっと浮かれているように見えた。