第2章 第33話 夜明曲・煙は晴れて
「はい、お水」
「……ありがとうございます」
得点板係を放っぼってあたしを見に来てくれた小内さんは、さっきあたしが買えなかったお水を渡してくれた。
「あとでお金払いますね」
「高校生のガキに気を遣わせてたまるか。黙ってもらっときな」
「……すいません」
近くにある倉庫の入口にある石階段に並んで腰をかけると、しばらく無言が訪れる。
あたしたちと小内さんの関係は知り合いの知り合い状態。今の弱ったあたしでは話を振る余裕がない。
「この学校の利点といえば飲み物が安いくらいよね」
遠くの体育館から様々な部活の掛け声が響いてくる中、小内さんが煙草に火を点けて小さくそう言った。
「……学内禁煙ですよ」
「こんな僻地に人なんか来ないわよ」
「まぁそうですけど……」
「それにここら辺監視カメラもないしね。よく授業サボって遊んだわ」
そう語る小内さんはどこか遠い目をしている。……っていうか、
「小内さんって紗茎出身なんですか!?」
「あ、ようやく気づいた?」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、小内さんの口から煙が漏れる。
「……すいません、気がつきませんでした」
確か小内さんは大学二年生だから、あたしが中一の時に高二だった計算になる。紗茎は中高一緒に練習してるので全然知り合いだ。そういえば天音ちゃん言ってたっけ、知り合いだって。
「いや、別に構わないよ。ていうか知らなくて当然。あーしずっと二軍だったから」
中高一緒に練習してると言っても全員で練習してるわけではない。一軍、二軍、初心者と体育館を分けて活動している。あたしは中一の最初の一カ月だけ初心者チームで、それから先はずっと一軍だったから二軍の人と会うのは合宿とかのイベントくらい。四歳も離れてたらさすがに接点はないか。
「でもさ、上からだと下は見えないけど、下からはよく見えるのよね」
小内さんの口から吐かれた煙が宙に舞っていく。煙に阻まれて空がなにも見えない。意識したことなんてなかったのに急に元の色が気になってしまった。
「あんたは知らないだろうけど、あーしは知ってた。五人のとんでもない天才が入ったこと。全中制覇したこと。……あんたらの最後の全中のこと」
携帯灰皿に灰を落とし、小内さんは再び煙草をくわえる。
「ひどい人だよなぁ、近田監督。あーしのことも覚えてないみたいだし」
「ま、二軍だからほとんど接点なかったんだけど」。そう言って小内さんはわざとらしく笑い声を上げた。まるでくだらない話のようだ。全然、そんなことないのに。
「……小内さんだったら、どうしましたか?」
無意識にあたしはそう口を開いていた。たぶん認めてもらいたかったんだ。あたしは悪くないって。
「小内さんだったら、大怪我をした友だちを置いて試合なんてできますか?」
あたしがそう訊ねると、小内さんはまだ半分近く残っていた煙草の火を消し、口に残っていた最後の煙を吐き出した。
「……正直な話、わからない。あーし公式戦出たことないしどれだけ試合が大事なのか知らないからね」
宙に漂う煙はまだ消えてくれない。不快な臭いに耐えながらあたしは小内さんの次の言葉を待つ。
「でも友だちはいたから多少は気持ちがわかる。あんたは間違ってないよ」
「それでも」。小内さんは言う。
「あーしも、試合を選んだかなぁ」
「なんで!」
なんで。なんでなんで。
ほんと、なんで。
「あたしには、わからない――」
「いいや。あんたはもうわかってるよ」
小内さんの瞳がまっすぐとあたしを捉える。
なにもわかっていないあたしの全てをわかっているかのような瞳。
あたしは目を背けることもできず、ただ見つめることしかできない。
あたしの知らない先輩の姿を。
「いい加減落ち着いたっしょ。そろそろ行くよ。飛龍さん、あーしが知ってた頃よりだいぶヤバくなってるから急がないと」
「……はい」
やっぱりあたしにはわからない。
それでもとっくに煙は晴れていた。




