第1章 第4話 死刑宣告
〇環奈
あたしが花美高校女子バレーボール部に入ってからちょうど二週間が経った。弱小校だからたいして練習しないんじゃないかなーと思ってたけど、これが意外と練習時間はしっかりと設けられていた。
第三体育館というギリギリコートが二つ作れる程度の広さの体育館で平日は毎日放課後の二時間。土日は一応休みらしいのだが、歓迎会に来ていた6人は全員自主練ということで一日中練習を行っていた。これだけやって1回戦負けというのだから浮かばれない。
そして今日は歓迎会に来ていなかった二人の先輩も加わり、初めての全員での練習。そのことにきららちゃんは喜んでいたが、あたしは中々ブルーな気持ちだった。その理由が、
「はぁっ!」
今スパイクを打ったバイトで忙しいという2年の先輩、外川日向さん。この人が思っていた以上に期待外れ。
ポジションはエースである一ノ瀬さんと同じアウトサイドヒッターという攻撃の要で、身長は160半ば。見た目はまさしく田舎の不良といった感じで、ロングヘア―を茶色に染め、スポーツをしているというのに纏めたりはしていない。同じく髪を染めているあたしが言えたことじゃないけど、もうこの時点で底が知れるというものだ。
実力はやはり見た目通りで、印象的には運動神経の良い運動部の人が体育の授業でバレーをやっているような感じ。攻撃をするのが役割のアウトサイドヒッターに向いてると思うしセンスも悪くないけど、絶望的に基礎がなっていない。正直身長の分きららちゃんの方が上手いとすら思える。
しかも練習に出てきたのはあたしが入ってから今日が初めて。そりゃこんな人がレギュラーなら勝てないよ。だっているだけ邪魔だもん。
でも身長が普通にある以上、あたしや小野塚さんよりもレシーブとトス以外はこの人の方が上。こんな人がレギュラーになれてあたしか小野塚さんのどちらかがレギュラーに入れないと思うと、バレーってほんと理不尽。
そしてもう一人の先輩は、
「もう我慢ならないわ! 翠川さん、ブロックはばんざいしてはだめと何度も言っているでしょう!?」
絶賛初心者のきららちゃんを鍛えていた。
受験勉強で忙しいという3年の先輩、真中胡桃さん。
ポジションはミドルブロッカーで、身長は170センチ前半。黒髪をおさげにまとめていて、見るからに真面目そうな感じだ。
この人はかなり上手くて、おそらくあたしや小野塚さんを除けば部内一。正直こんな学校にいるような人材ではないが、少し動きが硬い。たぶん勉強漬けでいくらかブランクがあるのだろう。結局この人もあんまり期待できないな。
「ブロックばっかりでつまんないですっ! 速攻とか移動攻撃とか、ミドルブロッカーってもっとかっこいいのできるって聞いたんですけど!」
「なに言ってるの。ミドルブロッカーは名前の通りブロックをやるポジション。ブロックができなきゃ話にならないわよ」
「さては騙しましたねっ!? それに脚が疲れましたっ! もうジャンプできませんっ!」
「ミドルは体力勝負よ。それにそれだけ大声出せるならまだまだ元気でしょう。はいブロック跳んで」
「ふぇぇぇーん、助けてください環奈さーんっ!」
大変そうだなー、あっちは。まぁ実際きららちゃんはまだ全然ダメダメだししょうがないけど。
ミドルブロッカーは真中さんの言う通りブロックの要となるポジションで、身長が高い人が務めることが多い。反面攻撃は二の次になり、しょぼスパイクでもあんなに喜んでいたきららちゃんには合わないと思っていたが、たぶん真中さんがかっこよさげな攻撃の方法を教えて勧誘したのだろう。
でも185センチという身長は全国でもトップクラス。身長が命のバレーでは、初心者のきららちゃんでも既に下の上クラスの力を持っていると言っても過言ではない。それに真中さんは週三ペースで来てくれてきららちゃんの面倒を見てくれてるし、インハイ予選までまだ一カ月ちょいあるからあれはかなり期待大だ。
インハイ、正式名称は全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会。全国の高校生たちがこの大会のためにバレーボールをやっていると言っても過言ではない、夏の全国大会。そしてインターハイの後に行われる春高まで残る人を除いては、3年生にとって最後の大会。
その県予選が6月の上旬に行われる。そしてそのレギュラー発表がそろそろ行われるらしい。
つまりあたしか小野塚さん、どちらが正リベロになるかが近い内に決まるというわけだ。
正直それはどうでもいい。あたしはバレーができればいいし、小野塚さんが正リベロでも心の底から祝福できる。むしろそっちの方が都合がいい。先輩のポジション取るとかギスギスしそうだし。うわ、想像するだけでめんどくさい。
ま、それもバレーの醍醐味と思えば楽しいか。楽しいわけないね、うん。
どうかギスギスしませんように。それだけがあたしの望みです。
〇梨々花
「じゃあ練習終わりー」
絵里先輩の号令を合図に練習が終わりを迎えた。五月も近づいて気温も段々高くなり、夜だというのにずいぶんと汗をかいてしまった。身体に張り付いたシャツが気持ち悪い。
「リリー、変なシャツはどしたの?」
バレーに限った話ではないが、運動後はなにはともあれストレッチ。床に寝転がって脚を交差させていると、久しぶりに練習に来た日向が近寄ってきた。ちなみにリリーというのは梨々花から取ったわたしのあだ名。と言ってもそう呼ぶのは日向しかいない。日向は人のことをあだ名で呼びたがるのだ。
「変なシャツ? わたし変なシャツなんて着たことないよ?」
今日着ているのは無地の黄色いシャツだし、普段も特に変と言われるほどのものは着ていないはずだ。わたしがそう答えると、日向はこらえきれなかったようにブフーッと吹き出した。
「え? わたしなにか変なこと言った?」
「変なことっていうか変なシャツっていうか……ふふ……」
「梨々花ちゃんのシャツは変じゃないよっ!」
うわ、文字通り美樹が飛んできた。普段のジャンプより高く飛んでたんじゃないだろうか。とにもかくにもこれで2年生全員集合。なんかずいぶん久しぶりな気がする。
「出たな、リリー好き好きマン!」
「梨々花ちゃんの悪口を言う奴は絶対に許さないっ!」
「なにその小芝居……」
「エリーさん好き好きマンは黙るがいい!」
「なんだとバイト怪人サボリー!」
「あーそれは本当にごめんって思ってる」
「急に素に戻らないでけろっ!」
乗ってしまったわたしが恥ずかしい。でもリリーとエリ―、わたしと絵里先輩のあだ名が似ているというのはなんだろう、少しうれしい。
日向は基本的に週一程度でしか部活に来ない。その理由はバイトが忙しいからなのだが、別に家計が厳しいだとか経済的な理由ではない。
ただ単に日向は自由人なのだ。興味のあることはなんでもやりたいし、ルールに縛られるのをなによりも嫌っている。バイト自体も週二程度しか行っていないらしく、基本的には毎日遊び歩いている。
遊んでいると言っても見た目のような不良行為はしておらず、そこら辺をふらふらと歩き回っているだけらしい。容姿こそ田舎のヤンキー染みているが、実際は本当にただの自由な人。それが日向だ。
「で、変なシャツってなに?」
本題からすっかり逸れてしまった。まぁその本題も結構どうでもいいことなんだけど。
「ほら、あの『絶対落とさない』とか、『バレー命』とか格言? が書いてあるシャツ」
「え? 格言Tシャツって変だったの?」
わたし私服でもたまに着てるんだけど。
「大丈夫だよ、梨々花ちゃん」
と思ったが、どうやら美樹はわたしの味方らしい。そうだべ、一緒に買いに行ったことあるもんね。美樹は一着も買わなかったけど。
「梨々花ちゃんが持ってる11枚のシャツ、全部似合ってるもん。『絶対落とさない』も、『バレー命』も、『リベロ魂』も、『チームを守る』も……」
「ねぇなんでわたしのシャツについてそんなに詳しいの?」
なんなら『チームを守る』Tシャツは買っただけで一度も着たことがない。好き好きマンを通り越してホラーマンって感じだ。
「でもリリーもエリーさんのシャツ全部言えるでしょ?」
「そりゃ9着全部言えるよ。青の無地に、白の無地。青と白のストライプに、お気に入りの黒とピンクの……」
「ねぇなんで私のシャツについてそんなに詳しいの?」
いつの間にかわたしの背後にいた絵里先輩が引きつった笑みを浮かべ、少し後ずさった。いつも満面の笑顔の絵里先輩にしては珍しい表情。ありがとうございます。
「まぁいいや。いやよくないんだけどね、うーん……」
絵里先輩の葛藤の表情! うへへたまんねぇ。
「とりあえず、ちょっと来て」
そう言った絵里先輩は、声も表情もいつもと変わらない。優しい、優しすぎる、いつもの絵里先輩だ。
だからこそわかってしまった。
たぶんこれは、死刑宣告。
「……わかりました」
この日がいつか来ることはわかっていた。わかっていたけど、どうしても覚悟ができなかった。
でも絵里先輩に呼ばれたら断るわけにはいかない。わたしは頷き、体育館の外に歩き出した絵里先輩の後をついていく。
思えばいつもこうだった。絵里先輩の後をついていって、決して追いつけない。
いつか絵里先輩の隣に立てる日は来るのだろうか。
答えはすぐに絵里先輩の口から語られた。
「梨々花、セッターをやってみない?」
ただでさえ校内の最果てにある第三体育館のさらに裏、誰も寄り付かない草が自由に生い茂った場所で、絵里先輩はわたしにそう告げた。
「別に水空さんは関係ないんだよ? 私もそろそろ引退だし、セッター経験のある梨々花なら私がいなくなった後も立派にセッターを務められると思うの」
絵里先輩はその後も「セッターをやるなら早めの方がいい」とか、「リベロよりもセッターの方が向いている」とか言って説得してきたが、耳から耳へと通り過ぎていくようで、まったく内容が頭に入ってこない。
普段なら絵里先輩の言葉を聞き逃すだなんて絶対にしない。でも今は、今だけは絵里先輩の言葉を聞きたくなかった。
絵里先輩は本当に優しい。水空さんの方が上手いだなんて一言も口にしてこない。でもその優しさが逆にわたしの心を締め付ける。
全部わかっているから。絵里先輩とわたしは繋がっているから、心が息苦しくて仕方ない。
絵里先輩は春高まで残らない。高校を卒業した後もバレーを続ける気はない。
だから今度のインハイ予選が最後だったのに。
わたしがリベロとして絵里先輩にボールを繋げられる最後のチャンスだったのに。
わたしにはそれが叶わない。
「……あと一日、時間をくれませんか?」
そんなこと、認められない。認められるわけがない。意地でも食い下がってやる。
絵里先輩にボールを繋げることだけが、わたしにとってのバレーボールをやる理由なのだから。
「明日の練習で、わたしの方が水空さんより上手いことを証明してみせます」
わたしの言葉に絵里先輩はなにも返さない。ただ優しく、それでいて悲しそうに微笑んでいる。
「失礼します」
頭を下げ、わたしは絵里先輩の前から立ち去る。すぐに帰って公園ででも自主練しよう。そうでもしないととても水空さんには勝てない。
体育館に戻る途中、ふと遠くに見える桜の木が目に入った。
5月も近づき、ほとんど散ってしまった桜の木。今までまったく興味がわかなかったのに、なぜだか気になって仕方ない。
その残り数枚となった桜の花はわたしのようで。
往生際が悪いと心の底から吐き捨てた。