第2章 第22話 金属色交響曲
「ナイッサーもう一本!」
「ていっ」
次のプレーが始まり、相変わらずのへなちょこサーブが向かってくる。
「あたしがとります」
たいして球速のないサーブが相手なら環奈さんの守備領域は後衛ゾーン全体。扇さんのいる後衛レフト方面のボールを余裕で上げると、やはり完璧な位置に回してくれた。
「一ノ瀬さんっ」
さすがに一度止められたツーを連続でやるほどわたくしは無鉄砲ではない。今度はおとなしく一ノ瀬さんに高いオープントスを上げる。
「っしゃゴラッ!」
紗茎相手にも引けを取らない一ノ瀬さんのパワースパイクを昴さんがなんとか上げるが、ボールは乱回転し、ネット際のレフト位置へ。セッターの昴さんがファーストタッチですし、誰か他の人がトスを上げるにしても速攻などのコンビプレーは無理。攻撃は単調になりますわ。
でもそういう場面でもただ風美さんに上げればそれだけで点を取れるというのが紗茎の強み。とりあえず偵察の時と同じようにストレートを空けて環奈さんに取ってもらうというベターな作戦ですが、同時に破られた作戦でもある。今度はしっかりブロックに集中しなければ。
「風美ちゃんっ!」
後衛レフトにいた天音さんが風美さんにトスを上げるためにボールの下へ移動する。今風美さんは前衛ライトの位置に移動している。とりあえずわたくしもそちらに……!
「おねえちゃん、ちょうだいっ!」
音羽さん! 音羽さんが風美さんと入れ替わるようにレフト方面へと走っている!
それだけではありませんわ。前衛にはまだ志穂さんもいる。一体誰にボールを上げますの……?」
「ふっ」
ボールを上げた先は音羽さん。しかもタイミングが早い! そんな乱れたボールを完璧に上げるなんて……! でも!
「舐めないでくださいまし!」
クロスにはわたくし、ストレートには真中さんがブロックに跳んでいる! 身長百六十中盤の音羽さんではこの壁を超えるのは不可能ですわ!
「ふーん。じゃあ、こっちにしよっと」
そう小さくつぶやいたかと思うと、振り上げた右腕でボールを叩こうとする寸前。
「なっ……!」
左手で、ブロックのいない位置にボールを押し込んだ。
完全にライトからレフト方向に振り下ろす体勢だったのに、身体の向きを変えることなく、パーツごとに動かせる人形のように左腕だけを一連の流れから外した!
「なに驚いた顔してんの珠緒ちゃん。ぼくは元々こうだったでしょ?」
床に落ちたボールを拾って向こうに流す。それを拾った音羽さんは、全てを見下す傲慢な顔でこう言った。
「天を突き抜け宙高く、身に纏いしは音の羽っ! 九掛け九の箱の中。駆けるぼくはまさに散弾っ!」
音羽さんは前を向いたまま、左腕でボールを後ろへと放る。そのボールは寸分の狂いもなく三度目のサーブとなる昴さんの元へ。
「『散弾傲慢』、双蜂音羽っ! さぁ、ぶっ放すよーっ!」
――双蜂音羽。彼女の動きのからくりは実に単純ですわ。
両利き。ただ単に左右両方の腕を自由に動かせるからできただけ。
でもそれだけで体勢に逆らった動きができるはずがありませんわ。
両利きに加え、卓越した自分の身体を動かすセンス。それが音羽さんの自在なプレーを可能にしている。身長こそ百六十後半で物足りないけれど、それ故に素早く、俊敏。九メートル×九メートルのコートの中をとにかく常に動き回り、相手を翻弄する。
『色持ちの超人』の中で『殿銅の漆』は最下層扱いですが、音羽さんの実力は『銀』、あるいは『金』にも届きうるほどに高い。
それ故に傲慢。ですがそれは付け入る隙にはならず、自身の成長を高める糧となっている。
枠にはまらない自由自在な散弾のような攻撃。そして決して試合中に崩れることのない傲慢な性格。
この試合で風美さんの次に厄介なのはおそらく音羽さんですわ。
「どうせだしおねえちゃんもやっとけば?」
「え? わたしはいいよ。ただトス上げただけだし。……それに恥ずかしいし」
次のプレーへと移る前の間、音羽さんが姉である天音さんにそう促す。
「でもほら、おねえちゃんが言うまで流火ちゃん始める気ないみたいだよ?」
主審の笛の音がないとサーブをすることができない。それなのに流火さんは笛をくわえたままじっと天音さんを見つめている。もうこれ主審失格でしょう。
「しょ、しょうがないなぁ。じゃあやるよ?」
「ごほん」と一度咳払いをし、天音さんは胸に手を当てて口上を名乗り始めた。
「見上げる空は曇天で、翔び立つなれども道はなし。ついぞ羽を失えども、咲かせてみせます福音で。『雲咲天剣』、双蜂天音。……ねぇ、やっぱり恥ずかしいんだけどっ」
天音さんは口上を言い終わったところで顔を真っ赤にして手で覆ってしまった。その姿を見て紗茎の選手たちはニヤニヤと笑みを浮かべ、天音さんに絡んでいく。
非常に真面目で常に一生懸命。でもそのせいでいじられている姿がとてもかわいらしい。
「も、もういいでしょっ。ほら、そろそろいくよ」
そして、その一生懸命さは他人に伝染する。天音さんが静かな口調で一声そう呼びかけただけで、弛緩していた空気が一瞬で引き締まった。
「たぁっ」
昴さんのサーブから環奈さんの完璧なレシーブまでは先程までと同じ。単調なエースのスパイクは拾われ、意表を突くツーも通じない。なら速い攻撃で勝負ですわ!
「ぁっ」
わたくしが選択したのは真中さんの速攻。しかし、
「ワァンチッ!」
志穂さんのブロックに当たり、ボールは紗茎の後衛の方へと跳ねていく。
「チャンスボール!」
そのボールを天音さんがレシーブし、前衛に出た昴さんの頭上に綺麗なAパスが届いた。
「レフトッ! ちょうだいっ!」
「センター!」
音羽さんと志穂さんが同時にトスを呼ぶ。二人とも山なりに上がるボールを打つオープン攻撃よりも速い攻撃を好む選手。もう既に助走を始めていてボールが上がったと同時に跳び上がりましたわ。ボールの行き先はどこに……。
「パイプ……!」
何も攻撃できるのは前衛の選手だけではない。センターの志穂さんの陰に隠れて、後衛センターの知朱さんがバックアタックを打つパイプ攻撃で攻めてきた。わたくしは志穂さんにボールが上がると思ってもう跳び上がってしまっていて知朱さんのスパイクには対応できない。普段リベロのくせにこのわたくしを騙すなんて……生意気ですわよ昴さん!
「舐められたものだわ」
わたくしが落ちていく直前、隣に高い壁がせり上がる。
「真中さん!」
囮に引っかからなかった真中さんが完璧なタイミングで跳び上がり、見事に一人でスパイクをブロックしてみせた。ボールは囮に跳んだ志穂さんの少し後ろに落ちていく。
さすがは三年……とりあえずこれで一点……
「ふっ」
ボールが床へと振れる寸前。その間に腕が差し込まれ、ボールは高く上がっていった。
「天音さん……!」
ボールを上げたのは後衛にいた天音さん。ほんっと、相変わらず上手いですわね!
妹の音羽さんの針が奔放な散弾銃だとしたら、姉の天音さんの針は堅実な日本刀。派手なプレーはしませんが、その分全てのプレーが高水準。ブロックも、レシーブも、トスも、スパイクも、教科書通りのプレーをしてくれる。
だから双蜂天音さんはミスをしない。
そしてバレーボール、いや、全てのスポーツにおいて、優秀な選手とはミスをしない選手のことを指す。
さすがは『銀遊の参』の筆頭選手。味方だととても頼りになりますが、敵に回すとこんなに嫌な選手はいませんわ。
「でも……!」
咄嗟のフォローだったおかげでボールはセッターの昴さんから遠く離れた位置へ。スパイクをした直後の知朱さんがフォローに入っていますが、複雑なプレーはできないはず。
でもそれが一番避けなければならなかったパターンなんですのよね……!
「風美!」
アタックラインから知朱さんがライトにいる風美さんにアンダーハンドでトスを上げる。
ボールは回転し、普段よりもかなり高いトス。とても打ちづらいはず。
「ストレート空けるわよ!」
「おうっ!」
「かしこまりましたわ!」
風美さんのクロス位置に三枚の高い壁。そしてストレート位置には環奈さん。
以前はわたくしときららさんのブロックが破られましたが、今回は花美一のブロッカーの真中さんもいるし、わたくしに油断はない。完全に打ち取りましたわ!
「っぅ」
そして風美さんは跳び上がる。
大きな身体を広げ、その姿は蝶のよう。
そして幹のように太い左腕から放たれた一振りは、
風を巻き起こした。
「っあ!」
耳元で炸裂音。ですが痛みはない。横を見ると隣にいた真中さんの姿が見当たらない。後ろに大きくのけぞっているんだ。
そして少し遅れ、体育館の壁から何かが爆発したかのような大きな音が聞こえた。
この場にいる全員がボールの位置を探す中、目的物はゆっくりと宙から落ちてくる。
その周囲を少量の木の破片が覆っているのを見て、見上げる。
光が射していた。
先程までただの古い木の板が貼っていた場所にヒビが入り、外の光が漏れていた。
「苛烈に焼いたこの世界。残った全ては仄かな燐光。吹けばすぐに消えてしまうから、わたしの風で強く、激しく!」
蝶野風美は言う。
「『疾風騒嵐』、蝶野風美」
飛龍流火から授かったカチューシャのおかげで何にも阻まれない虚ろな瞳で。
「――全部、吹き飛ばしちゃうよ」
そう、宣言した。




