第2章 第5話 バレーのエチュード
〇環奈
「ほんとあんたって余計なことしかしないよね」
準備運動を終え、体育館の隅で何やら渋い顔で突っ立っている新世の脚を軽く蹴る。
「あら? 何か不都合でもありまして?」
あたしに気づいた新世は顔をいつもの人を小馬鹿にするような薄い笑みに戻す。ほんと一々腹の立つ女。
「不都合も不都合。なんで中学のこと話すかな……」
「なんだ、そっちですの」
新世にしては珍しく本当に驚いた顔を見せた。
「てっきり小野塚さん関係のことかと思いましたわ」
「なっ……! なんでそこで梨々花先輩が出てくるの!?」
「なんで顔を紅くしてるんですの……?」
「紅くなんてない!」
新世から顔を背けほっぺを両手で覆う。くそ……少し熱い……。
「小野塚さんと何かありまして?」
「別に。あんたには関係ない」
「そう言わずに。最低でも六年の関係になる仲ですのよ? お互い隠し事はなしにいたしましょう」
「どの口が言うか! あんたには何があっても教えないから!」
それに、教えたところでこいつが理解できるはずがない。
去年、あんな選択をした奴に。
「そんなことより中学の件! あんたのせいで扇さんにネチネチ言われたんだからね。なんで弱点とか教えなかったんだ、って」
あたしと新世が通っていた中学校、紗茎学園中等部。そこに通っていた生徒の大半はエスカレーター式にとある高校に進学することになる。
それは紗茎学園高等部。つまり、インハイ予選で花美と当たった相手だ。
「それはあなたが悪いのではなくて? 中高で一緒に練習してるのだから弱点なんていくらでも知っているでしょう」
「そうだけどさ……紗茎出身だって知られるのヤじゃん。絶対レギュラー争いとかめんどいことになるし」
紗茎学園バレーボール部は中高共に県内屈指の強豪校。高等部こそ二強と呼ばれる内の一角だけど、中等部はここ数年どの大会でも独擅場状態。
そんな学校からの出身者だなんてばれたら期待されるし疎まれるし気楽にバレーができなくなるに決まってる。実際は言わなくてもめんどくさいことになったけど、もしばれてたらさらにこじれてただろうことは想像に難くない。
「それに弱点っていうほどの弱点もないでしょ」
もちろん相手レギュラーの苦手なプレーを知ってることには知ってるけど、そもそもが強豪校。苦手でも下手というわけではないし、そもそも弱小校の花美が弱点を突けるはずがない。と試合が始まるまでは思っていた。
蓋を開けてみれば梨々花先輩が入る前でもそこそこ戦えてたし、もし事前に選手の特徴とかを教えていたら勝てないまでも善戦はできてたかもしれない。
もっとも、セッターが瀬田さんじゃなく梨々花先輩だったらという前提だけど。
「弱点がない……ねぇ。あるでしょう、目に見えてわかることが一つ」
「……それこそ言ってもしょうがないじゃん」
「なんの話ですか?」
コートで梨々花先輩たちとパス練をしていたきららがあたしたちが話しているのに気づいて駆け寄ってきた。
「試合の話ですわ。どういった戦法を取るか相談していましたの」
よくもまぁこんな平然と嘘がつけるもんだ。まぁ今回に限っては助かったけど。
「そ。普通にやったらまず勝てないからね」
「……それは自分がヘタクソだからですか?」
さっきハンデ扱いしたことを気にしているのかきららの顔がどうも暗い。どうにかして元気づけないと本当に勝てなくなっちゃう。
「違いますわ」
あたしがどうフォローするか悩んでいる間に新世がきららの言葉に即答していた。
「いいですこと? 確かにあなたは初心者でまだ下手なのかもしれない。でもそれがバレーボールにおいて絶対的な敗北の条件になることはありませんわ。なぜだかわかりまして?」
「……チームメイトがいるから、ですか?」
「正解ですわ。半分は、ですけれど」
新世は淡々とそう答えると、自分のドリンクの隣に置いていた手で持てるほどの大きさのホワイトボードを手に取った。これは作戦盤と呼ばれ、タイムアウト中なんかに選手にフォーメーションなどを説明するために使用するものだ。元々コートやネットの線などが引かれていて、磁石を選手に見立ててどう動くかを視覚的に見せることができる。
花美の備品にはなかったはずだから新世が持ってきたんだろうけど……ずいぶんと用意周到。入部する前から部の状況を探っていたっぽいし、指導者不在のことを知って自分がコーチ的ポジションになろうとしてたんだろうな。ほんっと偉そうでむかつく……。
こんなことしたら先輩に睨まれることはわかってるだろうに。嘘つきだしすぐ煽ろうとするし、不遜というかなんというか。絶対に怒られたくないあたしとは対極的な奴だ。やっぱりむかつく。
「スパイカーとブロッカー、一対一で戦った場合どちらが有利だと思います?」
新世は赤と青の磁石を一つずつネットを挟んでぶつかるように各コートにくっつける。ちなみに赤い磁石が貼ってある下が自陣、青い磁石の上側が相手チームとなる。
「えーと……五分五分ですか?」
「残念。正解は圧倒的にスパイカー側だよ」
あたしの答えに不思議そうに首を傾げるきらら。こういう時に作戦盤があると便利だ。あたしは赤い磁石を一旦外してきららを見る。
「青い磁石が相手スパイカーって考えみて。ほら、どこにでも打てるでしょ?」
青い磁石の先には何もないコートが広がっているだけ。実際にはどこにでも打つにはそれなりの技術がいるけど、今はそこは無視だ。
「でもブロッカーは相手が打つ場所を予想しないとボールを止められない」
赤い磁石をブロッカーに見立ててネット沿いの青い磁石の周辺をすっすっと移動させてみる。選択肢が無限にあるスパイカーに対し、答えが一つしかないブロッカー。こうしてみるとどちらが有利か明らかだ。
「なるほど……つまりどういうことですか?」
「止められないスパイクは止めなければいいということですわ!」
すっかり解説役を盗られてふてくされていた新世がここぞとばかりにホワイトボードに磁石を置いた。場所は相手スパイカーの直線上に一つ。この磁石はつまるところ、あたしだ。
「相手はブロッカーがいる場所以外どこにでもスパイクを打ってくることができる。でも裏を返せばブロッカーのいる位置にスパイクは打てないということになりますわ。環奈さん」
「はいはい」
別に新世と張り合うつもりもない。おそらく新世が指したいであろう場所、スパイカーの斜め側にブロッカー側の磁石を配置する。
「相手チームのスパイカーはアウトサイドヒッターの一ノ瀬さんとオポジットの扇さん……つまりレフトとライトですわ。このポジションの選手のスパイクは主に二種類。はい、翠川さん」
「え? えーとえーと……」
突然振られきららは頭に指を当て悩むが、すぐに答えを出す。
「クロス打ちと……ストレート打ち……?」
「正解ですわ」
新世はペンでホワイトボードに書き込みを加える。それはスパイカーの軌道の矢印。コート外からスパイカー役の青い磁石に向けて斜めに線を一本入れた。
「基本のスパイクは斜めから入って身体の向きのままスパイクを打ち込むクロス打ち。もう一つは助走は同じでコートを上から見てまっすぐになるように打ち込むストレート打ち。このどちらかを相手は打ってくるわけですが、この盤面だとスパイカーはストレートにしか打てませんわ。なぜだかわかりまして?」
青い磁石の斜め、クロス側には赤い磁石が構えている。つまり、
「ブロッカーがいるからです!」
「正解ですわ」
そう。つまり新世が言いたいことは、クロス側にブロックを跳んでスパイクをストレートに誘導するということ。そしてその先にいるのは、もう一つの赤い磁石。
「コースさえ絞れてればあたしに拾えないボールはない」
このきらら押し上げムードに水を差さないためにこう言ったけど、実際には全部が全部拾えるわけがない。でもどこに飛んでくるのかわからないボールより打つ場所が決まってるボールの方がとりやすいのは紛れもない事実。
「バレーボールは個人技ではありません。個人の実力が必ずしも勝敗に関わるとは限らない。できないことはチームメイトに任せ、できない分チームメイトを活かすために全力を注ぐ。それこそがバレーボールの鉄則ですわ」
「おー……」
ドヤ顔で胸を反らす新世に、真面目に感銘を受けて拍手するきらら。
まぁ言ってることは正しいし、顔がむかつく以外に言うことは何もない。
でも。こんなに真っ当なことを新世が言うとは思わなかったな。
四月から今までの間に何かがあったのか、もしくは元々こういう考え方だったけど隠してたのか。
わからないけど別に探るつもりはない。
新世がどんな性格でどんな変化をしようが、去年あんな選択をしたことが変わるわけではない。
だからあたしは新世珠緒を絶対に許さない。
「さぁ、そろそろ試合が始まりますわ。力を合わせて絶対に勝ちますわよ!」
「おー!」
新世ときららの気合いは体育館中に響いていたけど、あたしにはどこか遠く聞こえた。




