第2章 第3話 わたくしの知らない聖譚曲
「ところでみなさん。わたくし、先日のインターハイ予選の一戦を観客席から観ていたんですの」
この一言に全員の視線がわたくしに注がれる。その瞳の大半は突然の発言に困惑を覚えているようでしたが、一番気になる二人だけは別の色を見せていた。
何かを想うように目を細める小野塚さんと、出会ってからの三年間一度も見せなかったドス黒い色を瞳に宿した環奈さん。
……ほんと、相変わらず嘘が下手ですこと。
でも。だからこそ。疑惑は確信へと変わる。
あのインハイ予選の一回戦。選手同士の接触であっけなく終わったあの試合をきっかけに環奈さんの何かが変わった。いや、それ自体がきっかけかどうかはまだ判断不足ですわね。でもあの甘えた行動を見るに小野塚さんが関わっているのは明白。しかも環奈さんにあんな目をさせるほどの大きすぎる関りを。これはどうしても知っておきたいですわね。
さて、もう一探り。あの試合を観たのは事実ですが、ここからは嘘を交えて煽ってみましょう。
「確か試合結果は……見事なまでの惨敗、でしたわよね?」
実際は一セット目はともかく二セット目は二十三対二十五点と優勝候補相手にかなりの大健闘。本音を言うと環奈さんがいるとはいえこの学校が紗茎相手にあそこまで食い下がれるとは思っていませんでしたわ。でもやっていた側はそうは思わないでしょう?
「ああ、そうだな」
わたくしの煽りに一つも顔色を変えることなく答えたのは一ノ瀬さん。平静を装っているようですが、そこまで無表情だと怒りを抑えているのがまるわかりですわよ。一ノ瀬さんの奥にいる扇さんと翠川さんは普通にムッとした顔をしているし、やはりこの三人は環奈さんの変化に関わっていないようですわね。なら煽る対象を小野塚さん一人に絞りますか。
「そこでわたくしなりに敗因を分析したのですが、問題点はたった一つ。この部の体制ですわ」
「どういう意味だ?」
ここで出てきたのもやはり一ノ瀬さん。先程までと同じ無表情だが、どこか真剣味を帯びているような気がする。見た目や言動からただの馬鹿なヤンキーかと思っていましたが、部のためなら一年の無礼な言葉も受け入れますか。さすがは三年生といったところですわね。なら遠慮なく言わせてもらいましょう。
「この部、年功序列制でしょう?」
実際のところは完全な年功序列ではないのでしょう。そうでなければポジションが違うとはいえ小野塚さんが控えで初心者の翠川さんがレギュラーだなんてありえないから。
でも引退試合はやらせてあげようという気持ちは確実に存在する。でなければあんなセッターが試合に出るなんてありえない。
「上手い後輩より下手な先輩をレギュラーに入れる。そんなだから優秀な選手をこの時期まで入れられなかったのですわ」
「それって、絵里先輩が引退したから新世さんが入部した、ってことで合ってる?」
「!」
瞬間、悪寒。
あまりの迫力に鳥肌が立つことは珍しくないですが……ここまでは初めてですわね。
それほどまでに今の発言はあなたたちの核心に触れましたか? 小野塚さん。
「え、ええ。そうですわ。バレーボールをやる以上試合に出られなければ無意味。ましてや自分より圧倒的に格下の人間に年齢だけで負けるのは屈辱ですもの。だからあのセッターが辞めたこのタイミングまで待ってたんですの」
声が震える。冷や汗が噴き出る。足が小野塚さんから距離を取ろうと一歩下がる。
それほどまでに、今の小野塚さんの雰囲気は異常。
環奈さんのそれより暗く、黒い瞳がただわたくしを見つめてくる。
他の人の……特に環奈さんの反応が気になる。この状態の小野塚さんを見てどんな動きをとるのか。
でも身体が言うことを聞いてくれない。今小野塚さんから目を離したら一瞬で距離を詰められ首をかっ切られてしまうのではないかというありえない予感がわたくしを襲う。
「ならさ」
低く冷たい小野塚さんの声がわたくしを深く突き刺す。瞳孔が開き怒りを露わにしながらもゆらりと立っているだけの姿が不気味に思えて仕方ない。
「わたしがリベロになれなかったのっておかしくねぇか? 環奈ちゃんの方が上手かったから絵里先輩に……」
「梨々花先輩」
まるで地獄から生者を引きずり込むかのような漆黒の声が更なる深淵からの呼び声に遮られた。
「ダメ、ですよ?」
陰鬱。暗晦。簫殺。かわいくて仕方がない飼い犬を躾けるように発した環奈さんの声はそんな言葉が思い浮かぶほどに重苦しくじめじめとしたものだった。
「……うん、ごめんね?」
あれほどまでに恐ろしくて仕方がなかった小野塚さんの雰囲気が環奈さんのたった一言で煙のように消えてなくなる。それと同時に環奈さんの空気も元のものに戻る。残ったのは年相応の笑顔で微笑み合うただの二人の少女だけ。
「ほんとどうしたってんですの環奈さん……」
漏らしたわたくしの声は決して届かない。
わたくしがいくら小細工をしたところであの二人の深層に辿り着くことはできない。
そんなどうしようもない事実をわたくしと一切関係のないところで突き付けられた。




