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つなガール!  作者: 松竹梅竹松
第1章 わたしのおわりとはじまり
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第1章 最終話 こうして一人の天才バレーボーラーは姿を消した

〇環奈



「つかれたー……」


 準備を終えたあたしは、第三体育館の床に倒れるように寝転んだ。うひゃー、冷たい。火照った身体に染み渡るー。



 それにしても誤算だったなー。まさか花美駅に行く電車の始発が朝7時だったなんて。梨々花先輩がいつ退部届を出しに来ても間に合うように5時に起きて学校に向かったのに、乗り換えで1時間以上かかってしまった。そのせいで学校まで坂道を全力ダッシュする羽目になって汗だくになってしまった。一応髪はセットし直したものの、6月の湿気も相まって上手く決まっていない。



「さて、どうなるかな……」

 髪を犠牲にしたおかげでなんとか退部届の提出は免れた。でも本番はここからだ。なんとしてでも梨々花先輩を止めなければならない。そのための準備はしたけど、正直どう転ぶかはわからない。



 でも梨々花先輩はあっさりあたしの練習に付き合ってくれることになった。たぶん心の奥底ではバレー部を辞めたくないんだと思う。それをどう引き出すかがあたしの課題だ。



 あたしが今からやろうとしていることは間違っている。梨々花先輩を無理矢理縛りつける最悪の手だ。きっと今のあたしを昔のあたしが見たら心底馬鹿にしてくると思う。



 でもしょうがない。今あたしにできることもやりたいこともやらなければならないことも間違えることだけだ。



 体育館の扉がゴロゴロと音を立てて開かれると同時に、あたしは震える脚で立ち上がる。



 あたしの視界には梨々花先輩しか映っていなかった。




〇梨々花



「遅かったですね、梨々花先輩」


 第三体育館に入ると、着替えを終えた環奈ちゃんがニコニコと笑っていた。



「環奈ちゃんが汚した職員室の掃除をやってたからね」

「あぁそれはありがとうございます。あたしも体育館の準備をやってましたよ」


 確かにネットは既に設置されていて、ボールも用意してある。怒ろうかと思っていたが、どうやらそれはできないようだ。



「梨々花先輩も着替えますか?」

「ううん、わたしはいいよ」


 もうホームルームが始まるまで1時間もないし、第一練習着を持ってきていない。それに環奈ちゃんも下はスカートのままなので、そこまで激しい練習をする気はないだろう。


 それに、ただの練習というわけでもないようだし。



「ごめんね。それ、今日持ってきてないんだ」


 環奈ちゃんが着ている、わたしとお揃いのTシャツ。胸元に大きく『繋ぐ』という文字が刻まれたシャツを見てわたしは言う。



「あたしもう一枚練習着持ってきたんでそれ着ますか?」

「それはわたしへの喧嘩と受け取るけどいい?」


 わたしは環奈ちゃんのシャツを着れない。いや、正確に言うと着ることはできるのだが、だいぶぶかぶかになってしまう。身長自体はたいして変わらないのに、環奈ちゃんの大きな胸のせいでわたしと環奈ちゃんのシャツのサイズは合わないのだ。


 だから環奈ちゃんが今着ているシャツはパツパツで、胸の形がくっきりと出てしまっているせいで『繋ぐ』という文字が少し歪んでいる。ちなみにわたしがもらったシャツを着た場合、下になにも履かなくてもよくなるくらいになる。ほんとこの世界は理不尽だ。



「まぁまぁとりあえず。パス練でもしましょうか」


 パス練とはお互いがボールをレシーブし合い、とにかく落とさないようにする練習だ。とは言ってもわたしと環奈ちゃんではほとんど無限に続いてしまう。わたしがネット際、環奈ちゃんがアウトライン側に立って5分ほど続けてみたが、なんのアクシデントもなくボールはわたしたちの間を行き来する。



「……ごめんね、環奈ちゃん」

 少し退屈を感じてきたので、いい機会だとわたしは環奈ちゃんに謝罪する。



「なにがですか?」

「試合の最後。環奈ちゃんが繋いでくれたボールを受け取れなかったから」


 話をしていてもわたしと環奈ちゃんのレシーブは綺麗に相手に返っていく。ポン、ポン、とリズム良く鳴るボールの音が耳に心地いい。



「……あれはあたしのミスです。梨々花先輩が謝ることじゃありません」

 環奈ちゃんのトスがわずかに乱れる。わたしは少し右に移動し、綺麗に環奈ちゃんにボールを返す。



「ううん、わたしが悪いの。あの場面はフォローに回るべきだったし、なにより絵里先輩に譲るべきだった。わたしバレーやってると細かいことが考えられなくなっちゃうんだよね。嘘がつけなくなるっていうか……とにかくバレーに向いてないんだよ」


 他にも絵里先輩のトスを無理矢理奪ったり、成功するかわからないレシーブでのトスをしたり。試合中は無心だったが、今考えてみると相当無茶なことをした。



「来てくれたのも絵里先輩に頼まれてでしょ? あの人はすごいからね。わたしが辞めるのをなんとなくわかったんだろうね。でもごめんね、絵里先輩が辞めちゃった以上バレーを続ける気はないんだ」


 わたしの言葉に環奈ちゃんはなにも返さない。表情を見る余裕はないが、どことなく怒っているような気がする。そりゃそうだ。朝早く来させられてやりたくもない説得をしてるんだもん。誰だって怒りたくなる。



「だからもう大丈夫だよ。環奈ちゃんは環奈ちゃんのためのバレーをやって」


 言いたいことは全て伝えた。もう終わりにしようと、わたしは環奈ちゃんの遥か後方にボールを返す。これで全て終わった。



 はずだった。



「梨々花先輩っ!」


 しかし環奈ちゃんはボールが向かう方向に駆け出した。その様子はまるで試合の最後のプレーの焼き直しのようだった。



 ボールが床に落ちる寸前、環奈ちゃんは飛びつくとボールを高く上げる。落下地点はちょうどわたしが立っている場所。それはほとんどあの時と同じだった。ただ唯一違うのが、絵里先輩がいないということ。このボールを上げられるのは、わたししかいない。



「くださいっ!」


 床に倒れた環奈ちゃんはすぐさま立ち上がると、ネットに向かって走り出す。トスを上げろとわたしを呼んでいる。



 ボールがわたしの上げた手に届く瞬間、環奈ちゃんが跳び上がる。だが身長のせいで高さは全くなく、おそらく最高到達地点はネットをギリギリ超える辺りだろう。



「環奈ちゃんっ!」


 だからちょうど環奈ちゃんが一番高くなるタイミングを見計らい、わたしはトスを上げた。激しく空を切り、一直線に高速で飛んでいくボールは、絵里先輩のそれとは比べものにならないほど汚いトスだった。



 それでもボールは綺麗に環奈ちゃんの最高打点に届き、スパイクはネットを超えて向こうのコートへと落ちていく。



「環奈ちゃん……」


 着地し、肩で息をする環奈ちゃんに声をかける。わたしのトスはすごく打ちづらかったことだろう。ごめんね、と続けようとすると、わたしの声をかき消すほどの大声を環奈ちゃんは発した。



「さいっこうのトスでしたっ!」



 練習が始まってから初めて見ることのできた環奈ちゃんの顔は、満面の笑みだった。



「瀬田さんにはあんなトス無理です。梨々花先輩だったからあたしはボールを打てたんです。梨々花先輩じゃなきゃだめなんですっ!」


 満面の笑みのまま、それでいてどこか泣き出しそうな顔で環奈ちゃんはわたしに駆け寄ってくる。そして汗に濡れた手でわたしの手をとると、顔を大きく近づけた。



「あたしは梨々花先輩のためにバレーをやります」



 「だから」と、環奈ちゃんは言う。



 その表情は、いつものわたしと似ているような気がした。



「梨々花先輩はあたしのためにバレーをやってください」



 わたしの手をとった環奈ちゃんの手が震える。いや、震えているのはわたしの手だ。その手に、どちらのかわからない水滴が落ちる。



「……そんな、だめだよ……。もうわたしは終わったんだから……。わたしに付き合ってたら環奈ちゃんまでだめになっちゃう……」


 環奈ちゃんの手から抜け出そうとするが、わたしを覆っている手は強く握られていて離れられない。



「それでもいいんですっ! あたしは梨々花先輩と一緒にバレーがやりたいんですっ!」


 環奈ちゃんの爪がわたしの手に食い込む。わずかに滲んだ血が環奈ちゃんの指先に絡み付く。



「瀬田さんじゃなくて、あたしのためにバレーをやってくれませんか……?」



 爪のことに気づいた環奈ちゃんは、わたしからゆっくりと手を離す。この手がなくなってしまったらわたしの側から人がいなくなってしまう気がして、



「――うん、わかった。環奈ちゃんのために、バレーをやるよ」



 わたしは環奈ちゃんの手をとった。急いで掴んだせいでしっかりとは握れていないが、繋がった手からは確かな環奈ちゃんの体温を感じる。今まで冷たかったわたしの身体を環奈ちゃんが温めてくれる。その感覚が気持ちよくて、わたしは手を離せない。



「これからよろしくね、環奈ちゃん」

「はい、梨々花先輩」



 重なったわたしたちの手には、お互いの指が歪な形で絡まっていた。



第1章 了

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