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つなガール!  作者: 松竹梅竹松
第1章 わたしのおわりとはじまり
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第1章 第31話 だからあたしは間違い続ける

「それにしてもよく気づいたね、私が梨々花のこと嫌いだって。上手く隠せてたと思ってたんだけど」



 転がったあたしを起こそうともせず、低く暗い口調で瀬田さんはあたしを褒める。それなのにどこか馬鹿にされたような気がして、あたしは床に倒れたまま瀬田さんを睨みつける。



「最初に違和感を覚えたのはあなたが言ったインハイ予選でバレーを辞める理由でした。梨々花先輩が試合に出られるようにするために引退するって言ってましたけど……それっておかしいですよね。だって瀬田さんが今回で最後って話、入部初日に聞きましたよ。瀬田さん、あなた梨々花先輩より上手いリベロが入ってくるって去年の時点で知ってたんですか?」


「あーそっか、環奈にはそう言ったんだっけ。梨々花たちには他にやりたいことがあるからって言ってたんだよ。まぁ全部嘘なんだけどね。ほんとはただ梨々花から逃げたかっただけ」


 フランクな言葉遣いなのに、瀬田さんは眉一つ動かさず淡々と言葉を発する。まるで台本をただ読み上げているかのようだ。その様子に不気味さを覚えながらも、あたしは続ける。



「初めはなんか変だなーってくらいにしか思ってなかったんですけど、梨々花先輩とは遊びに行かないのにあたしを遊びに誘ったって知って、おかしいと気づきました。それで極めつけは今日の試合。梨々花先輩を出すのに抵抗してたのも、わざと負けにいったプレーも、梨々花先輩が嫌いで無理をしてでも潰そうとしたのだとしたら全部合点がいきます。」



 そう。合点がいくだけなんだ。でもその根本の原因、瀬田さんが梨々花先輩のことを嫌いになった理由がわからない。さっきストーカー染みていると言っていたような気もするが、それだけのことでわざと負けるほど、他の3年生の二人が瀬田さんを気にかけるほど嫌いになるとは思えない。



「梨々花先輩の、なにがそんなに嫌いなんですか……?」



 身体を起こし、地べたに座り込んで訊ねる。横になっている時には気づかなかったが、頭が少しクラクラする。立ち上がるにはまだ時間がかかりそうだ。



「なにが嫌いか、ねぇ……全部嫌いなんだけど、一番嫌いなところ、きっかけになったのはやっぱりあれだね。梨々花の天才性だよ」



 『梨々花はバレーボールの天才だから』。以前の瀬田さんの発言が脳にフラッシュバックする。その時の表情と今の表情はよく似ていた。そう思うと瀬田さんはずっと前からあたしに伝えていたのかもしれない。梨々花先輩には気をつけろ、と。



「環奈もわかったと思うけどさ、梨々花って天才じゃん。少し練習しただけですぐになんでもできるようになっちゃう本物の天才。その天才がさ、なんの才能もない、平凡で普通な私に憧れて、神聖視してるんだよ。そりゃ私としてはプレッシャーを感じるわけだよ。だって私は全然すごくなんかないんだもん。それなのに無駄に持ち上げられて、理想の先輩を求められて、期待に応えざるを得なくなる。だから努力するんだけど、いくらがんばっても天才には敵わない。それでも梨々花はずっと私を褒め称えてくる。こんな生活をもう四年以上続けてるんだよ。もうありえないでしょ。耐えられないでしょ。嫌いになるしかないでしょ?」



 瀬田さんの視線がまっすぐあたしに注がれる。表情こそ変わっていないが、その瞳はわずかに揺れていて、まるであたしに助けを求めているように見えた。



「でも梨々花先輩は悪くないじゃないですか……」


 まだ揺れている頭を抑え、あたしは無理矢理立ち上がろうとする。あたしにできることは瀬田さんを否定し続けること。そうじゃないと、梨々花先輩が浮かばれない。



「まぁそうだよね。梨々花は悪くない。悪いのは一方的に嫌ってる私だよ」

 瀬田さんはそう言って一瞬どこか自虐めいた笑みを見せると、よろよろと膝をついたあたしに手を差し伸べた。



「でも環奈も梨々花のこと嫌いでしょ?」



 そう言われ、あたしは一瞬言葉を失う。だって手を差し出した瀬田さんの顔が、今まで見た中で一番優しい笑みを浮かべていたのだから。



「そんなわけ……ないじゃないですか……!」


 あたしは差し出された手を力いっぱい弾き、自力で立ち上がる。手を払いのけられた瀬田さんはあたしを一瞥すると再び手すりに寄りかかり、空を見上げた。夏も近くなり、もう夕方だというのに空は依然青く輝いている。



「でも環奈も思わなかった? 梨々花がむかつくって」

「思うわけないっ!」


 襲いかかってきた毒蛇を追い払うように、あたしは大声で瀬田さんを否定する。



 本当は、少し思っていた。



 サーブで連続で点をもぎ取った時、試合に出てすぐ蝶野のスパイクをレシーブできた時、きららへの完璧なトスを上げた時、スパイクを直接トスする神業を見せた時、最後のレシーブの時。あたしは梨々花先輩の天才っぷりに驚愕した。恐れおののいた。嫉妬した。あたしよりリベロとして、バレーボールプレイヤーとして上手い梨々花先輩に勝ちたいと想った。確かに心のどこかではむかつくと思っていたのかもしれない。



 でもそれを認めてしまったら、瀬田さんの言葉にうなずいてしまったら、梨々花先輩を否定することになる。



 だからあたしは瀬田さんを、自分を否定することしかできなかった。



「ふーん、そうなんだね」


 あたしの答えに、瀬田さんは心底馬鹿にした笑顔を見せる。その笑顔はあたしの本心を全て見通しているようで、思わず目を背ける。



「じゃあいいこと教えてあげよっか」


 しかしあたしの逃走を瀬田さんは認めなかった。



「梨々花のリベロ歴って一年ちょっとなんだよ」



「……え?」


 あたしの視線が自然と瀬田さんに向く。瀬田さんは哀しそうな、うれしそうな顔で笑っていた。



「小学校ではリベロはないし、中学では最初の二年間はずっと球拾い。3年生ではリベロになれたけど高校では一年目は控え選手で、その後は人数不足でずっとセッター。それで今年は知っての通り。ほら、梨々花がリベロをやれたのって中学3年の時だけなんだよ」



 瀬田さんの言葉はあたしを陥れるための嘘ではないと思う。一ノ瀬さんや扇さんもそのようなことを言っていた。



 でもさすがにそれはありえない。だってあたしは全国でも最上位のリベロだ。一年やそこらの経験で抜かれるわけがない。抜かれるわけにはいかないんだ。



「うわ、試合に負けた時の梨々花と同じ顔してる」


 瀬田さんがあたしを見てくつくつと声を出して笑い出す。その顔は心底うれしそうで、今のあたしがよっぽどひどい顔をしているのだと気づかされる。



「環奈はリベロの天才かもしれない。でもそれ以上に梨々花はバレーボールの天才なんだよ。たぶんまだ純粋なレシーブの上手さなら環奈の方が上だと思うよ。でもそれもいつまで持つか。断言するよ、この先必ず環奈は梨々花にリベロの座を奪われる。それでも梨々花のことが好きでいられる?」


 瀬田さんの底のない暗闇のような瞳がまっすぐあたしを捉える。まるでその暗闇にあたしを誘うように。だがどれだけ事実を突きつけられようが、あたしの答えは変わらない。



「大大大好きでいられます。尊敬しまくります! 梨々花先輩のためにバレーをやりますっ!」


 あたしがそう即答すると、瀬田さんは初めて顔を歪めた。嫌悪感を露わにして、明確な敵意を向けながら、わずかにあたしを心配した表情で瀬田さんはため息をつく。



「わからないなぁ。誰かのためになにかするって間違ってると思うんだよね。自分のために生きろ、みんな言うよ」


 瀬田さんの言っていることは間違っていない。あたしだってそう思っているし、前までは自分のためにバレーをやって、そして先の試合では自分のために勝ちたいと想った。そのことは人間として間違ってないと思うし、バレーボーラーとして正しい思考だと思う。それでも。



「間違ってても、いいじゃないですか」



 あたしのためのバレーボールでは試合に勝てなかった。梨々花先輩には繋がらなかった。あたしに必要なのはその事実だけだ。



 あの日、二人で遊びに行った日に決めたこと。梨々花先輩のためにバレーをやる。その誓いをあたしは自ら破ってしまった。



 他人のためにバレーをやるなんて間違っている。そう思っているのは今でも変わらない。



 きっとバレーの腕は落ちるだろうし、リベロは梨々花先輩に取られるだろうし、梨々花先輩がいなくなったらなんのためにバレーをやればいいのかわからなくなる。



 それでもいいんだ。間違っていても、正しくなくても、今は梨々花先輩のためにバレーができれば。



 それが梨々花先輩から全てを奪った責任であり、梨々花先輩から想いを繋いだあたしのやるべきことだ。



 それだけは間違いない。



「ほんと狂ってるなぁ……。これだから天才ってやつは。おかしいよ、梨々花も環奈も」


 瀬田さんの顔にさっきまでのような揺らぎはもうない。ただただ純粋にあたしのことを汚物を見るような目つきで睨んでいる。



「意気込んでるところ悪いけどさ、梨々花はバレーを辞めるよ。憧れの私が引退、しかも自分のプレーのせいで引退することになったんだもん。あの子はバレーを続けられない。続ける理由がないんだよ」

「あたしがそんなことはさせません」


 悪意のこもった笑みを浮かべる瀬田さんに、あたしははっきりと伝える。もう涙も迷いもない。梨々花先輩を止めることがあたしの使命だとわかっているから。



「……はぁーあ」


 覚悟を決めたあたしの顔を一瞥すると、瀬田さんはつまらなそうに深く息をつく。もうあたしのことは完全に見限った様子だ。



「私環奈のこと嫌いじゃなかったんだけどなー。いつもどこか怯えてて、周りを気にしてて、自分のために生きてて。すごく人間らしくてかわいかったのに」


 手すりから背中を離し、瀬田さんはゆっくりと非常用階段を下っていく。もうこの人はこの先二度とこの世界に立ち入ることはないんだろうな、とその背中を見て確信した。



 そして下の踊り場に着くと、首だけあたしを振り返る。あたしより遥か下に立つ瀬田さんの顔は、造りものでも悪意に満ちたものでもない、初めて見る本物の笑顔をしていた。



「でもごめんね、大嫌いになっちゃった」

「ごめんなさい、あたしは最初から最後まであなたのことが大大大嫌いでした」


 あたしのその返答に満足そうに笑みを深めると、瀬田さんの姿は完全にあたしの視界から消えた。

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