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つなガール!  作者: 松竹梅竹松
第1章 わたしのおわりとはじまり
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第1章 第26話 ジーニアスは止まらない

「すごいよぉぉぉぉぉ、梨々花ちゃんすごいよぉぉぉぉぉ……」



 ベンチに戻ると、真っ先に扇さんが梨々花先輩に抱きついた。すごいのはこの状況で梨々花先輩のない胸に顔をうずめているこの人だろうに。



「あはは……。環奈ちゃん、さっきはフォローありがとな」

 扇さんの頭を撫でながら、まだ汗一つかいていない梨々花先輩はあたしに笑顔を向ける。



「いえ、大丈夫です」

 顔だけは笑っているものの、その瞳の奥には依然プレー中の冷たい雰囲気が残っている。集中はまだ途切れていないようだ。それは訛りを隠す余裕がないことからもわかる。



「美樹、次わたしにスパイクが飛んできたら『あれ』、やんべ」

 梨々花先輩がそう言うと、扇さんが勢いよく顔を上げる。その顔にはさっきまでの興奮の色はなく、少し心配そうに眉をひそめている。



「……大丈夫なの?」

「うん。さっきは乱しちまったが、修正する」

 あれ? あれってなんだろう。扇さんの不安そうな表情を見る限り安心してできることじゃないっぽいけど……今はこっちの方が気になる。



「絵里、大丈夫か?」

「うん……まだいけるよ」

「無理するなとは言えないけど、あともうちょっとだけがんばって」



 あたしたちの一団を離れ、なにかを相談している3年生の三人。あたしたちに聞こえないよう小声で話しているが、聞き耳を立てるとわずかに内容がわかってくる。



 一ノ瀬さんと真中さんが部長さんを気遣っている……? もしかして部長さんはどこか怪我を……? だとしたら辻褄が合うけど……でも……。



 考えている内にタイムアウトは終わり、あたしたちは再びコートに立つ。サーブは梨々花先輩のままで、あと5点取ればデュースに持ち込める。


 でも紗茎の選手は徐々に梨々花先輩のジャンプフローターに対応し始めている。これまでのようにサービスエースを決めることは難しいだろう。


 梨々花先輩もそのことがわかっているのか、いつもより入念にボールの感触を確かめている。その頃合いを見て主審はサーブ許可の笛を吹いた。



 瞬間、梨々花先輩はボールを空に放る、さっきまでは8秒たっぷり使っていたのに、今回は1秒も経っていない。その緩急の差に、身構えていた紗茎の選手の脚がわずかに下がった。


 そして梨々花先輩はボールめがけて駆け出すと、腕を後ろに下げて重心を大きく沈めた。その反動を使い大きく跳び上がった梨々花先輩は、腕を大きく振りかぶり、力いっぱい振り抜いた。



 そのモーションはさっきまでのジャンプフローターではなく、一ノ瀬さんや蝶野のような、スパイクサーブ。


 だが梨々花先輩に二人のようなパワーはない。速度はそこまで出ていないが、それでも虚を突かれた紗茎には十分だった。



 ジャンプフローターが来ると思っていた紗茎の選手は梨々花先輩のサーブにまったく反応することができず、蝶野の前方にボールがみ着弾した。



「――チョーエッチ……」

「だからノータッチエース」


 あまりの見事さに初心者のきらら以外は声も出ない。この会場にいる全ての人、あの梨々花先輩ラブの扇さんまでもが、ただ呆然とした顔で梨々花先輩の冷静な顔を見つめていた。



 梨々花先輩のスパイクサーブなんて練習でも見たことない。それなのにこの圧倒的に不利な状況で、しかも相手の虚を突くためだけに打つなんて……。なんて強い心臓……いや、バレーのセンスが凄すぎる。



 ……そういえば、誰かが以前梨々花先輩をそういう風に称してたような気がする。誰だっけ……?



 思考も追いつかない間に、次のサーブが始まる。今度は8秒いっぱい、そして相変わらずのキレのいいジャンプフローターが紗茎を襲う。そのサーブをわずかにレシーブが乱れながらもしっかりと上げた紗茎は、今度はタイミングの速い速攻を使ってきた。



「っあ!」

 ブロックこそ間に合わなかったが、あたしはスパイクを正面からレシーブすると、ボールを部長さんの真上に上げる。


 それと同時にきららはわずかに下がり、助走を始める。ボールは綺麗にセッターまで返ったし、ここは速攻がベターな手だ。



 そして部長さんのトスとほとんど同時にきららは跳び上がる。いくら相手が強くても、185センチのきららの高さには追いつけない。しかしそれは部長さんのトスも同じだった。



 速攻なのに緩く上がったトスはきららが落ちてくるタイミングで手に当たり、完璧にブロックに阻まれてしまった。


 ブロックに当たったボールがうちのコートに落ちてくる。この試合で何度も見た光景。だからこそあたしもすぐに動けた。



「っくぅ」

 あたしは落ちてくるボールに飛びつき、なんとかボールを上げる。が、少しネットから離れてしまった。



 ここからが問題だ。この定位置からずれた場所、セッターとしての実力が試される場面。きっと部長さんは安全にエースの一ノ瀬さんにボールを上げる。それがエースの役割で、バレーのベターだ。


 でもそれは紗茎もわかっている。ブロッカーは既に一ノ瀬さんの前に駆け出しているし、ブロックを揃えられたら一ノ瀬さんじゃ突破できない。かと言って部長さんがそれを予期して他の人にトスを上げるかというと、絶対にそんなことはないと言い切れる。2対2でもわかったが、この人のバレーはいつだって教科書的。いつだってただ綺麗なだけのトスを上げるだけだ。



 ならあたしにできるのは一ノ瀬さんがブロックに捕まった時のフォローだけ。あたしが一ノ瀬さんに近づこうとすると、近くから声がした。



「きららちゃん入って!」



 その声は本来後ろにあるはずの声。慌てて向くと、部長さんを押しのけてトスを上げようとする梨々花先輩の姿があった。



「はいっ!」


 梨々花先輩に促され、きららはすぐに助走を始めて跳び上がる。でもきららを使うと宣言したことで、紗茎のブロッカーも戻ってきている。ここであえて扇さんや一ノ瀬さんにトスを上げるというのも一つの選択肢だが、梨々花先輩が選んだのは宣言通りきららだった。



 高く跳んだきららの手に速いトスが注がれる。でも少し高い! ボールはわずかにきららの手の先を飛んでいく。



 それに気づいてあたしと一ノ瀬さんがボールの先に駆け出すが、その必要はなかった。



「ふんっ」

 きららは最後に腕を伸ばし、なんとか指先にボールを当てた。その結果ボールはブロックの上を弧を描いて飛び越えていき、相手のコートに落ちていった。



 主審が花美の得点を告げる笛を吹き、続いて副審がタイムアウトの笛を鳴らす。紗茎が最後のタイムアウトを取ったんだ。



「梨々花さん、ちょっとボール高かったですよ!?」

 ベンチに戻るや否や、真っ先にきららが梨々花先輩に頬を膨らませて抗議する。



 確かにきららからすれば梨々花先輩の高くなったトスを必死にフォローしたような形だけど、あたしの目には別のように映っていた。



 普通に打ってはブロックを突破できないと思った梨々花先輩がわざとトスを高く上げ、指先に当てさせた。



 セッターの役目は必ずしもスパイカーが打ちやすいトスを上げることだけじゃない。それも必要な要素だが、時にはスパイカーの能力を引き出し、スパイカーにとっては不服でも点を取れるトスを上げることも求められる。



 つまり梨々花先輩はきららの力を最大限に引き出し、点を取らせたんだと思う。


 そんなことを微塵も思っていないきららに、梨々花先輩は小さく笑って答える。



「ごめんごめん。でも、打てたべ?」


 梨々花先輩の微笑みを見て予想は確信に変わった。梨々花先輩はミスならきちんと謝るはずだ。そしてなにより、微笑みの中に冷たい目つきを秘めている今の梨々花先輩がミスをするとは思えない。



「絵里先輩、トスを奪ってしまいすいませんでした」

 きららの抗議をいなした梨々花先輩は顔を無表情にして部長さんに頭を下げる。



「……ううん、点も入ったことだし気にしなくていいよ」

 相変わらず部長さんは笑顔を浮かべているけど、この人はわかっているのだろうか。



 梨々花先輩の方がセッターとして上手だということを。そして無自覚だろうが、梨々花先輩はそれをわかったからこそトスを奪ったということを。



 部長さんに冷ややかな視線を送っていると、それに気づいたのか部長さんはニコニコ笑いながら近づいてきた。やばい、怒られる。軽く身構えると、部長さんがちょうどあたしの前に来たタイミングでタイムアウトの時間が終わりを迎えた。あぶな、助かった……。



 部長さんがコートに戻るため、あたしの横を通り抜けていく。その瞬間、耳元に生暖かい風が吹いた。



「私の言った意味、わかった?」



 部長さんはそれだけ囁くと、振り返りもせずにコートに歩いていく。



 言った意味……? なにが……? いつのこと……?



 部長さんの意図はわからないが、なぜか背筋を冷たい汗が伝っていった。



「環奈ちゃん、行くよ」

 しばらく固まっていると、梨々花先輩が優しくあたしの肩を叩いた。



 冷たい目つきをしているとは思っていたが、いざ見つめられるとそんな生易しいものじゃないことに気づく。視線はあたしに向けられているはずなのに、その瞳にはあたしの姿はない。果てしない暗黒がただそこには存在していた。



「は、はい……」

 震える声でそれだけ返すと、あたしは走ってコートに戻る。脚を動かしていないと身体の芯から凍ってしまいそうだった。



 とにかくこれで得点は21対24。あと三点でデュース。そして五点でこのセットを取ることができる。今の梨々花先輩のサーブなら5点連続でサービスエースを取ることだって可能のはずだ。



 そう思っていると、梨々花先輩のサーブが紗茎のリベロに綺麗に上げられてしまう。まずい、梨々花先輩のサーブなら決めてくれると完全に油断してた。身体が動かない……。



 紗茎のセッターが上げた先は、スーパーエース蝶野。蝶野のバックアタックが来る。動け、動け脚……!



「っうぅ!」

 幸いにもスパイクはあたしではなく梨々花先輩に放たれる。しかしレシーブが上手くいかなかったのか、ボールは徐々に高さを上げながら右に逸れていく。そのタイミングで脚が動いたものの後の祭り。ボールは既にあたしの前を通り過ぎていった。



「扇さ……」

 左利きでライトからの方が打ちやすい扇さんはレフトから移っているはず。だからあたしの右側にいるはずの扇さんにフォローを頼もうとしたが、あたしの声は途中で止まってしまった。



 なぜなら扇さんは既に跳び上がっていたからだ。しかも、スパイクモーションで。



「ぁあっ!」

 高速で動いていくボールに扇さんは腕を叩きつけると、ボールは相手コートに鋭く落ちていった。



「――は?」



 あたしも紗茎の選手も、審判ですらなにが起きたかわからず固まっている。だって今のはありえないはずの攻撃だから。



「「いぇーいっ!」」



 そんな中、梨々花先輩と扇さんが笑顔で抱き合った。その様子を見て、ようやく主審がピュー……、と震えた音で笛を吹く。



「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」



 次いで会場のいたるところからそんな驚愕の声が聞こえてきた。あたしたちや紗茎の選手はおろか、初心者のきららですら驚きを隠せていない。



「な、なななにが、なにがががが……!」



 きららが訊こうとするが、声が上手く出ていない。それほどまでに今のプレーは尋常じゃなかった。



 レシーブミスし、凄まじい速度でコートの外に飛んでいくボールを扇さんが打った。言葉に表すとそれだけのことだが、まずありえないという思考があたしの脳内を支配する。



 だってボールの速度的に扇さんは梨々花先輩がレシーブする前から跳んでいたから。つまり扇さんはボールがそこに来るとわかってたってことで……。だとすると梨々花先輩のレシーブはミスじゃなかった……? そして扇さんが跳んだ場所に合わせてレシーブを上げた……? それに一度目のタイムアウトで梨々花先輩が言っていた『あれ』がこのことだとしたら、やっぱり意図的だってことに……。



 いやいやそんな馬鹿な。あの全国区のスーパーエースのスパイクを速度とタイミングを合わせて狙った場所にボールを上げるなんて離れ技、あたしにだってできやしない。



 ――じゃあ……あたしよりも……上手い……?



「ちょっと練習後に美樹と日向と練習してたんだ。まぁできたらいいべーって程度のお遊び感覚だったんだけんども。上手くいってよかったよ」

「みきと梨々花ちゃんのラブラブコンビでしか使えない愛の共同作業だよ! 水空ちゃんじゃ無理なんだからねっ!」



 扇さんがなにか言っているが、そんなことより梨々花先輩の発言だ。



 お遊び感覚……? お遊び感覚であんなことができたの……?



 それに梨々花先輩はリベロを外されてからほとんどレシーブの練習をしていない。それなのに練習後のほんの少しの時間で……あたしより……上手く……?



「そんな……ありえない……!」



 あまりにも非現実的な話に、思考が口に出てしまう。



 だって……だってだってだって!



 あたしの方が……上手かったのに……!



「そんな大したことじゃねぇべ」



 梨々花先輩の声が微かに笑いを帯びる。たぶん梨々花先輩にはなんの他意もなかったんだろう。でもあたしには、それが嘲笑に聞こえて仕方がなかった。



 梨々花先輩のどこまでも冷たい視線が、あたしを獲物として捉えた。



「あの程度、環奈ちゃんでもできんべ」



 ――あぁ、思い出した。



 『私の言った意味、わかった?』。部長さんのその言葉の意味が。



 梨々花先輩がサーブ位置に立ち、七度目のサーブを打つ。ジャンプフローターで放たれたボールは、ネットの上ギリギリを通って前衛の選手の頭上に落ちる。そのサーブに対し、やはり紗茎は基本に則ってオーバーハンドでレシーブを上げようとする。



 しかし基本なんかでは、梨々花先輩は止められない。



 以前3年生の先輩たちと居残りで2対2をやった時、部長さんはこう言った。



 『梨々花はバレーボールの天才だから』、と。



 紗茎の選手が取ろうとしたボールは手元で大きく浮き、コートの中央に向かっていく。そのボールを拾うため、紗茎の選手六人全員がコートの中央に跳んだ。



 しかし誰の腕にも触れることなく、ボールは静かな音を立てて床に落ちる。そして打ち合わせたかのように、全員が倒れたまま一斉に梨々花先輩を苦々しく睨んだ。



 全国に出場したことのあるチームが、このコートで一番背の低い梨々花先輩を見上げている。



 バレーボールは高さが命のスポーツだ。だからこそ身長の低い梨々花先輩をバレーの天才と称した意味がわからなかった。



 しかしこの光景を見て、ようやく理解できた。



 高さというどうしようもない壁をいとも容易く越えていった梨々花先輩。



 その姿は紛れもなく、バレーボールの天才だった。

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