第1章 第22話 インハイ予選1回戦 花美高校VS紗茎学園高等学校
〇梨々花
最近時の流れが速く感じる。年齢を重ねるほど体感時間が短くなり、ニ十歳を迎える頃には人生の折り返し地点に立っているという話を聞いたことがあるが、中々信憑性を帯びてきた。
ついこの間高校に入学したかと思えば、いつの間にか新入生が入ってきて、あっという間にインターハイ予選が始まった。
1回戦の対戦相手は、紗茎学園高等部。ショッピングモールがある紗茎町に校舎を構える私立高校で、全国大会にも何度となく出場している強豪校だ。わたしたちの県は高校数の関係で地区大会がなく、シード校制度もないため1回戦目から弱小校と優勝候補がぶつかってしまうこともある。それが花美だなんて本当に運がない。
当然ながら、万年1回戦負けの花美高校とは格が違う。試合はあまりにもスムーズに進み、第1セットは16対25で、うちの負け。これを落とせば負けが決まる第2セットも、14対23でかなりの劣勢だ。
選手一人一人の実力を足し算してみれば、うちはそこまで紗茎学園に劣っていないと思う。絵里先輩は上手いし、スランプを乗り越えた環奈ちゃんは完全に向こうのリベロより勝っている。朝陽さんや胡桃さんだって向こうの同ポジションと大差ないレベルの実力を持っていると思う。
だが身長の低い美樹、練習にあまり参加できていない日向に、初心者のきららちゃんは確実に紗茎学園に劣っていた。
バレーボールはチーム全員の力を掛け合わせ、それを一丸として戦うスポーツだ。たとえ一人でも実力が低ければそれがやがて大きな穴となり、チームの敗北を招くことになる。
この試合も美樹と日向の攻撃はまったく通用せず、きららちゃんのまだまだ練度の足りない速攻は絵里先輩のトスとタイミングが合わずにいる。それをフォローするように絵里先輩は3年生にボールを集めるが結果コースを絞られてしまい、ブロックされてしまう場面が多い。環奈ちゃんも見事なレシーブを見せているものの、全てのボールを取れるわけではない。それどころかほとんどのレシーブを環奈ちゃんがやっているせいで疲れが見え始め、徐々に取れないボールが増えてきた。
試合が続けば続くほどその悪循環は進んでいき、今なんとか相手のサーブミスでこちらの得点になったものの、状況は悪くなっていく一方だった。
バレーボールにはローテーションというルールがあり、サーブ権を持っていない方のチームが得点するとそのチームにサーブ権が移り、選手は時計回りにポジションを移動することになる。
一つ前に前衛ライトにいた胡桃さんは後衛ライトに下がり、サーブを打つためにボールを手にする。それと同時に後衛レフトにいた環奈ちゃんは前衛レフトに移ることになるのだが、リベロは前衛に回れないため、入れ替わっていたきららちゃんと交代してコートを出る。
ちなみに今のローテーションは、後衛ライトに胡桃さん。後衛センターに美樹。後衛レフトに朝陽さん。前衛レフトにきららちゃん。前衛センターに絵里先輩。前衛ライトに日向となっている。
次に相手が得点してもこちらはローテーションはせず、ミドルブロッカーの胡桃さんとリベロの環奈ちゃんが交代するだけで試合は進む。そして再びこちらが得点すると、一つローテーションして日向がサーブを打つことになる。わかりやすく言うと、サーブ権が自分のチームに移った時にのみローテーションは行われるのだ。
「……すいません」
体力の限界が近い環奈ちゃんは、戻ってくるなりベンチに倒れ込むように座る。その衝撃でお守り代わりとして置いていた、スイーツショップでもらった二つのキーホルダーが大きく揺れた。
環奈ちゃんの全身からは汗が滝のように流れており、いつもの余裕そうな雰囲気は見る影もない。その様子だけでこの試合でのリベロの負担が大きいことが見て取れる。
「だ、大丈夫だべ! このセットを落としても第3セットがあるんだし、まだまだ余裕だっぺ!」
疲れ切った様子で頭を下げた環奈ちゃんに、顧問の徳永桃子先生が腕をぶんぶん振って励ます。でもこの人は大きな勘違いをしている。
「この試合は3セットマッチで、このセットを落としたらうちの負けになります」
「え? でもテレビで観た時は5セットまであったべ?」
「国際試合とかはそうですけどね。高校はだいたい3セットマッチです」
「へー。なんだか難しいなぁ。おらにはよくわがんねぇ」
このすごく訛っている女性は今年教師になったばかり、顧問になったばかり、バレーボールを学んだばかりの、初めて尽くしの新人先生だ。だから本来アップゾーンで立って応援するはずのわたしは、徳永先生の隣に座ってバレーのルールを説明している。
「いくわよ」
主審が笛を吹き、胡桃さんがサーブを打つ。胡桃さんのサーブはフローターサーブ。その場でボールを上げ、ジャンプせずに打つという高校では最も一般的なサーブだ。誰もが打つということは誰もが取れるということであり、紗茎学園の後衛選手は難なくボールを上げた。
「すいません、梨々花先輩……」
視線をコートに向けながら、再び環奈ちゃんが謝罪の言葉を口にした。
「別に環奈ちゃんが謝ることはないでしょ? あの紗茎にここまでやれてるのは環奈ちゃんのおかげだよ」
レギュラーのメンタルケアも控え選手の役目。隣に座っているわたしは、そう言って環奈ちゃんの顔を覗き込む。汗で顔をぐちゃぐちゃに濡らしている環奈ちゃんは、悔しそうに歯を食いしばっていた。
「そうじゃないんです……」
環奈ちゃんの顎から、伝ってきた水滴が一粒零れる。普通に考えたら汗だが、環奈ちゃんの表情を見ると、その水滴は涙のようにも感じられた。
「こんなピンチになっているのに、梨々花先輩を出してあげられない自分が不甲斐なくて仕方ないんです……」
環奈ちゃんの顔から再び水滴が零れる。
この試合、わたしの出番は今まで一度もない。わたしの役割はレシーバーとピンチサーバー。どちらも必要だと思われる場面はあったが、わたしが呼ばれることはなかった。
本来であれば選手交代は監督が指示するのだが、徳永先生はバレーボール未経験者のため、選手交代などを審判にお願いできるキャプテンの絵里先輩がそこら辺を一括している。つまりわたしが起用されないのは絵里先輩の意向。であればわたしはそれに反抗することはできない。
しかし環奈ちゃんはわたしを使わないことに異議を唱え、度々絵里先輩に抗議していた。それでもわたしが呼ばれることはなく、そのことを環奈ちゃんは気にしているようだ。
「たぶん絵里先輩には深い考えがあるんだよ。だから……」
わたしは出ない。そう言おうとした時、バゴン、というなにかが爆ぜたような音がわたしの言葉を遮った。その音の先を恐る恐る見ると、ボールが高く宙を舞っているのが見えた。少し遅れて主審の笛の音が聞こえたことで、ようやくあの破裂音はボールが床に叩きつけられた音だということに気づく。
今スパイクを打った選手は、体勢を見る感じ紗茎学園のエース、蝶野だろう。エースと言っても、うちで言う朝陽さんのポジションではない。美樹のポジション、ライトとも呼ばれるオポジットの選手だ。普通オポはどちらかというと攻撃よりも守備に重きを置くことが多いのだが、蝶野はそれとも違う。
その役割は、ただ単に点を取ること。サーブレシーブには参加せず、いつどんな状況でもスパイクを打つことに専念する、超攻撃的スパイカー。別名、スーパーエース。
スーパーエースとは文字通りエースの上を行くエースで、あの音と異常なボールの跳ね返りを見る限り、男子の中に混じってもエースを張れるほどの力を持っているに違いない。しかも利き腕は普段あまり相手しない左。間違いなく全国でもトップクラスのスパイカーだろう。
「ほんと規格外ねあのスパイク……」
点を取られたことで、胡桃さんが忌々しくつぶやきながら環奈ちゃんと交代するためにコートを出ようとする。これでポイントは15対24。あと1点でも取られたら負けというマッチポイントになってしまった。もう絶対にボールを落とせない。
「……すいません、交代はなしでお願いします」
しかし環奈ちゃんは立ち上がろうとはせず、悔しそうな表情のまま胡桃さんとの交代を拒絶した。
リベロとしての役目を放棄したのだった。




