第1章 第0話裏 普通のはじめまして
〇環奈
あ、やばいミスった。ゆっくりと上がっていくボールを見てあたしは軽く舌打ちした。
本当はもう少し短く上げたかったのに。まぁでもあんな威力のサーブをレシーブしたらこうなるか。うーんでももう少し上手くできたような気もする。
ていうか改めてなにあのサーブ。女子が打つ威力じゃないって。あの人見た目そんなにゴリラって感じでもないのに。
でもまぁいいや。この学校かなり弱いし、レギュラー入りは確実だもん。
ボールが勢いをなくし、ゆっくりと落ちてくる。セッターのちょうど頭上に落ちるAパス。うん、これは完璧。
部長さんは腕を高く上げ、跳びながらまたボールを高く上げる。初心者の翠川さんが打ちやすいようにだろう。
ボールが再び重力に負けたタイミングでスパイクを打つために翠川さんは大きくジャンプする。少しタイミング早い……でもすごいジャンプ力だ。顔までネットの上に出ている。元々運動神経いいんだろうな。
「えいっ」
そんなかわいらしい声と共に腕だけで振った翠川さんのスパイクはボールとタイミングが合わずに指先だけに触れ、わずかに軌道が変わるだけとなった。それでも身長とジャンプ力のおかげで余裕でネットを超え、相手コートにぽとん、とボールが落ちていく。
「やりましたーっ!」
カス当たりでもボールを打てたことがうれしかったのか、翠川さんが満面の笑みでぴょんぴょんと飛び跳ねる。今打てたのは部長さんのトスが異常なまでに丁寧だったからなんだけど、初心者じゃわからないよね。
「二人ともありがとう。戻っていいよ」
落ちたボールを回収してきた部長さんが優しい微笑みを見せてくれる。あんなスーパーレシーブを見せたんだからちょっとくらい褒めてくれてもいいのに。
「絵里先輩、わたしもやっていいですか?」
少し不満を抱えたままコートを出ようとすると、あたしの前に一人の先輩が歩いてきた。運動部らしいポニーテールに、『絶対落とさない』と大きく力強い文字で書かれているシャツを着た先輩。なんか暑苦しそうな人だ。苦手だなー。
「……わかった」
なぜか神妙な顔をしてうなずいた部長さんは、ボールをネットの下を通して転がす。またあの人にサーブを打ってもらうつもりのようだ。
「自分は残った方がいいんですか? それとも水空さんが残るんですか?」
なにもわかっていない翠川さんがまた疑問を投げかけているが、聞かなくてもわかる。ここはあたしが抜けるのが正解だ。
あたしとたいして変わらない身長。あたしが147.2センチだからたぶんこの人は146.8センチってところかな。まぁ胸はあたしの圧勝だけど。とにもかくにもこの身長ならまず確実にリベロだろう。
つまり、あたしとポジションを争うライバル。ま、あたしに勝てるとは思えないけど。
「二年の小野塚梨々花だよ。よろしくね」
すれ違う直前、小野塚さんはそう言うと敵意満々の眼差しであたしを睨みつけてくる。あーあ、こういうのが嫌だったからこの学校に来たんだけどなー……。
「よろしくお願いしますね、小野塚さん」
思っていることを口に出さず、笑顔で返すとあたしはコートを出る。そういうつもりはなかったけどちょっと嫌味っぽくなっちゃったかな。
「お願いしますっ!」
あたしと入れ替わり、ザ・運動部って感じの声を上げて小野塚さんはレシーブの構えを取る。腰を落とし、脚を肩幅より少し広めに開いてわずかに前後にずらした綺麗なフォーム。偉そうな言い方だけど、とりあえずは合格かな。
「いくぞーっ!」
そして朝陽さんがあたしの時と同じスパイクサーブを放つ。コースはあたしの時とは逆のサイドラインすれすれ。ボールはたぶん――入る。
小野塚さんはあたしの時とほとんど同じタイミングで駆けだすと、横に飛んでフライングレシーブをしようとする。
「っうぅ!」
そしてボールを見事捉えると、身体全体を使って高く上げた。でも――ボールの勢いを殺し切れていない。ボールはサーブの威力を残し、激しく回転しながら部長さんの頭上に上がっていく。見事なAパスだ。
あたしのリベロとしての実力は全国クラスだと思う。それは決してうぬぼれなんかじゃなくて、客観的に見た事実だ。
そしてたった一回のレシーブでは判断しきれないけど、たぶん小野塚さんもあたしと同レベルのリベロだと思う。それくらい今のレシーブはよかった。
ただ。ただそれでも。
小野塚さんのレシーブは勢いを殺し切れていなかった。
トスを上げる際、その前のレシーブはなるべく無回転の方が良いとされる。十本の指だけでボールを操るトスには繊細なコントロールが必要になるからだ。回転がかかっているとその分トスを上げづらくなる。
同じ難しいサーブを拾い、同じAパスをし、だけどボールの威力の殺し方はあたしの方が上手かった。
たったそれだけの差だけど、それが全て。
リベロはコートに一人だけしか立てない。
ほんのわずかにでも上手い方がコートで戦える資格を得る。
つまり、あたし。
小野塚さんよりも、あたしの方が上手い。