第1章 第14話 3年生の見ているもの
「負けた絵里チームは罰としてネットの片付けなー!」
最後にノータッチエースを決めて有頂天になった一ノ瀬さんが、意気揚々とあたしたちに命令する。そういうのは先に言っておいてほしいんですけど。そうしたらこんな負け試合受けなかったのに。
結局この練習でわかったことは、部長さんがバレーが下手だということと、あたしの不調はまだ続いているということ。
スプリットステップの感覚を思い出せたおかげで前よりは多少ボールを取れるようになったけど、それでもいつもの半分以下。やっぱり気持ちの面が大きいんだと思う。早く気持ちの整理をつけないと、インハイ予選に間に合わなくなる。
「今日はずいぶんとサーブの調子がよかったじゃない」
ネットの片付けはあたしたちがやることになったが、それ以外のことは向こうのチームがやってくれるようで、散らかったボールの回収をしながら真中さんが一ノ瀬さんを素直に褒めていた。
「おうっ! あ、だからって落ち込むなよ環奈! ウチが上手すぎるだけなんだからなっ! あっはっはっはっはっ!」
あたしの調子が悪いだけなんですけどー、って言いたい! このドヤ顔にサーブ打ち込んでやりたい! あたしサーブ打てないけど!
「サーブで思い出したんですけど、小野塚さんってなんでジャンプフローターサーブ打てるんですか?」
ちょうどいい機会なのでずっと疑問に思っていたことを訊いてみる。ジャンプフローターはそれなりに難易度の高いサーブだ。基本リベロの小野塚さんが普通に打てるのはどう考えてもおかしい。
「え? 梨々花のサーブはフローターだろ?」
フローターサーブとはその場に留まってボールを打つという非常にポピュラーなサーブだ。打つのも簡単だけどレシーブするのも簡単という普通なやつ。花美高校でも初心者御用達の下から掬い上げるように打つアンダーサーブのきららちゃんと、小野塚さん一ノ瀬さん以外は全員このサーブを使っている。
去年のセッターをやっていた時期に習得したものだと思っていたのが、一ノ瀬さんの反応を見るとどうやら違うみたい。
「でも今日やってたのは間違いなくジャンプフローターでしたよ」
「じゃあ最近練習してるんだろ」
「そんな付け焼刃には見えなかったですけど……」
確かにキレはなかったけど、一週間程度しか練習していない人が打てるものでもなかったはずだ。
「なら中学時代に練習してたんじゃない? それを久しぶりに使ってみたとか」
ボールを全て回収し終えた真中さんが、小野塚さんの中学時代を知る部長さんに訊ねるように発言する。
「中学ではジャンプフローターどころか普通のサーブだって見たことないよ。試合に出られなかったとはいえ一応リベロだったから。私が知らない3年生の時に練習してたんじゃないかな」
小野塚さんと仲の良い部長さんも知らないんだ。でも3年生はリベロだったはずだしその頃に習得したということはないはず。だとしたら本当にこの一週間で……? いや、そんなのどう考えてもありえない。
今度遊びに行った時にでも訊いてみようと決め、ネットを外す作業に戻る。視線をネットに戻した瞬間、あたしにしか聞こえないくらいの小さな声が耳に飛び込んできた。
「でも梨々花がジャンプフローターを打てても不思議じゃないよ」
その声を発したのは部長さんだった。しかしその声にはいつものような明るさはなく、身体の芯にまで響くような、どこか恐ろしさを感じるほどの低く暗いものだった。その異常さに思わず部長さんの顔を見る。
「梨々花はバレーボールの天才だから」
続けてそう言った部長さんの表情にはいつもの笑顔は見る影もなく、ただ無表情でどこか遠くを見つめている。その目線の先には壁があるが、部長さんにはなにも見ていないんだろうな、と感じた。
「部長さん……?」
「ううん、なんでもない」
そう笑って部長さんはあたしの顔を見る。その表情はいつもの笑顔に戻っていて、逆に不気味に見えた。これ以上追及するな、そういった無言の圧力を感じ、あたしは慌ててネットに視線を戻す。
それにしてもバレーボールの天才ってどういう意味だろう。リベロの天才と言うのならわかるけど、あの低身長で高さが命のバレーの天才はないだろう。最も大事な才能を持っていないんだから。
「ま、いいじゃん! うちで勝負できるサーブを打てるのは元々ウチだけだったし、ピンチサーバーになってくれるなら大歓迎だ!」
あたしがなにも言えないでいると、さっきの声が聞こえていないはずの一ノ瀬さんがそれっぽいことを言って強引に話を変えた。
「今度の試合が絵里にとって最後の試合だしな。……勝てる可能性が上がるのならなんだっていい」
一ノ瀬さんの低い声に体育館が一気に静まり返る。最後の、というのはやはり3年生にとってデリケートな話なのだろう。その空気に当てられたように、真中さんもまたいつもより慎重な声で語り出す。
「――ところで、ボクは春高予選まで残ることにしたわ。勉強も本格化してくるし今まで以上に練習には出られなくなると思うけど……人数が足りなくてまともに試合ができなくなるのは後輩に申し訳ないものね」
そう言った真中さんの視線は、さりげなく部長さんに向けられている。その目はどこか部長さんを責めているようにも感じられた。
本当なら真中さんは受験に集中したいのだろう。それでも無理を押してあたしたちのために残ってくれるんだ。受験もないのに引退しようとしている部長さんを快く思ってなくても当然かもしれない。
「……どうして部長さんは春高まで残らないんですか?」
こんなことを訊くのは失礼だと思うけど、訊かずにはいられなかった。だって部長さんが春高まで残れば、もう一回小野塚さんにもリベロになれるチャンスが訪れることになる。
もしそれがしょうもない理由だったら。あの時の小野塚さんの涙よりも下らない理由だったら、あたしは怒られたって部長さんのことを引き止めたい。
……あれ? なんであたし、小野塚さんのためにそんなことをしようと思ってるんだ……? 怒られるのは嫌なはずなのに、なんで……。
訊いておいて自分のことで精一杯になっていると、片側のネットを外し終えた部長さんが神妙な声で一言つぶやく。
「……私がいると、梨々花が試合に出られないからね」
その答えはあたしにとって、ある意味想定内の言葉だった。
誰かのために自分の全てを捧げる。そんな馬鹿な人を二人も見てきたのだから。
でも部長さんのことをあの二人と同列に並べていいものだろうか。
自分の夢よりも、尊敬する人の成功を願った小野塚さん。
自分の嫌なことを、大好きな人のために行った扇さん。
その二人と、後輩のために自らを捨てた部長さんは同じなのだろうか。
なんとなく、違う気がする。根拠はないけど、なにか大事なことに気づいていないような、そんなモヤモヤがあたしの心の中で渦巻いている。
「環奈、手が止まってるよ」
「あ、すいません」
部長さんに注意され、慌てて自分の方のネットを外す。
「ふふ、環奈はいい子だね」
どういった経緯でそう思ったのかはわからないが、部長さんはあたしを見てにっこりと笑った。
「いえ、別にそんなことは……」
「謙遜しなくていいよ。環奈みたいな子、嫌いじゃないよ」
嫌いじゃない。たぶんその言葉にはそんなに悪い意味はないと思う。それでもなぜか怖くなって、外したネットをたたむのに部長さんに近づくのを少しためらってしまう。
「そうだ、今度二人でどこか遊びに行こっか」
そんなあたしに、部長さんの方から近づいてくる。思わず一歩足を下げてしまったが、逃げるわけにもいかないのでその場に留まり、部長さんの誘いに答えることなく愛想笑いを浮かべる。
「今度の土曜日にでもどう?」
何度か折り、小さくなったネットを引き受けた部長さんが笑顔であたしに訊いてきた。普段のあたしなら関係性を悪くしないために了承するだろうが、今は部長さんとこれ以上一緒にいたくないという気持ちの方が強く働いていた。
「そ、その日は予定が……。すいません……」
咄嗟に口からそんな言葉が出たが、よく考えれば嘘ではない。その日は小野塚さんと遊びに行くことになっていたんだった。ありがとう小野塚さん!
「ふーん、そっか」
小さくなったネットをロープでくるくると巻き、部長さんはそう小さくつぶやく。
「じゃあ、また今度だね」
そういつもの表情で笑った部長さんは最後にネットを強く押し潰す。なぜだかそのネットがあたしのように見えてしまって、視線が外せなくなる。
「あ、あはは……。そ、そうですね、また今度……」
なんとか愛想笑いを続け、あたしはボールの入ったカゴを体育倉庫に入れようとしている真中さんの元に逃げるように走っていく。
部長さんの態度はいつもと同じだった。
それでもなぜか、部長さんが怖く思えて仕方なかった。