第1章 第12話 方向音痴
〇環奈
「「すいませんでしたっ!」」
きららちゃんと二人でストレッチしていたら、小野塚さんと扇さんが土下座してきた。その後ろにはげらげらと笑ってる外川さんがいるし、これは一体どういう状況なんだろう。
「えーと……なにがですか?」
本当になんのことかわからなかったので、正直に訊ねてみる。すると小野塚さんが気まずそうに一瞬顔を上げ、また顔を床に擦り付けた。
「一週間前の体育倉庫のこと……。謝って済むことじゃないと思うけど、とりあえず謝らせて」
体育倉庫……。あぁなるほど、あの騒動のことね……。
「ねぇ梨々花ちゃんまだか? まだ水空ちゃんに頭下げ続けねぇといけねぇべか?」
「もうしばらく我慢しろじゃ。悪いのはわたしたちだべ」
「みきは悪くねぇよ! みきは今でも梨々花ちゃんがリベっ!?」
扇さんが我慢しきれずに上げかけた頭を、小野塚さんが力いっぱい抑えつける。ゴンッて音したけど大丈夫かな……? ていうかなんであたしは二回も扇さんの土下座を見させられてるんだろう。
「いえ、あたしたちは謝られることなんてされてないので……。ね、きららちゃん」
「はい! なんか怖いですーとは思いましたけど、アツイものを感じたのでノーカンですっ!」
それはフォローになってないよきららちゃん。
「ということなので、二人とも顔を上げてください」
綺麗な姿勢で土下座を続けている小野塚さんと、土下座したくなさすぎてお尻がすごい上がり始めている扇さんにそう声をかける。
「ほんとごめんね……?」
再び謝罪しながら小野塚さんが顔を上げた。本当に謝られることなんてなにもない。
そんなものよりも、あたしのこの気持ちのわけを教えてほしい。
あの体育倉庫での一件以降、どうにも気持ちが落ち着かない。
二人がこうやって謝る事態になるまで暴れた意味がわからない。
でも訊ねたところで答えが返ってくるはずがない。
たぶんあれは小野塚さんや扇さんにとっては当たり前のことで、理由のあるものではないと思うから。
「それでお詫びってわけじゃないんだけど、この後ごはん行かない? 日向が奢ってくれるって」
「え? ひーが奢る流れ続いてるの?」
ごはんかー……。あんまりごはんって感じじゃないんだけど、小野塚さんたちと話すことであたしの中でなにかが変わるかもしれない。行かない理由はないかな。
「あたしでよけれ……」
「あ、ごめん梨々花。水空さん借りてもいい?」
あたしの返事を遮り、突如背後から部長さんが会話に割り込んできた。
「絵里先輩っ! それはもうもちろん! 水空さんなんてわたし全然いらないんで! どうぞもらってやってくださいっ!」
「それあたしに失礼じゃないですか?」
あたしは小野塚さんの所有物でもなければ、全然いらないと言われる筋合いもない。まぁそう言われたらそうしますけど。
「では自分が環奈さんの分までご一緒させていただきますっ!」
「うん。水空さんの分まで日向に奢ってもらうといいよ」
「エリーさんまでそういうこと言わないでくださいよー」
あれ? てっきり1年生二人に用があると思ってたんだけど、あたしだけなんだ。なんでだろ。
はっ! まさかあたしのスランプを見抜いてお説教を……! うわー、すごい帰りたい。小野塚さんたちの方に行きたい。怒られるのは嫌だ。でもそれを言うこともできないしなぁ……。
「では絵里先輩、お先に失礼します!」
「うん、ばいばい」
ごはんを食べに行く四人が部長さんに頭を下げたので、一応部長さんの隣にいたあたしも頭を下げる。部長さんが手を振ってあたしから離れたのを合図に、四人も体育館の出口に歩いていった。
「あ、そうそう水空さん」
一度は体育館を出ようとした小野塚さんが駆け足で戻ってくる。なんだろう今日あたし大人気。
「今度の土曜日って空いてる?」
「? 練習ですけど」
なぜかもじもじしている小野塚さんに当たり前の返答をする。小野塚さんは来ないのかな?
しかしそういうわけではないようで、小野塚さんはわずかに苦笑した。
「あーそうだよね。じゃあさ、その日遊びに行かない? ほら、前に遊びに行く約束してたでしょ?」
そういえばそんな約束してたなー。てっきりなくなったものだと思ってたけど、小野塚さんは覚えてたんだ。
「わかりました、土曜日ですね」
わざわざ大会も近いこのタイミングじゃなくてもという気もするけど、どうせ今の調子じゃいくら練習したって意味がない。そういう意味では今度の土曜日というのはナイスタイミング。気分転換に使わせてもらおう。
「ほんと!? よかったー……」
あたしが了承すると、小野塚さんがはーっ、と安堵のため息を漏らす。なんでこの人は初めてデートに誘う女子みたいな反応をしてるんだろう。
「それじゃあ詳しいことはまた連絡するねっ」
そう言った小野塚さんの表情は今まで見た中で一番の笑顔で、小野塚さんってこんな風に笑えるんだ、と素直に驚いてしまった。
「あと余計なお世話かもしれないけど」
これで話は終わりかと思ったけど、まだあたしになにかあるらしい。小野塚さんは少しためらうような素振りを見せると、いつもの表情に戻ってあたしにこう言った。
「スプリットステップ、忘れてるよ」
「え?」
スプリットステップとは、相手がスパイクを打ってくる直前にほんの少しジャンプし、次の行動に移しやすくするテクニックのこと。……言われてみればここ最近意識してなかったかもしれない。
「最近ちょっとバレーが固くなってるような気がするから、ちょくちょく深呼吸とか挟むといいかもね」
「は、はぁ……」
「それじゃあまた明日ねー」
小野塚さんはそれだけ言うと、手をひらひらと振って帰ってしまった。
バレーが固くなっている……。抽象的だけど、言いたいことはわかる。つまり考えすぎるな、ってことだ。
ていうか小野塚さん、あたしのこと見ててくれたんだ。
あたしと小野塚さん。一時はポジションを争うライバルだったが、その決着はつき二人の関係は何もなくなった。小野塚さんを取り巻いていたリベロへの執着も感じなくなり、今やあたしたちの関係はただの仲の悪い同じ部活のメンバーでしかない。
それなのにこんなにもあたしを見ていてくれたなんて。
本当に、もうなにもわからない。