第3章 第56話 継承
〇きらら
「……で、なーんで織華が練習手伝わされてるのかなー……」
「え? 何か言った?」
「言ったよー、言った。織華よりも会わなきゃいけない人がいるんじゃないのー?」
環奈さんと別れた後、私は更衣室で着替えていた織華さんを無理矢理引っ張って外に連れ出していた。織華さんは元々たらんとした瞳をさらにとろけさせて言う。
「ほーんと勘弁してほしいんだけどー……暑いしつかれてるし……それに結構な距離下着姿で歩かされたんだしー……」
「だから謝ったでしょ?」
「一回でも謝ったかなー?」
「ちっ、うるさいな……。『きゃーっ、ちょっ、ちょっと待ってっ。ごめんなさいっ、おねがい、ゆるしてーっ』、だったっけ?」
「っ……! 今度絶対ふみつぶす……!」
セーラー服を抱えたまま外に放られた木葉さんは顔を真っ赤にして涙目になりながら必死にそう訴えていた。普段のとろーんとした木葉さんからは想像できない女子女子した反応に思わず手を離しちゃったけど、もっと長い時間歩かせればよかった。
「ていうかブロック跳んでほしいんだけど」
「はー? 織華いま制服だよ? スカートだよ? ジャンプしたら見えちゃうじゃん」
「別にもう散々見たしいいでしょ?」
「っ。あのねー、織華の下着は高いやつなの。おしゃれは見えないところから。そんなタダで何回も見せていいものじゃないのー」
「おしゃれって……まずそのダサい帽子被るのやめたら?」
「ダサくないもんっ!」
うわ、ぶちぎれたよ……。どこからどう見ても葉っぱ型の帽子ってちょっと痛々しいと思うんだけど。
「ふーっ、ふーっ。あのさー……きららちゃんって結構性格悪いよねー……!」
「ブーメランぽいっ」
「あー! いらいらするーっ!」
帽子の上から髪をぐしゃぐしゃし、地団駄を踏む木葉さん。案外いじりがいがあるなー、この子。
「それで! なんでわざわざ自分たちに勝った人を呼びつけたわけー?」
「だから言ったでしょ? ブロック跳んでほしいの。試合中どうやったら木葉さんのブロックを抜けられたか検討したいんだよ」
反省は早い内にするに限る。ここで対戦相手の木葉さんを頼るのはルール違反な気もするが、そんな常識に囚われて格好の練習相手を逃す方が馬鹿だ。
「木葉さんって全国でも上位のブロッカーでしょ? せっかく友だちになったんだし練習に付き合ってくれてもいいんじゃない?」
「友だちって……きららちゃんって織華のこと嫌いでしょー?」
「嫌いでも友だちだよ。木葉さんは私のこと友だちだって思ってないの?」
「思ってるけど……ていうか織華ってそんな上位ってわけじゃなよー? 中学だったらまだしも高校に入って全体的に高さのレベルが上がったし……せいぜい上の中ってところじゃないかなー?」
「十分すぎる……でも雑誌の記者さんが言ってたよ? 環奈さんがナンバー二リベロで、流火さんにいたってはナンバー一セッターだって。同じ『金』だしそのくらいあるよね?」
「まぁその二人は特殊なポジションだから人数が少ないし……流火ちゃんはトスの腕だけならそうだけど、総合力ならだいぶ下がるよー? まぁ『指揮折々』の一人だし、トップ四には入ってると思うけど……。あと環奈ちゃんは織華たちの中でも別格。あれは本当に化物。……中学時代の方が上手かったと思うけど」
そうぶつぶつ言いながらも木葉さんが私の前に立ってくれた。でも腕は上げてくれない。何か考え込むように顎に手を置いている。
「ていうかそもそもなんだけどー、きららちゃんは本当にスタイルを変えた方がいいと思うよ。後ろのレシーバーに任せるブロックもいいけどさー、花美には環奈ちゃんがいるから多少変なブロックしてもフォローしてくれるし、きららちゃんくらい高さがあるなら普通に止めに行った方が相手からしたら怖いもん。結局のところ叩き落とすつもりのないブロックなんて怖くないし、怖くないブロックなんてしょせんただそこにあるだけ。ミドルブロッカーは相手にプレッシャーをかけてなんぼだよ」
おぉ……すごい真っ当な意見。でもそれで終わることはなく、さらに私に言葉をくれる。
「あとさー、きららちゃんって次のエースでしょ? もっとあの最後みたいなオープンスパイク増やしてもいいと思うんだよねー。あとサーブ。織華は身長の割に細身だから打てないけど、きららちゃんくらいならスパイクサーブもやろうと思えば……」
「ちょっ、ちょっと待って。エースって朝陽さんとか矢坂さんみたいなアウトサイドヒッターか、風美さんみたいなオポジットがやるポジションでしょ? ミドルブロッカーは速攻で……」
「普通はそだねー。でも丹乃ちゃんとか一ノ瀬さんみたいな中途半端な人にいざ、って時に託せると思うー? 織華はセッターじゃないからあんまわかんないけどー、個人的にはやだね。インハイもラストはそれで負けちゃったし」
矢坂さんが中途半端……? あの人って天音さんと同格の『銀遊の参』でしょ……?
「木葉さんって矢坂さんと仲悪いの?」
「別にー。ていうか藍根なら一番気が合うかなー。でもプレーなら話が変わってくるよねー。普通に上手いとは思うけど……なんか違うんだよなー。ずっと風美ちゃんを見てたからかなー」
まぁ確かにどんだけ劣勢でも託せば絶対に決めてくれる、っていう絶対的な安心感は矢坂さんにはなかった気がする。実際環奈さんと梨々花さんに対策されてたし。まぁあの二人を使わなきゃいけない時点でこっちとしてはかなり辛かったんだけど。
「とにかくー。センターエースっていう言葉もあるくらいだし、一番高くて強いきららちゃんがエースをやることに誰も文句言わないと思うんだよねー」
「ふーん、なるほどねー。でも私はエースなんてやらないよ?」
木葉さんにしては珍しく長々と語ってもらったところ悪いけど、それはたぶん私の仕事じゃない。
「……織華さー、背の低い人嫌いなんだよね」
木葉さんは帽子を深く被って瞳を見せないようにして語る。
「適材適所っていうのかなー……ちっちゃい子には悪いけど、バレーって背の高い人がやるスポーツなんだよ。どれだけ上手くても雷菜ちゃんや小野塚さんみたいな子は一流にはなれない。だからなんだろ……せっかく高い身体を持ってるのにそれを活かさないなんてその子たちに失礼で……すっごいむかつく」
今さらになって木葉さんって不思議な人だな、って思う。
すごいのんびり屋で、自堕落な性格。バレーはそんなに好きじゃないっぽいし、だったら自分の体格に甘んじて練習も適当にやってそうなものだけど、アップとか試合中の様子を観た限りじゃかなり真面目にバレーに打ち込んでいるように見えた。
その理由がこれか。ノブリス・オブリージュ。バレーに恵まれた身体を持って生まれたなら、それを活かさなければならない。それがバレーをするのにふさわしくない人に対する礼儀ということか。
気持ちは……まぁ私には、わからない。私より下の人のことなんて考えたことなかったし、心底どうでもいいから。だって木葉さんが言ってることは全部、
「胡桃さんとは、真逆の考え方でしょ?」
胡桃さんは私にエースになれだなんて言っていなかった。きっと木葉さんが言っていることの方が私には合ってると思うけど、それは藍根には通用しなかった。
あの最後の場面。もし胡桃さんの教えのままにリードブロックを徹底していたらもっと周りが見えていたし、ボールを落とすなんてことしなかった。だから、
「私はもう、封印です。ふーいんっ!」
いつか藍根に、木葉さんに勝てるようになるまで、私を使うことはもうありません。
今は自分こそが、バレーボールというスポーツで強くなるのに必要なはずです。
「ということで、自分はもっとバレーを知らなければいけません。なので自分にもっとバレーのことを教えてください、胡桃さん」
「……気づいていたのならもっと早く言いなさいよ、きららさん」
ため息を一つつき、胡桃さんが物陰から出てきます。その額には汗がにじんでいて、長時間そこにいることを物語っていました。
「そろそろ出発だから呼びに来たらボクたちを負かした相手と練習しようとしてるんだもの。ちょっとびっくりしたわ」
「ああ大丈夫です、木葉さんと練習したかったのは私の方で、自分はもっと大事なことをしたかっただけなので」
胡桃さんが自分の横に立ったのを確認し、木葉さんにビシッと指を突きつけます。
「ミドルブロッカーはブロックをするポジションです」
「……ミドルブロッカーだからってエースになっていいと織華は思うけどー?」
「ブロックは叩き落とすだけじゃありません」
「ブロックは叩き落としてなんぼだよー?」
「バレーボールは高さだけじゃありません」
「バレーボールは高さだよ」
胡桃さんと木葉さんはまったくの真逆で。
自分と木葉さんは似ていて。
だとしたら自分が胡桃さんの横にいるのは間違っているかもしれないけれど。
それでも自分は、こう宣言しました。
「いつか自分たちのバレーボールの方が正しいと認めさせてみせます」
「――いいよ。もう一回ふみつぶしてあげる」
……ふぅ。これでひとまず自分のやるべきことは終わりです。
「行きましょう、胡桃さん。早く帰って反省会ですっ」
「そうね。明日以降も顔出せる日があったら行くわ」
「あっ、でもちゃんと勉強もしなきゃダメですよっ!? 胡桃さんの成績だと受験どころか卒業だって危ういんですからっ」
「その時は来年もまたボクがリベンジするだけよ」
「……留年者って部活できないんですよ?」
「えっ!? そうなのっ!?」
「はぁ……やっぱり胡桃さんはお馬鹿ですね。まぁ体育館に来てくれたら帰りに自分が勉強を教えますからとりあえずそこは安心してください」
「そうね。お願いするわ」
「ちょっとはプライド持ってくださいっ! 自分一年生ですよっ!?」
あー、もう。本当にこの方は……!
「来年こそは必ず自分が勝ってみせます、先輩」
「任せるわ、後輩」
こうして胡桃先輩と朝陽さんは、花美高校女子バレーボール部を引退しました。