第3章 第54話 ウチたちの春が終わる
「負け……た……?」
ボールを拾うのを忘れた。
ただそれだけのことで。
試合が、終わった。
そして、胡桃さんと朝陽さんは引退……。
私が攻撃のことしか考えてなかったせいで……!
「ふざけんな……!」
こんな終わり、認められるわけがない……!
「もう一度だよ、木葉さん! もう一度、もう一度! まだ――!」
「はー? もう一度がないのが試合なんだけどー?」
「なっ……!」
なんだよ、その腑抜けた顔……。『寄生』でもないし、試合中の集中もない。普段の適当で腹立つ緩い顔に戻ってる……!
「なんでよ、なんで、やっと……!」
やっと、本気で勝ちたいって思えるようになったのに……!
私は……なにを……!
「はい、その辺で終わり。整列よ」
私の頭に手が添えられる。負けたというのに、信じられないくらい優しい手のひらだった。
「胡桃、さん……ごめんな……さ……」
「敗因はバレー経験の不足ね。きららさんも、日向さんも。つまりまだまだ強くなれるってことよ」
「そ……ですけど……」
私はもっと強くなれる。そんなの当たり前だ。だって私は天才なんだから。
でも、そのころには、もう。胡桃さんはいないじゃないか。
なのに……なんで……胡桃さんはそんな優しい顔をしていられるんだよ……!
「とにかく整列よ整列。次のチームが入ってくる。それに朝陽とコーチにも報告行かないと」
「……はい」
第一セット、二十三対二十五。第二セット、二十三対二十五。
強豪校相手によく戦った、と言われるかもしれないけれど。
私たちは完膚なきまでに踏み潰された。
「おう、みんなおつかれ」
その結果を伝えると、朝陽さんは清々しいまでの笑顔を見せた。
「いやー、惜しかったなー。あとちょっとで勝てたじゃん。どんまいどんまい! 次やれば勝てるって!」
朝陽さんも平然と笑って……思い返せば絵里さんもそうだった。この二人とは少し違うけど、試合に負けた時すっきりした笑顔を見せていた。
たった二年違うだけなのに、二人の気持ちが全然わからない。
「それより脚、大丈夫なの?」
「あー、ただの捻挫だって。だから問題ねぇ。三セット目あってもどっちにしろ出れなかったな」
救護室のベッドで包帯を巻いた脚をふらふらさせて「ははは」、と笑う朝陽さん。そして一度俯くと、私たちを見渡した。
「だからお前らもいい加減泣くのやめろよ」
そう。私たち一、二年生は涙を流していた。
美樹さんや、珠緒さん。完全にガス欠した梨々花さんは泣く余裕もないようだが、あの環奈さんまで声を漏らして嗚咽していた。
でも、私と日向さんは。涙なんて出ない。悔しいとか、悲しいとか、そんな次元に私たちはいない。
そんな次元に、私たちは立つことができなかった。
「あー……ま、そうだなー……。とりあえず着替えてこいよ。風邪ひくぞ」
「はい……」
何かがぽっかりと空いたような感覚を覚えつつも、結局私たちは何も言えずにこの場を後にするしかなかった。
「悪いけど先行ってて。一時間後にエントランスね」
救護室を出たところで戻った胡桃さんとも別れ、とぼとぼと更衣室へと歩いていく。
「……ごめんなさい。あたしもちょっと外していいですか。珠緒、きらら付いてきて」
そんな中、環奈さんが梨々花さんにそう告げて外へと歩いていった。
「……やっぱそうですわよね」
「うん……ちょっと、ごめんだわ……」
そして体育館を出て入口の横に逸れると、一瞬で環奈さんの身体が崩れ落ちた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 痛いっ! いたいいたいいたいいたいっ!」
「か、環奈さんっ!?」
地面に倒れたかと思えば、悲鳴を上げて転げ回る環奈さん。その手は頬に添えられています。
「……環奈さん、口開けてくださいまし。あーんですわ」
「ぁ、あ、あぁぁぁぁ……!」
珠緒さんは暴れ回る環奈さんの口の中に躊躇なく手を突っ込み、朝陽さんとの接触で口を切った時に詰めた脱脂綿を引き出した。
「これは……あまり見たくないですわね。環奈さんも見ない方がいいですわよ」
「はぁ……はぁ……だろうね。あたしまだ慣れないし……」
「んなことは聞いてねーですわ」
環奈さんの口の中からよだれの糸と一緒に出てきた脱脂綿には唾液とは別に、大量の紅い血が染み付いている。そしてそれとは別に、真っ白の……。
「歯!?」
丸々形の保たれた汚れ一つない綺麗な歯がころころとコンクリートの上を転がる。
「口……切っただけじゃ……!」
「筋肉もりもりの朝陽さんから思いっきり膝蹴り食らったんだよ……? 口切っただけで済むわけないじゃん……」
「膝蹴りって……!」
「いてて……」と漏らしながら頬を抑えながら地面に座る環奈さん。せいぜいちょっとぶつかっただけと思ってたのに……日向さんを押したせいで避けきれなかったからか……。
「環奈さん、痛みは?」
「伊達に風美のスパイクを三年間受けてないって。痛みには強いよ。それに口に出せたおかげでだいぶ楽になったし」
「はぁ……。とりあえず牛乳買ってきますわね。漬けてたらもしかしたらくっつくかもしれませんし」
「ごめん、後でお金渡す」
「二割増しで頼みますわー」
「はいはい」
そう言うと珠緒さんは足早にエントランスにある自販機に歩いていった。
「環奈さん、救護室に行った方が……」
「いやそれは無理かな。これは内緒にしないと」
「確かに朝陽さんは気にするかもしれないけどこれは……」
「あーそれもあるけど、とにかく先生には隠したままにしたいんだよ。せっかくここまで我慢したんだよ? あそこでリベロのあたしまで退場しちゃったら百パー勝てなかったから」
だからって……普通こんな無茶できる……?
「それにあの時、実は朝陽さんがボールに触る前にあたしに触っちゃってたんだよね。そうなったら障害物を利用したプレーってことでアウトになっちゃっただろうし、ズルは最後まで隠し通さないと」
そんな……そんな理由で……この痛みを我慢できるもんなの……?
「まぁそれ以上に三年生だけの時間を邪魔できるわけないし……」
「環奈さんは……なんでそこまでバレーを……?」
この試合で私にもバレーをやる目的が見えた。強くなりたいとも思うことができた。
でも、ここまでは、私には……!
「プロに、なりたいから……?」
だったら、結果を出したいっていうのは、わかる。でも、
「え? あー別にあたしはいいかなー。趣味でやれればいいし、まぁやらなくても……」
「じゃあ、何でっ!?」
「梨々花先輩がいるから」
環奈さんは言う。当たり前のことのように、頭のおかしいことを。
「あたしが今バレーをやってるのは梨々花先輩がいるからだよ。梨々花先輩がいるならあたしはどうなろうがバレーをやる。そんだけだよ」
恐怖。
それはただの、純粋な、恐怖だった。
「は……ぁあ……!?」
口で言うだけならわかる。口だけ達者でいざという時にすぐ見限る馬鹿なんてごまんといる。
でも、水空環奈は、本気でそう言っている。
本気で、小野塚梨々花を、信じ切っている。
「化物……!」
初めて、本物を見た。
この子は、イカレてる。
「……まぁそれはあたしの場合だし、きららは別にいいんじゃない? そんなにがんばんなくて。誰がどれだけやるかなんて人それぞれだって」
……そう、思うよ。私も。
でもさ、それじゃ、ダメなんだよ。
普通じゃ、勝てない。
珠緒さん風に言うなら、特別にならないと。
私はこの借りを返せない。
だから。
「――ごめん。ちょっと行くね」
「ん? あぁわかった。あたしもちょっと会わなきゃいけない人いるし……ていうかそのしゃべり方……」
「ちょっと待っててっ! 終わらせたら、決めるからっ!」
こんなところで立ち止まってるわけにはいかない。
私は、もっと、バレーを、上手くなるっ!