第3章 第52話 エースの目覚め 0
〇日向
くるみんさんのサーブミスで向こうのローテが一つ回り、前衛に深沢さんと木葉さん、後衛に矢坂さんと鰻さん、田子さんがいる、一セット目のスタートと同じローテ。
対する花美のローテは後衛ライトにかんちゃん、後衛センターにみきみき、後衛レフトにマオちゃん、前衛レフトにきららん、前衛センターにひー、前例ライトにリリー。
藍根は『金』枠が前衛に二人いるのに対し、こっちは一、二年生だけ。しかもガス欠でスパイクもトスもレシーブもまともにできないリリーと、なによりひーが前衛にいる。最悪のマッチアップだ。
でも……きららんの様子がおかしい。
ひーごときじゃ言葉にはできないけれど。なにかが、違う。
それでもあえて言葉にするなら、『金断の伍』と同じ匂いがする。
そして、くるみんさんとも同じ匂いが。
「ふっ」
田子さんのフローターサーブが飛んでくる。でもかんちゃんが拾い、、ボールはマオちゃんに。そういえばどの攻撃を使うかを事前に指示するサインを確認するの忘れてた……でもまぁリリーは使い物にならないし、ここはきららん一択でしょ。でも無駄だと思うけど一応やんないと。
「レフトレフト!」
手を挙げてトスを呼ぶけど、ここでひーみたいな中途半端な奴にボールが来るはずがない。それは『寄生』状態に入り直した木葉さんもわかってるはずだけど、他の二人、一人だけでも引きつけられれば……!
「珠緒ちゃんを舐めすぎだよー、日向さん」
「!?」
なんで、ボールがひーに……! それに木葉さんも付いてきてる……! そっか……ひーに上げるはずがないから逆を突いて……!
でもきららんの気迫に釣られて他の二人はきららんに付いている。一枚ブロックならひーでもなんとか……!
「……もっとがんばんなよー」
んなわけないっ! ひーごときがこんな化物に勝てるわけがないっ! 高いっ! 高すぎるっ! 無理だ……!
「っ」
「あーらら」
あまりにも高すぎる壁への恐怖に呑み込まれたひーのスイングはタイミングがずれ、手の正面から大きく外れる。でもそのおかげでボールがゆっくり木葉さんの上を通り抜けることができた。が、田子さんに拾われる……!
「打つ気がないんだったらトスなんか呼ばないでっ! 邪魔っ!」
「っ……!」
怒号。マオちゃんが口調も忘れて怒鳴り声を上げる。
「なんなんだよ、もう……!」
勝てると思ってないって言ってたじゃん……! マオちゃんも、他のみんなも……!
なのに、なんでそんな一生懸命になって……!
馬鹿じゃん……! ほんと、みんな……!
なんでひーは、そんな馬鹿になれないんだ……!
〇きらら
小学生の頃、なんとなく水泳を始めた。
楽しかったからそれなりに練習した。上手くなった。将来は日本代表になれるだなんて言われるようになった。辞めた。
別に水泳選手になりたいわけじゃないし、あまりにも簡単だったから。
次は別のスポーツをやろう。私一人じゃなくて、他の人と組めるようなスポーツを。
中学生の頃、ダブルスがあるテニスを始めた。
楽しかったからそれなりに練習した。上手くなった。将来は日本代表になれるだなんて言われるようになった。辞めた。
別にテニス選手になりたいわけじゃないし、あまりにも簡単だったから。
ダブルスを組んだけど実際は私一人で戦ってるようなもんだし、これじゃあ一人でやっているようなものだったから。
次は別のスポーツをやろう。ダブルスよりも人数が多くて、難しいものがいい。
そんな時、テレビでバレーを観た。何をやっているのかわからなかった。
ボールは速いけど見える。でも人の動きがわからない。
たぶん、チームメイトを頼っているんだ。だから一見効率の悪そうな動きをしている。
これを、やりたい……! 私一人じゃ勝てないスポーツ!
でも私って自分で言うのもあれだけど傲慢だよな……。ちょっとキャラ変しよう。常に敬語を使い、一人称を自分にしよう。こうすればちょっとは謙虚に見えるか。
そして私は高校生の頃、バレーを始めた。
楽しかったからそれなりに練習した。上手くなれなかった。チームプレーがわからなかったから。
でも胡桃さんのスタイルを知り、こういうチームプレーがあるってわかった。
私が引っ張り、周りが支えるスタイル。これも一種のチームプレーだ。
これなら、私は、上手い。
「よこせぇっ!」
「っ!? きららさんっ!」
ボール、来る。普段より右で、跳ぶ。高くジャンプして、身体を回転させて。
「打つ!」
『超螺旋廻転弾!』
よし、胡桃さんの動きそのまんま完璧!
「悪いけどそれもう止めたー」
「っ」
木葉さんがブロックに跳んでいる。でも、
「私の方があの馬鹿より高いんだよっ!」
『超螺旋廻転弾』の弱点である高さは攻略している。つまり、胡桃さん如きを止めただけの木葉さんじゃ、私は止められないっ!
「だから織華の方がたけーっつってんだよ、チビが」
『超螺旋廻転弾』はどうやっても打点が下がる。
つまり、私並の高さと私以上の跳躍力を持つ木葉さんなら……いやそれ以前に、
「腕が、長い……!」
その長い腕で、無理矢理ボールを押し込んだ……!
「ぐ、ぅ……!」
「環奈さんっ」
あぶなっ、環奈さんがいいとこにいてくれた……! でも……拾ってくれたはいいけど珠緒さんまでには帰らないか……。
さて、『超螺旋廻転弾』は通じなかった……他に私が使える攻撃は普通の速攻、もしくはオープンだけ……。
「――いいじゃん……!」
水泳もテニスも、私をここまで楽しませてくれるスポーツはなかった。
本当に、バレーに出遭えてよかった。
「木葉織華――ぶっ潰す」
使える攻撃がないなら、増やせばいい。
私は天才だ。
他の雑魚にもできる技が、私にできないわけがない。
〇日向
緊張もプレッシャーもない。一セット目は確かにそうだった。でも……。
「く……うぅ……!」
状況が変わった! 緊張するに決まってる! プレッシャーだってすごい……ただ歩いてるだけでも褒めてほしいくらいだ!
この一点を落としたら終わり! さっきはたまたまなんとかなったけど、コンマ数秒でも違ってたらそこで終わってたんだ!
負けたらあっさんとくるみんさんは引退。もしひーがミスったら……終わらせてしまう……! サボって、適当にやってただけのひーのせいで……!
そんなのプレッシャーを感じないわけがない! もしこの場面で純粋にバレーを楽しめたとしたらただの変人か変態だ! ひーは普通の人間なんだよ! 巻き込まないでよ! ひーはこんなのがしたかったわけじゃないのにっ!
そうだ……そうだよ……ひーは矢坂さんを助けたかっただけなんだ……。なのに……あの時変なことを口走ったせいでここまで来ちゃった……。
ひーは、こんなところにいちゃいけない人間なんだよ……!
あっさんの夢を聞いた……ひーのせいで怪我をさせた……。
もう足を引っ張るわけにはいかないんだ!
だからお願い! ひーのところにボール来ないで……!
「なんで……!」
なんでまたひーにボールを……マオちゃん……!
「あなただって勝利に必要なわたくしの手の一つですわ! そこにいるんなら決めなさいっ!」
「っ……!」
なんで、なんで、なんで……!
「うあぁぁあぁぁっ!」
くそ、ブロックに木葉さんと深沢さんが付いてきてるっ! ひーじゃ、破れない……!
「そーんな顔で、勝てるわけないでしょー?」
スパイク、防がれた! 負ける! ひーのせいで!
だいたい! なんなんだよみんなっ! 勝てるとは思ってないって言ってたじゃんっ!
そりゃあ、木葉さんの言う通り、勝てないに決まってんじゃん……!
「ぅああっ!」
「! リリー!?」
木葉さんのブロックに落とされたボールをリリーが拾う。でも疲れ果てたリリーのレシーブはマオちゃんのところまで届かない!
よかった、これでひーのせいじゃなくなる……!
「ふ、ぅっ」
「みきみき……!」
でもコートの奥の方に飛んだボールを、みきみきが拾った……!
「日向ちゃーんっ! ラストォーっ!」
「決めろ日向―っ!」
二人とも勝てないだろうって言ってたくせに……なんなのその必死そうな顔……!
ひーには、わからない。
わからないけど、
「絶対ミスるわけにはいかないじゃん……!」
木葉さん相手に、藍根相手に、勝てるわけがない。
でもひーで終わらせたくないから、このスパイクだけは勝たせてもらうっ!
「いい顔になったけどさー、あなた程度じゃ無理だよー?」
遠くからのトスになったせいでブロック三枚付いてる!
でも、まぁ。
「これだけは、十八番なんだよね――」
たった数ヶ月だったけど。たった十五分間だったけど。県内一の使い手をずっと見てきたから。
矢坂さんの次に、ひーはフェイントが上手い!
「――ふっ」
ひーの渾身の一振りはボールに当たる寸前に勢いをなくし、あの高いブロックの上をゆっくりと飛び越えていった。
「っそ、フェイントォ!」
あの木葉さんを……完全に抜けた……悔しがらせた……!
「こういうこと……だったんだね……」
ずっと、二年間。あんなに練習をして、あんなに喜び、あんなに泣いていた矢坂さんを馬鹿にしていたけれど。
ようやく、わかった。
「たのしい――!」
興奮。高揚。愉悦。脳があらゆる喜びの感情を溢れさせてくる。
真っ向からぶつかったら決して勝てない強敵を完璧に出し抜くフェイント。
この快感を再び味わえたらと思うと、辞めることなんてできない。どんなに苦しくても、この一瞬のために全てを投げ打ってもいいとすら思える。
勝つとか勝てないとか、頭の中でこねくり回した理屈なんてどうでもいい。ただこの一瞬の感情が全て。
みんなも、そうだったんだ。勝つとかそんな結果より、この過程があるからこんな必死になれたんだ。やっとわかった。
「やっと、馬鹿になれた――!」
「――上手だね、私もちょっと、うれしいよ」
ブロックが三枚跳んでいて後衛からではひーのフェイントが見えなかったはずだ。
「でもそれは、私の方が上手いよ。外川さん」
「矢坂さん……!」
なのに矢坂さんは、読んでいたかのようにボールの落下地点に構えていた。
「くっそさすが……!」
ひーのフェイントは一から十まで完全にに矢坂さんから見て学んだ。だから矢坂さんにしかわからないような癖とかも気づかない内に真似してたんだ……!
「でもひーは、負けないよ!」
もう一度あの快感を。今のひーの頭にはそれしかなかった。
「鰻さん、ください!」
「あら珍しい。どうぞぉ」
今日初めて聞く矢坂さんの大声が響き、綺麗なトスが後衛に届けられる。これが本家本元。フェイントか、強打か。どっちだ……?
「ふっ」
矢坂さんが選択したのはフェイントだった。ほんっとに打たれるまでどっちかわからなかった……やっぱすごいな、矢坂さんは。
「っ」
矢坂さんの声にならない驚愕の声が耳元に聞こえた。フェイントはブロックの上を通り抜けるが、その分速度が遅い。だからレシーバーに拾わせる時間を作らせないためになるべくブロックの上ギリギリを狙う。つまりフェイントの上手い矢坂さんは本当に少しの隙間しか空かせない。それが裏目に出た。
「ワンチ!」
ひーの隣でブロックに跳んだきららんが、ボールに触れた。
決して矢坂さんが高さを測り間違えたわけじゃない。
ただ単純に、きららんのブロックが普段よりも、高かった。