第3章 第49話 主人公:一ノ瀬朝陽
あっさんが気持ちのいいスパイクを決めてローテが一つ回る。今の花美のローテは前衛レフトからくるみんさん、みきみき、マオちゃん。後衛はリリー、あっさん、きららん。またかんちゃん不在のタイミングが来てしまった。
そして相手前衛は矢坂さん、鰻さん、木葉さんと交代した六番の選手。でもこのミドルブロッカー、上手いは上手いけど実力は木葉さんよりだいぶ下だ。
花美は攻撃型ローテ。そして藍根は防御が弱く、それに攻撃もセッター前衛で弱いターン。ここで決めなきゃ後がない。
「いきますっ!」
きららんのサーブはリベロに拾われ、綺麗にセッターへと返る。さぁ、誰に……。
「フェイクなんてもういらないわ」
鰻さんが上げたのはレフト、矢坂さん。相手を翻弄するフェイクを入れない分いつもより綺麗で鋭い。でもなんでフェイクを入れない……?
「――日向さん」
いつも試合を観ている時は静かなかんちゃんが口を開く。
「交代の準備、しておいてください」
絶望に満ちた表情で、リリーを見ながら。
「ぐっ……!」
リリーの足が、完全に止まっていた。
矢坂さんのコースに回り込もうとしていた脚はもつれ、床に転がる。もうそこまで体力が……!
いや今はそれよりも、今矢坂さんのスパイクコースにいるのは、きららんだけ……これじゃあ……!
「あぁっ」
「ふぐっ」
きららんが矢坂さんの強打になんとか食らいつくも、腕に当たったボールは弾き飛ばされひーたちがいるウォームアップゾーンへと飛んでくる。くそ、ここは取っておきたかった……!
でもダメだったものはしょうがない。ボールをキャッチしようと腕を広げると……、
「ごめん、日向さんっ!」
かんちゃんに、蹴られた。
「なっ……!」
いくら力の弱いかんちゃんのキックでも不意を突かれたせいでよろけてしまう。文句をつけようとかんちゃんを見ると、
ひーの眼前を、あっさんが横切った。
「ふんぐっ」
もう終わったはず、いやひーが終わったと思い込んでいただけのボールをあっさんが空中で拾い、コートへと返す。あっさんは諦めてなかったんだ。きららんが弾いたのを見て全速力で飛び込んできたんだ。
「あがっ……!」
足元で悲鳴が聞こえたが、今あっさんの手を取るわけにはいかない。だからただボールの行方を見守る。
「ラストラスト!」
「美樹さん、叩いて!」
二回触ったのでもうここで打つしかない。一番近いみきみきがボールを睨み、短く助走を取ってスパイクを打つ。でもミドルのブロックに捕まって……いや、これは……!
「リバウンド!?」
みきみきはわざとスパイクを相手ブロッカーの手に当て、一度こっちのコートに戻す。
「もっかいもっかい!」
「んぁっ!」
そのボールをヘロヘロの脚でリリーが拾い、マオちゃんがトスのために跳び上がる。
「胡桃さんっ」
だがその呼びかけは完全にフェイク。マオちゃんはツーアタックを選択し、ボールを相手コートへと落とす。こんなドタバタしてる時にツーなんて……こういうとこは度胸がある。
もし木葉さんがいたらそれも読まれていたかもしれないが、大樹がない前衛はもろく、誰も反応することなく床へと落下した。
「これで……十七対二十……!」
三点差なら十分可能性はある。リリーの体力は不安だけど、ひーが入ればそれも解決する。あ、そうだ忘れてた。
「あっさん、だいじょ……」
「ぐ、あ、あ……!」
「ぁ……ぅ……!」
そう言いかけたひーの足下に。あっさんとかんちゃんがうずくまっていた。
「ぇ……なんで……?」
なんであっさんは足を押さえて苦しんでいるんだ。
なんでかんちゃんは口から血を流してるんだ。
なんでひーは、無事なんだ。
なんてことをなんの心当たりもないように思ったけれど。
理由なんて考える必要すらなかった。
あの時。ひーがボールを取るだなんて無駄なことをしようとした時。
かんちゃんがひーを押しのけ、そこにあっさんが入ってきた。
そこで接触……たぶん、背の低いかんちゃんの顔にあっさんの脚が当たり、体勢を崩したあっさんが着地の時に足を捻ったんだ。
「せんせ……!」
「タイムアウト!」
ひーが叫ぼうとすると、こっちの様子に気づいた徳永先生が審判にそう指示を出し駆け寄って来る。少し遅れて小内さん、そしてコートの選手たちも走ってきた。
「環奈さんっ!」
「水空ちゃんっ!」
「朝陽……」
マオちゃんやみきみき、くるみんさんが顔を真っ青にして二人の顔を覗き込む。
「外川さん、怪我は?」
「ぁ……いや……ひーは別に……」
「水空さん、あなたは?」
「大丈夫です、ちょっと口を切っただけなんで。それより朝陽さんがまずいです」
なんの怪我もしていないひーがしどろもどろにしか返せないのに、本当は痛くて痛くてたまらないはずのかんちゃんは冷静に先生にそう伝える。
「一ノ瀬さん、脚は?」
「あー……大丈夫っすよウチは……梨々花、お前ちょっと座って休んでろよ。まだ三セット目もあるからな」
あっさんも平然とそう言うけれど、明らかにかんちゃんのそれとは違う。脂汗をかき、立ち上がることもせずにわざとらしく笑みを浮かべている。たぶんこれは本当にやばい……!
「とりあえず救護室行くぞ。水空さんは……」
「あたしは大丈夫です。珠緒、脱脂綿持ってきて。詰めるから」
「もう持ってきてるよ。あと氷のうは……悪いけど朝陽さんに渡すね」
「うん、ありがと」
さすが強豪校出身と言った方がいいのか。最初こそ泣きそうだったけど、すぐに冷静になって応急セットを持ってきた。でもお嬢さま言葉を忘れてるところを見ると内心焦っているのだろう。手が小刻みに震えているのが見えた。
「未来ちゃん、救護室に送ってきて」
「ぁ、は、はいっ」
静かに対処している徳永先生に対し、小内さんは動揺を隠しきれていない。言われるがままにあっさんをかつごうとすると、あっさんがそれを力強く払った。
「大丈夫だっつってんだろっ! ウチはまだやれるっ! アドレナリンどばどば出てんだよ。問題ねぇ」
そう言ってあっさんは腕を支店にして立ち上がるが、脚に力を入れた瞬間身体が傾く。どう見たってもう試合を続けることはできないだろう。
「……一ノ瀬さん、もう……!」
「うっせぇよ触んなっ!」
よろけたあっさんを支えようと小内さんが近寄るが、再び跳ね除けてよろよろと徳永先生に近づいていく。
「頼む、やらせてくれよ」
あっさんの進んできた道に水が残る。
「ウチはこの時のためにバレーを続けてきたんだ」
それは三年間の努力の証明。そして、
「ウチは泣きたいんだよ。負けて、悔しくて、胡桃みたいに! がんばったって、この瞬間だけは主人公だったって! 言いたいんだっ!」
まだ結果は出ていないけれど、心は、気持ちは、既にそれが叶ってしまったという証明。
「だからウチは死んでも試合に出る。ウチの夢をこんなところで終わらせねぇ」
泣きながら。涙を流しながら。そう訴えるあっさん。
「だめだ。おめぇを試合に出すわけにはいかねぇ」
でも徳永先生はそれを認めなかった。
「……先生、あーしからもお願いします。先生にはわからないかもしれないけど、試合に出るっていうのはそんだけの価値があることなんです」
本当は止めなきゃいけない立場の小内さんがあっさんの背中を押す。小内さんは今まで一度も試合に出たことがないと言っていた。だから試合に出るということにひーたちとは別の考えを持っているのだろう。
「だめだ。おめぇは怪我をしている。もしかしたら今後の人生に支障が出るかもしれねぇ。そんな奴を出すわけにはいかねぇ」
「――これがっ!」
なおも否定を続ける徳永先生の胸ぐらを掴むというより押し、強く。強く。叫ぶ。
「これが最後かもしれねぇんだよっ!」
「部長が最後だなんて決めつけてんじゃねぇよっ!」
強い想いだった。
あっさんの想いは、三年間は、とても強く。みんなそれはわかっていたけれど。
それでも、正しくなかった。
「おめぇの気持ちはわかる。おらにだってよぉく伝わった。でもこれは学生スポーツで。おらは教師で。おめぇは大事な生徒だ。だからおらはおめぇを出すわけにはいかねぇんだ」
それは反論の余地のない、ひーたち生徒にとってこれ以上ないくらいのルール。
「それにまだなんにも終わってねぇ。だからおめぇはまず大丈夫だって証明してこい。んで戻ってきたらそん時は好きなだけ出してやる」
「……はい」
「最後までがんばれ、部長」
「――はぁいっ!」
そう叫ぶと、あっさんは一度腕で顔を拭い、よろよろとひーに近づいてくる。
「その……すいません……ひーのせい……」
「わりぃ、日向。ウチの代わりをできんのはお前だけだ。まぁお前はこんなこと言ったってあんま喜ばねぇしプレッシャーにもならないだろうけどな。……ま、がんばってくれ」
「は、はい……」
短くそれだけ伝えると、頭をぽんと叩きひーから離れてしまった。
これがひーとあっさんの関係だ。
この大事な場面で長々と語り合えるだけの努力を、ひーは重ねてこなかった。
「朝陽……」
「んだよその顔。別に死なねぇから安心しろよ」
あっさんが向かったのはくるみんさん。三年間、いやあそこは中高六年間の仲だったか。
そしてたぶん、今のあっさんの原点。
「あなたにとっては死ぬようなものでしょう」
「だな。正直今めちゃくちゃ死にてぇ」
「死なないでよ」
「死なねぇよ」
そんな軽口を叩き合いながら、ようやくくるみんさんの元に辿り着いたあっさんは抱きつくように寄りかかった。
「わりぃ、後は頼むわ」
「ええ。任せなさい」
そして短くそう伝え合うと、二人は離れる。
言葉なんて言葉なんて必要ないほどにつながっていると、一目でわかった。
「――きららさん、一つお願いがあるの」
小内さんに連れられ体育館を背にして消えていくあっさんを目だけで見送りながらくるみんさんが髪留めを外す。そして自由になった髪を振り払うと、見たことのないほどに強く、それでいて今にも消えてしまいそうなほど儚い瞳で、きららんに伝えた。
「今からのボクのバレーは間違ってるから――真似しないでね」