第3章 第46話 桃源十花
「いきます」
タイムアウトが明け、得点は一対八。もう何本目になるか覚えてないサーブを雷菜さんが打ちます。それを環奈さんが拾うと、完璧なAパスとなりました。
「たぶんレフト中心に攻めろって言われたよねー? でも扇さんを使う度胸は珠緒ちゃんにはないもんねー? だったらぁー」
「ごちゃごちゃうるせぇですわっ!」
ゆっくりとボールが落ちてくる中ネチネチと口を動かす木葉さんを一蹴すると、珠緒さんはボールを上げます。でもその直前、木葉さんは美樹さんの方に走り出します。あんなことを言っていたのに珠緒さんは美樹さんに上げられると評価していたのです。やっぱり性格が悪い。
でもまだ舐めています。珠緒さんを。そして花美高校を。
「……うそでしょ」
ブロックに向かった先で木葉さんがぽつりと漏らします。さすがの木葉さんでもこれは予想できなかったでしょう。
木葉さんのゲスブロックの破り方。それは現実的ではないという点を無視したら簡単です。
今まで見せなかった技。木葉さんが知る由もない攻撃をすればいいのです。
もっとも強豪藍根相手に技を封印しておくなんて舐めプはできません。
だから編み出したのです。ついさっき、一瞬で。
「小野塚さんが、スパイク!?」
そう、これこそが木葉さんが知らない技。梨々花さんはレシーバーと言ってもリベロではなくあくまでセッター。攻撃は可能なんです。
さぁ、完全にブロックは振り切れました。見せてください、梨々花さんのスパイクを……
「うそでしょ……」
そう漏らしたのは木葉さんでも、藍根の選手でもない。梨々花さんへとトスを上げた珠緒さんがボールへと跳び上がる梨々花さんを見て驚愕しているのです。でもその気持ちは自分も一緒。
だって梨々花さんは、雷菜さんと同じくらい跳んでいたのです。
梨々花さんのスパイクの最高打点は春の時点で二百五十六センチと言っていました。ネットの高さは二百二十センチで、後ろから打つ分どうしても軌道が下がってしまうバックアタックを成功させられるかどうかはぶっちゃけ懸けでした。
でも今の梨々花さんのいる位置は申告よりもかなり高い。確か雷菜さんのスパイク最高到達点は中三の段階で二百七十五センチと環奈さんは言っていました。身長から考えたら異常なほどに跳んでいます。元々高い自分には想像もできないような努力を重ねてきたのでしょう。さすがにそれと同等とまではいきませんが、それに近い高さまでは跳んでいる。
足場の悪い砂浜で走ったから脚の筋力が上がったのでしょうか。いや、でも、それにしてはあまりにも……!
「!」
珠緒さんの想定より跳んでいる。それはつまり、トスが合わないということを意味します。事実ボールは環奈さんの左斜め下数十センチで高度を失っている。
「フォロ……!」
珠緒さんの後ろにいた環奈さんがそう言いかけて口を閉じれなくなりました。
なぜなら梨々花さんは合わないボールを逆の左手で押し込んだのです。
慣れない空中で、右利きの梨々花さんが、左手を自在に操った。
まるで、両利きの音羽さんのように。
「ぐぅ――っ!」
ネットの上部にある白帯に当たったボールはそのまま藍根コートに落下していき、慌ててボールに飛びついた木葉さんを嘲笑うかのように目前で床に落ちました。
「や、やった……!」
たった一点ではありますが、木葉さんの『寄生』を破りました。スパイカーとなった、梨々花さんが。
「……あなたは……!」
床に伏したまま悔しそうに握りこぶしを作っている四十センチ近く身長が離れている木葉さんを見下ろしている梨々花さんに抱きつきに行こうとすると、それより前に後衛にいた雷菜さんがネット際に近づいてきました。
驚きに満ち、怒りに滾り、恐怖に慄いた表情で。
「――あなたは、何者なのっ!?」
ネットの向こうに見える化物に訊ねました。
「――かつて夢見た桃源郷」
珠緒さん並のセットアップ能力を持ち、
「失い得たのは恵みの水」
環奈さんランクのレシーブ力を有し、
「豊かに実った花園で」
雷菜さん級の跳躍力があり、
「自ずと胸には咲く十花」
音羽さんに近い自由さを備えている。
「『桃源十花』、小野塚梨々花」
そんな人、もうこう言うしかないでしょう。
「――このレベルのことなら、誰でも同じことできんべ」
バレーボールの、天才だと。