第3章 第45話 ツンデレ
第二セット序盤は第一セット序盤よりも一方的な試合でした。
一対七。花美の前衛は自分、珠緒さん、美樹さん。藍根の前衛は矢坂さん、鰻さん、そして木葉さん。
「まずは最速最高のきららちゃんだよねー」
「っ」
相手サーブを完璧に拾い珠緒さんがセットを上げる寸前、ネットの向こうから地獄からの囁きのような声がします。
その言葉通りにトスは自分へと上がり、速攻は木葉さんのゲスブロックに完全に止められてしまいました。
「あぁっ」
床へと落ちる寸前環奈さんがなんとか拾い、再び珠緒さんのセットアップ。
「速攻の次はレフトにオープン。でもちっちゃな扇さんに上げるのは怖いもんねー」
珠緒さんが選択したのは朝陽さんのバックアタック。でもそれも完全に防がれます。
「このっ」
今度ボールを拾ったのは梨々花さん。どれだけ叩き落とされようとボールが落ちなければ負けない。だから最強のレシーバー二人がいる花美はなんとか食らいついていけてます。
ですが二人がレシーブに回らないといけないということは、トスは珠緒さんが上げるしかないということ。そしてそれは負けはしなくとも絶対に勝てないということを表していました。
「読まれて焦って、ツーを出すしかなくなる。でもばれてるって知ってるなら……」
珠緒さんがボールに触れるその寸前、木葉さんはブロックに跳びませんでした。
ツーアタックに見せかけたトスを上げ、相手の反則を誘う『反則の委託』。ですが読まれてしまえば誰にもつながらない不完全なトス。
ボールは誰にもつながらないままゆっくりと床へと落ちてしまいました。
「はぁ……はぁ……っ」
珠緒さんの息遣いが聞こえます。二セット目、放ったツーアタックは四本。失点となったのは四本。二セット目の半分以上が珠緒さんの失点です。
「申し訳ありませんでしたわ」
たまらずタイムアウトを取ると、開口一番珠緒さんが頭を下げました。
「本来ツーは絶対に決めなければならない技なんですわ。スパイカーに点を取らせるのが仕事のセッターが自分で点を取ろうというのだから。それで失敗してごめんなさいじゃいけねぇんですのよ」
別に珠緒さんのツーアタックがいつもより多いというわけではありません。ただツーは相手を騙すために味方プレイヤーもここは絶対にスパイクだ、と思うタイミングで打つからフォローが間に合わないだけで。
事実を客観的に見たら珠緒さんが悪いのではなく、木葉さんがすごいだけ。だから気にしないでください。そう言うのは楽ですが、今の珠緒さんの人でも殺すんじゃないかと思わせる眼光を見ると下手な慰めはできません。
「責めるつもりはないけど、ツーとセンター線が多くなってるのは事実ね。ここからはレフト中心でいくわよ。ゆっくりなオープン攻撃ならブロックが来ても躱せるだろうしね」
「んな気負うなよ珠緒! ピンチを救うのがエースの仕事! もっとウチにガンガン寄越せっ!」
「そうだよっ。もっとみきに上げていいからねっ」
「……はい」
美樹さんと朝陽さんがそう励ましますが、珠緒さんは納得していない顔つきです。小内さんはおそらく傷つけないようにアウトサイドヒッター二人のことを指しましたが、朝陽さんには普通にボールを上げています。
でも問題は、ボールが乱れた時に上げざるを得ない前衛レフトの美樹さん。身長百五十五センチにも満たず、雷菜さんのようなジャンプ力もテクニックもない美樹さんにブロックと真っ向勝負させるのはあまりにも無茶です。
ですが逆に藍根が美樹さんを警戒していないのも事実。美樹さんに上げたらブロックが三枚くっつくということはないでしょう。
これは珠緒さんの心の勝負。身長の低い美樹さんに全力で託せるかという珠緒さんの度胸が鍵です。ですが、
「……大丈夫。わたしは弱い。流火さんのようになれない。特別になれない。どこまでいっても結局凡庸。だから失敗を恐れるな。失敗することが当たり前なんだから。がんばれ、がんばれわたし……」
珠緒さんは窮地に立たされた時のメンタルが弱い。今も集団から少し離れ、下を向いてぶつぶつと唱えています。
普段は強気にお嬢さま口調で身を包んでいますが、一皮剥ければただの普通の女の子。中学時代の全てを太陽のような流火さんに焼かれ続け、成功体験なんてほとんどない卑屈で優しすぎる子です。
おそらく精神を落ち着かせる方法が、この自分を卑下することなのでしょう。思えば紗茎戦も流火さんが参戦した時、幼児退行して自分を罵っていました。ですが今は公式戦。心が折れるわけにはいかない。だからこんな痛々しいことしかできないのです。
「珠緒さ……」
「珠緒」
さすがにこれを放っておけない。だからなんとか慰めようとすると、名前を呼ぶ声が珠緒さんの後ろから聞こえました。胸の下には珠緒さんを強く抱きしめる腕が組まれていました。
「珠緒は流火より下手だよ。トスだけなら天音ちゃんの方が上手いし、織華に勝てるわけないよ」
「……わかってるよ。環奈さん」
珠緒さんの背中に顔をうずめているのは環奈さん。見ているだけで汗がすごそうと思ってしまいます。
「下手だから、何とかしようと……」
「でもさ、珠緒にはあたしがいるじゃん」
その一言は、叱責するようなものでも、優しいものでもありません。
ただのお話。ただただ普通に話しかけます。
「ツーを失敗しようと、トスをミスろうとあたしが拾う。それができなかったら拾うのが仕事のリベロのあたしの責任だよ」
「でも……結局わたしのミスだから……」
「そうだよ。珠緒もミスだよ。でもさ、二人でのミスなら別にいいじゃん。珠緒がミスった時、あんたの後ろに必ずいるあたしのミスにもなる。だから思い切って失敗しちゃえばいいんじゃない?」
「……次点取ったら胡桃さんと交代のくせに」
「そだね。だからとりあえず次、勝つよ」
「次……次か……。――上等ですわ」
珠緒さんは一度息を思いっきり吸うと、環奈さんの腕を振り払います。
「環奈さんに絶対謝らせない。次、完璧なトスを上げてみせますわっ!」
「……なにそれ。あたしの励ましちゃんと聞いてた?」
「当然でしょう。環奈さんのツンデレは中々心にキますもの」
「うざ! もうあんたがミスっても絶対助けてやんないからっ」
「だったらあなたが一人で怒られなさい。わたくしは絶対励ましませんわ」
「はーん! いいもんっ! あたしには梨々花先輩がいるからっ!」
その喧嘩はとっても子どもで、醜くて、くだらないものです。だってお二人とも楽しそうに笑っているんですから。その様子に小内さんは胸を撫で下ろし、時間ももうないので短く指示を出します。
「うちはセッターを二人搭載している以上どうやっても攻撃の手は限られるわ。だから恐れずにガンガン攻めなさいっ!」
『はいっ!』
小内さんの言葉に声を揃えて返事する花美の選手たち。でも一人、目を見開いて固まっている人が。
「……珠緒さん?」
「それですわ……!」
なにかに気づいた珠緒さんが一人の選手の肩を掴み、大声で訊ねました。
「最高到達点、何センチでして!?」