第3章 第42話 不穏な叢生
タイムアウトが明け、飛び道具というものを使い始めてから序盤の大差が嘘のように接戦へと変わっていった。
矢坂さんのフェイントはあまり効かなくなったし、リリー、かんちゃん、マオちゃんの三人によるセットアップは藍根ブロッカーを大いに苦しめた。
そもそもこの三人。セットアップの癖が大きく違う。本来のセッターであるマオちゃんは、ツーアタックを基準にするためセッターから位置の離れているアウトサイドヒッター、特にあっさんに任せることが多い。対して対角セッターのリリーは普通ではありえない超絶テクによる速攻を好む。リリーがトスを上げる時はみきみきが速攻に入ることが多いというのも大きな特徴だ。そして三人目のかんちゃんは、きらりんとマオちゃんの同期にかなり頼っている。その三者三様な戦法に相手は振り回され、攻撃がよく決まるようになっていた。
それでも点差は二十一対二十三。試合中盤からこの二点差がどうしても覆せない。
理由の一つは、深沢さんがいること。矢坂さんへの対策はできたが、コート外に飛ばすブロックアウトへの対策はなにもできていない。
そしてもう一つは、木葉さんがいること。複数セッターにより相手ブロッカーを惑わせていると言ったが、それは唯一木葉さんには該当しない。どんな攻撃をしても、前衛にいる時は遅れてても必ず一枚ブロックついてくる。その脅威に、特に身長の低いみきみきがかなり苦戦を強いられている。
「外川さん、来て!」
現状のピンチを改めて考えていると、ベンチに座っている小内さんがひーを呼んだ。
「次、一ノ瀬さんと交代ね」
小内さんの斜め前に立つと、小内さんは冷や汗を垂らしながらそう言った。
「あっさんと……?」
今のローテは、花美の前衛にきららん、あっさん、リリー。藍根の前衛に深沢さん、木葉さん、オポジットの人。こっちは身長のせいで実質攻撃不可なリリーが前衛にいて、エースのあっさんに頼らないといけないローテ。対して向こうはスタートと同じローテで、『金』二人、そして攻撃三枚とたぶん最強のローテ。なのに同じポジションで実力の劣るひーを使う意味がわからない。
「!」
ピー、という笛の音がしてコートの方を見ると、ちょうど木葉さんのブロックにマオちゃんのバックアタックが止められていた。これで二十一対二十四。向こうのセットポイントだ。
「悪いけど説明してる時間はないの。とにかく速攻に入ってくれればそれでいいから!」
「……うーす」
納得できないままあっさんの背番号である二が書かれている選手交代ボードを手にしてコートへと近づく。
「悪いな、セットポイントで代わってもらって。緊張しなくていいからなっ」
あっさんはボードを見て少し驚いた顔を見せつつも、すぐに快活な笑顔を浮かべてひーからボードを受け取った。
「……いや、緊張はしないっす」
その答えは決して気を遣ったわけではない。本心からまったく緊張していなかった。
あと一点取られればセットを落とすタイミング。三年生にとっては最後の試合になるかもしれない。
それでも、ひーは。
全然緊張なんてできなかった。
「……ま、緊張してないならそれに越したことはねぇなっ」
嘘をつけないあっさんはひーの返答に一瞬ムッとした顔になるが、それを飲み込んで小内さんのところに向かった。
「ごめん、なんか全然わかんないけど代わった」
とりあえずあっさんがいた前衛センターに着き、右隣のリリーに話しかける。
「いんや、わたしたちはわかってるから問題ねぇ」
あ、やっぱり訛ってる。なんでリリー試合中だと怖い顔になって訛るんだろう。話しかけづらいんだよなー。
「……よかったらくわしく教えてもらえる?」
「別に日向は気にする必要ねぇ。ただの飛び道具だ」
んー、いい返事。ほんと、一昨日来なかったことを責められてる気分。
主審が笛を吹き、藍根の田子さんがフローターサーブを打ってくる。それをかんちゃんが拾い、リリーが落下地点に着いてしばらく後、ひーときららんがほとんど同時に跳び上がった。
「ダブルクイック……!」
オポジットの人が苦々しくつぶやいたかと思うと、ひーの正面に深沢さんが立ちふさがった。きららんの前にはオポジットの人がいるし、初めて見せる技なのにさすがの対応力だ。でも、
「く……!」
リリーはトスを上げなかった。選択したのはツーアタック。リリーのツーも初めて見るし、ダブルクイックも初めて。初見×初見、そして交代した人を使わないという選択。これが飛び道具か……!
「っー!」
普段のリリーからは想像もできない集中に満ちた表情が珍しく焦りの色を帯びた。リリーの遥か頭上、まるで壁のように木葉さんの腕が生えてきたのだ。
やられた。そう直感しただろうが、もうリリーの腕はボールを押し出していた。ツーへのブロックに一番慣れているマオちゃんが「フォロー!」と後ろで叫び出したのが聞こえる。でもボールは木葉さんの腕に阻まれることはなかった。
「ひぎゃっ」
リリーと木葉さんの身長差は約四十センチ。しかもツーアタックはトスに見せかけるため全力ジャンプをすることはない。
だからボールは上に伸ばした腕にまで届かず、木葉さんの顔面に当たり、そのまま藍根側のネットを滑るように落ちていった。
「す、吸い込み……!」
本来の吸い込みはスパイク対ブロックで、ブロッカーがボールを弾けず身体とネットの間を落ちていくことを言うのだが、これも一種の吸い込みと言っていいだろう。た、たすかった……! これで二十二対二十四。なんとか点を取ることができた。
「ひぎゃっ……ひぎゃって……ぷぷ」
「あははっ、織華大丈夫―!?」
普段へらへらと余裕ぶってる木葉さんが顔面にボールを受けて変な声を上げたのがおもしろかったのだろう。喧嘩友だちみたいになってるきららんが口に手を当てて笑い、同じことを思っているのか藍根のチームメイトも声を上げて笑う。
「うざ……絶対ふみつぶす……!」
「ぷぷぷっ、強がってるところ悪いですがおでこまっかですよっ!? いたいのいたいのとんでけー! ですっ!」
「かちーん……! さすがにイラっときた……!」
……きららんは笑ってるけどさ……あのブロック、おかしくなかった……?
だって直前までわからないツーアタック相手に木葉さんのブロックは既に最高到達地点にいた。それってつまり完全にツーを読んでたってことでしょ……?
「…………」
点を取れた。木葉さんの冷静さを奪えたのもどっちかというといい流れだろう。
でも胸の奥には大きなしこりが残った。