第3章 第34話 絆-Ugly-
第二セットも驚くほどスムーズに試合は進んでいきました。さすがに今回もゼロ点に抑えることはできませんでしたが、二十三対八という点差となっていました。
「きららさん」
「はいっ」
珠緒さんが単調なトスを自分に上げます。この試合何度もこなした作業。相手もブロックには跳びますが、自分の方が全然高いので特に意味は成しません。だったらクロスを塞いでプレッシャーをかけ、コースを絞ればいいと思うのですが、相手にその考えはないようで打っては決まり、打っては決まりが続いています。また今回も決まり、二十四対八。花美高校のマッチポイントです。
「諦めないでっ! 諦めなければチャンスはあるっ!」
『はいっ!』
大差をつけられていようと日回の選手たちの瞳には強く炎が灯っています。言葉だけでなく、本当に負ける気のないということが伝わってきます。
「……腹が立ちますわ」
そんなネットの向こうを見て、珠緒さんが小さくつぶやきます。
「環奈さん、梨々花さん。拾ったらいつもより高く上げてくださいまし」
そして振り返るとレシーバーの二人にそう指示を出しました。
「あーあれやるんだ。……別にいいけどさ、ここで使わなくていいんじゃない?」
「見せておくのは大事ですわ。今後の試合でよりツーに警戒してもらえるでしょうし……なにより花美高校のために必要な行為ですわ」
「……いいよ、ここはあんたに任す」
環奈さんと珠緒さんが自分にはわからない話をしている間に胡桃さんがサーブ位置に着きます。そして笛の音が鳴ると同時にサーブを放ちました。
「お願いっ!」
「うんっ!」
普通のフローターサーブ相手に苦しそうにレシーブし、なんてことはない普通のトスがキャプテンさんに託されます。
「はぁっ!」
うーん、ここで普通にブロックで防いでもいいのですが……珠緒さんがやりたいことをやらせてあげたいという気持ちもあります。なので自分はクロスを塞ぎ、キャプテンさんがストレートに打つのを誘導しました。キャプテンさんは自分の思惑通りに打ってくれ、先にいた環奈さんが珠緒さんの指示通りに高くボールを上げました。
「きららさん、いきますわよっ」
「はいっ」
おそらくブラフの掛け声を聞き、自分は助走距離を確保します。それを確認し、さらに相手コートも確認した珠緒さんはボールをトスするために跳び上がります……が、いつもよりタイミングが早いです。これじゃあトスを上げるのではなく、攻撃を仕掛けるとばれてしまうのでは……!
「ツーっ!」
やはり相手も気づいたのか、キャプテンさんが叫んで他ブロッカー二人が珠緒さんの前にブロックに跳びます。
「拾わなくていいですよ、梨々花先輩」
おそらくブロックフォローに入ろうとしたのでしょう。梨々花さんを引き止める環奈さんの声が聞こえます。
「もう、勝負はついています」
そんな環奈さんの言葉に聞き耳を立てていると、珠緒さんの両手でのツーアタックが相手ブロッカーに止められ自分たちのコートに落下しました。
『っしゃぁぁぁぁぁっ!』
それを見た相手コートと応援の方が歓声を上げます。まるで試合に勝ったかのような喜び方。ですが散々苦しめられたツーアタックを防げたことを思うとそうなるのも頷けます。
「珠緒さん、なにがしたかった……」
自分が訊ねようとすると、主審の方が得点を示す笛を吹きます。ですが腕は花美の方を向けていて……。
「え?」
キャプテンさんの間抜けな声がやたら大きく体育館に響きます。だってこれってつまり、
「自分たちの、勝ちってことですか……?」
「ちょっ、ちょっと待ってっ」
日回高校のブロッカーが必死に両手を挙げて審判に抗議します。これはタッチネットはなかったというポーズ。バレーは基本的にネットに触れると反則になり、多いのはブロックした時にネットに触れてしまったというパターン。ですが自分の目から見てもネットに触ったようには見えませんし、そもそもネットが揺れていません。自分も不思議に思い主審の方を見ると、タッチネットとは別のハンドシグナルをしていました。
「オーバーネット……?」
オーバーネットとは、ネットを超えて相手のボールを触る反則のことです。ですが攻撃に対してのオーバーネットは反則にはならず、今のようなツーアタックを防ぐためのブロックは相手コートにボールがある内に叩いても問題ないはずなのですが……。
「いま珠緒はツーをしたんじゃない。トスを上げようとしたんだよ」
謎な判定に日回だけでなく自分も固まっていると、環奈さんが自分のユニフォームを引っ張って言いました。
「ツーアタックへのオーバーネットは反則じゃないけど、トスへのオーバーネットは妨害行為。だから花美の得点ってわけ」
その解説は自分だけじゃなく、いまだ状況が呑み込めず戸惑っている日回の方々へのものでもありました。珍しく環奈さんは珠緒さんに手を向け、褒め称えるように言います。
「ツーに見えた、ううん、わざとツーに見えるようにトスを上げて相手のオーバーネットを引き出す珠緒の必殺技。その名も、」
「――『反則の委託』。あなた方には過ぎた手ですわ」
花美高校の歴史的な初勝利。それはあまりにもあっさりと、実感なく訪れました。
対する日回高校もおそらく自分たちと同じ感覚なのでしょう。泣くでもなく、元気に振る舞うでもない。ただなにが起きたか理解できず、呆然とした様子で体育館から姿を消しました。
「……これが珠緒さんのやりたかったことですか?」
試合が終わり体育館から出る最中珠緒さんに訊ねます。
花美高校の初勝利と日回高校の廃校。それは試合開始数分後にはもうわかっていて、それがわかっているからこそ本来劇的な感動が体育館に満ちるはずでした。
それなのに理解することのできない反則という決着は、どちらにとっても不本意な結末に違いありません。
「いいですの? 花美は二十五対ゼロという結果を出し、あの環奈さんが所属している特別な高校なんですのよ。これから先戦っていくであろう相手が観ている中であんな弱小校に勝ったくらいで大喜びしては舐められてしまいますわ。わたくしたちは強豪校の一つ。そう思って行動しなさい」
一年生の役目である荷物持ちをしながらも、珠緒さんの発言は自分たちの中で一番意識の高いものでした。ですが……。
「本当にそれだけですか?」
セット間での珠緒さんの態度の豹変。あれこそがこんな結果になった原因のはずです。そんな理屈っぽい理由より、もっと大事なことが珠緒さんにはあったのでしょう。
「……勝てると思っていたのが気に入らなかったんですわ」
珠緒さんは花美より先に体育館から出て行った日回高校の後ろ姿を眺めながらそう言いました。
「絆は大事ですわ。諦めないことも大事。劣勢でも決して挫けなかったあの方々の姿勢は見習うべきものですわ」
「ですが」。珠緒さんは拳を強く握ります。
「そんなものだけで特別に勝てるわけないじゃないですの」
特別。それは珠緒さんがよく口にする言葉です。きっと珠緒さんは日回高校の方々に自分を重ねているのでしょう。珠緒さんの語気が段々と強くなっていきます。
「絆じゃない、気持ちじゃない。努力なんですのよ。特別に勝つためには努力が必要なんですのよ。絆だなんだと言うのはとても美しく聞こえますが、必要なのはいつだって泥臭い努力ですわ。それをしないで勝とうだなんて傲慢だと思わなくて?」
珠緒さんはずっと努力していました。中学時代は誰より遅くまで練習をしていたようですし、今でも高校での練習の他にママさんバレーで週三の練習をしているようです。対して日回高校の方々は努力が足らないと公言していました。それが許せないのでしょう。
「別に勝つことが全てだとは思いませんし、思い出づくりも否定するつもりはありませんわ。ほどほどの努力で好きなことを楽しむのもいいでしょう。でもそれなら後悔なんてさせてやらない。何も感じさせず終わらせてやる。負けて悔しいという気持ちだけは努力した人にのみ与えられる勲章なんですのよ」
もう珠緒さんは日回高校の方々を見ません。彼女たちはもう終わった存在なんです。なにも残らず、遺せず。
「まぁ色々言いましたが、単純にむかつくんですのよ。たいした努力もせずに、勝てると思って、主人公気取りで。これでわたくしがプロになれなかったら同じ『高校生の時にバレーをやっていました』という肩書きゲットですわ。ふざけんじゃねぇですわよ」
……なんだか口調が崩れています。まぁ最近の珠緒さんは時々素が出ているので自分としては仲良くなれた気がしていいのですが。
「その点花美高校は分をわきまえてますわ。次の対戦相手に対して本気で勝てるだなんて思っていない。そりゃそうですわよ。強豪の方が努力してるに決まってますし、才能があるに決まっていますわ」
わざとらしくヘラヘラ笑い、珠緒さんは隣のコートを見ます。ほとんど相手に点を取られることなくすぐに試合が終わった花美と同じタイミングで試合が始まったのにもかかわらずコートから出たチームを。
「勝てたんだねー、おめでとー」
二十五対六。それが隣のコートの試合結果でした。一セット目はわかりませんが、そんなに変わることはないでしょう。
「じゃあ明日、いい試合をしようねー」
一年生であるにもかかわらず、荷物を持たず先頭にいた藍根女学院の木葉織華さんが自分たちに語りかけました。
「……勝てるとは思っていませんし、実際勝てないのかもしれませんわ」
それに対し、珠緒さんは返事をするでもなくそうつぶやきます。そしてビシッと指を突きつけ、こう宣言しました。
「ですが勝つのはわたくしたちですわ。首を洗って待っていなさいっ!」
それは一見矛盾するような発言です。勝てるとは思っていない。でも勝つ。勝とうと思っている。
そう思っているのは珠緒さんだけではありません。環奈さんや多くの先輩方もそう思っているでしょう。
ですが自分は。そして一番後ろで暇そうにしているあの方は。必ずしもそうだとは言えません。
「――矢坂さん」
「……ひさしぶり、外川さん」
前だけを向いている周りの方々とは違う、日向さんの物語が始まりました。