第3章 第29話 いまだ夢の中
〇日向
「……ふぅ、できた」
ひーたちがリリーを見つけてから約三分後。綺麗に蜂の絵を画鋲だけでくり抜いたリリーが額に滲んだ汗を拭い顔を上げた。
「うわーっ、梨々花ちゃんすげーっ!」
「おっ、美樹っ! それに日向もっ! だべっ!? わたしすげぇべっ!?」
最難関の型抜きを相手に三十秒で音を上げたみきみきとひーに対し、無視していたのではなく本当に気づいていなかったリリーがドヤ顔で切り抜いた型を見せつけてきた。いつもなら愛想笑いでも浮かべるところだけど、精巧な蜂の型を完璧にくり抜いているので素直に褒めることしかできない。
「……すいません、もう一回お願いします」
リリーの横で型を崩してしまった天音さんが下を向いたまま百円を差し出す。
「あれ、天音ちゃんこんばんは。……ていうかこれ何回目なの!?」
天音さんがいることに今さら気づいたリリーが散らばっている型の数を見て驚いた。
「……十回目ですね。先行っていただいて構いませんよ。できるまでやるので」
十回目。つまり千円をこんな無駄なことに費やしているのだ。あんな家庭環境でお小遣いをもらえるというわけでもないだろうし、すごい執念だ。
「写真の女性は何回でできましたか?」
「うん? 一発だな」
「……そうですか」
写真に写っている笑顔の音羽さんの結果を聞き、天音さんは再び型抜きに取り組む。こんなくだらないことにこだわっているのは全てこの妹のため。勝ちたいのか負けたいのかわからないけど、天音さんは音羽さんに食らいつこうとしている。あの環境を見たらそうなっても仕方ないけど、やっぱり馬鹿だなーという感想を覚えた。
「……! で、できましたっ!」
あれから約十分後。支払った額がさっきの倍くらいになったころ、ようやく綺麗に蜂を掘り出した天音さんがぱあっとした表情で顔を上げた。
「あ、おめでとう。これ景品な。嬢ちゃんたちには珍しいんじゃねぇか?」
最高難易度クリア記念にリリーと天音さんが缶をもらう。集中しすぎて疲れた二人が休憩したいということで、近くにあるベンチでお菓子を賞味することになった。
「これは……飴ですね」
二人とも中身は同じで、茶色の飴が数十個入っていた。百円ならいいけど二千円も出してこれだけならすごい損だな。
「はい、あげる」
「あんがと」
リリーから一粒もらい、ひーたち四人はそれを口に入れる。ころころ。んー? なんか変な味だなぁ……。少なくともフルーツ系じゃない。独特の苦さがあってこれは……。
「もしかして、アルコール?」
「えぇっ!? みきたち捕まっちゃうじゃんっ!」
「どうしようどうしようっ! 逃げねぇとっ退学になっちまうっ!」
「大丈夫だと思いますよ。未成年者飲酒禁止法は飲むことを禁止しているだけで、お菓子に含まれているものには該当しません。まぁ先生方には秘密にしておいた方がいいとは思いますが……確かにわたしたちには珍しいものですね」
へぇ、だとしたら二千円でも高くないかも。ほー、これがアルコールの味かぁ。でも当然酔っ払うほどの量は入ってないからあんまり実感わかないな。
「りりかちゃぁぁん……しゅきぃ……」
と思ったけどみきみきが顔を真っ赤にしてリリーに抱きついていた。あれはだめだな、もし大人になっても付き合いがあったら注意しよう。
「はいはい、ありがと」
対してリリーは案外平気そう。見た目子どもなのにちょっと意外だ。
「天音さんはどう?」
「ふぇ? なんれすか?」
あ、だめだこの人。
「ぇへへ……なんかきもちいい……ふわふわして……ひっく、いいきぶんれす……」
天音さんは回らない呂律で身体を前後にふらふらさせている。一応ひーの方を観ていてはいるけど焦点は全然合ってない。
「天音さん、水……は売ってないと思うからかき氷でいい?」
「ぅえ? だいじょうぶれすよ……わたしなんかが嗜好品を買ったら怒られちゃうじゃないれすか……」
こういう時は水だって聞いたことがあるからそう言ったけど、ずいぶん反応しづらいことを聞いてしまった。なんとかフォローしないと。
「今は音羽さんもご家族もいないから大丈夫だと思うよ?」
「んー? ぇ? 音羽さまいないんれすか? やったー、音羽ばかーっ、きえろーっ」
音羽さまって……ちょっとドン引き。でもガス抜きになるかもしんないから聞いてあげるか。
「音羽さんとどういう関係なの? なんかすごい気にしてるみたいだけど」
「えー? んーっとねー、おとうさまが当時の秘書だったおかあさまと不倫してー、わたしのママが追い出されてー、音羽さまが産まれたんだよー」
いやそんなことは聞いてないけど……ていうか重いっ。ひーなんかじゃなにも言えないって……。
「でねー、音羽さまがわたしを倒すとみんな喜ぶんだー。わたし小学校のころ剣道やっててめちゃくちゃうまかったんだけどー、えへへ、初心者の音羽さまにぼこぼこにされちゃったんだー。それでめちゃくちゃ悔しくて死んでも負けたくなかったからバレー始めたんだよー身長高かったから。でも音羽さまなんでもできちゃうからせんぜん勝てないんだよねー。んー、ぜったいゆるさないっ、ぶっころすっ」
ひーがなんも反応してないのに天音さんはつらつらと自分のことを語り続ける。でもこれ以上聞き続けるとひーが辛くなっちゃう。なんとか話題をそらさないと。うん、やっぱりこれがいい。
「じゃあ天音さんは音羽さんに負けたくないからバレーをやってるの?」
「うん、そうだおー」
天音さんは『銀遊の参』に選ばれるほどバレーが上手い。間違いなく全国レベルだと思う。そんな人がどんなことを考えてるのか気になったけど、天音さんは驚くほどあっさりとそう答えた。
「バレーあんまりすきじゃないもん。痛いし。でもこれなら音羽さまに追いつける。食らいついていける。だからいつか音羽さまに勝つ。そのためにバレーをやってるんだー」
それが全国でもトップレベルの選手がバレーをやる理由。
そんなの間違っている、とは言えない。たぶん天音さんにはなによりも大事なことなんだから。
ところで天音さんは気がついているのだろうか。
酔っ払って素が出た天音さんのしゃべり方が、音羽さんによく似ているということを。