第1章 第8話 死刑執行
〇梨々花
「じゃあ練習終わりー。ちょっと一回集まってー」
まったく身が入らなかった放課後の練習が終わると、絵里先輩が集合をかけた。
わたしはこの練習でなにをやっていたのだろう。昼休み以降の記憶がふわふわしていてなにも思い出せない。
ただいつも拾えるはずのボールはまったく手が届かず、身体がまるで自分のものじゃなくなったかのように感じたことだけは記憶に残っていた。
「今からインハイ予選のレギュラーを発表します。もちろんスターティングメンバ―だから変わることもあるけど、基本はこのメンバーで試合をやることになるので、よく聞いててね」
よく聞くもなにも、結局のところ問題はわたしと水空さん、どちらがリベロをやるかだ。そしてみんな、なんとなくその結果はわかっている。この時間がひどく無駄に感じてならない。
「うっ……ひぐっ……」
いつも隣にいる美樹が、わたしの反対側で既に嗚咽を漏らしている。
ほんと優しいな、美樹は。
優しくて、とても残酷だ。
「セッターが私、1番、瀬田。アウトサイドヒッターが2番、朝陽。6番、日向。オポジットが5番、美樹で、ミドルブロッカーに3番、胡桃。8番、翠川さん」
ここまでは予定調和だ。そして絵里先輩は少し言葉を溜め、凛々しい声で告げる。
「リベロ。7番、水空さん」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああんっ!」
絵里先輩がリベロの選手を告げた瞬間、遠くで美樹が崩れ落ちた。隣にいる朝陽さんが泣き崩れた美樹の肩を抱き、優しく頭を撫でている。
あーあ。どうせなら思いっきり泣いてやろうと思ってたのに、美樹がこんなんじゃわたしが泣くに泣けないじゃないか。
「控えでセッター、4番、梨々花。次のインハイはこのメンバーでいきます」
美樹が狂ったように泣いている中、絵里先輩はまっすぐわたしを見つめて宣言した。
「……はい」
水空さんと翠川さんの気まずそうな目線が向けられる中、わたしは小さく返事する。
「じゃあこれで解散。梨々花、ちょっと来て」
絵里先輩は表情を変えずにそれだけ言うと、体育館の出口に一人向かっていく。
「……はい」
さっきと同じ返事をし、床にうずくまっている美樹の前を抜けて絵里先輩についていく。場所は昨日と同じ体育館裏。昨日と同じ位置で絵里先輩は口を開く。
「……私は部長だから、誰か一人を特別扱いすることはできない」
「……はい」
「いつどんな時でも部長らしく振る舞わなきゃいけない。だから梨々花にもみんなと同じ態度で接さなくちゃいけない」
「……はい」
絵里先輩の口調はいつもと変わらない。優しく、心の奥底まで染み渡っていくような穏やかな声。
その声が、わずかに震えた。
「……でも、ここには私と梨々花しかいないから。……今だけは許して」
そう言って絵里先輩は大きく腕を広げた。まるでわたしを包み込むように。
その大きさはわたしにはないものだ。身体も、心も。全部、わたしにはない。
「選んであげられなくて、ごめんね」
絵里先輩の頬を、つーっと一筋の涙が伝う。それでも表情はいつもの優しい笑顔と変わらなくて。やっぱりそれはわたしには絶対にないもので。
わたしは一生この人には追いつけないんだろうなぁ。
「……ずるいですよ、絵里先輩は……」
そう思うとどうしようもなく口から言葉が零れる。抑えていた感情が溢れ出る。
「……せっかく、泣かないようにしてたのに……先輩らしく振る舞おうとしてたのに……!」
その先輩が泣くのなら、わたしも泣くしかないじゃないか。
わたしは身体を絵里先輩に預け、小さな胸に顔をうずめる。絵里先輩の腕がわたしの背中と頭に触れた瞬間、理性のタガが完全に外れた。
「うえええええええええええええええええええええええええええええんっ、リベロやりたかったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「うん……うん……!」
「絵里先輩にボールを上げたかったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
この日、この瞬間。
わたしの夢はまさしく夢へと消えた。
遠くに見える桜の花は、一枚も残らず散っていた。