第3章 第26話 おうちのこと 2
「待ってむり……かわいいよ……かわいすぎだよ梨々花ちゃぁぁん……」
「きゃーっ、梨々花せんぱーいっ! かわいいーっ こっちむいてぇぇぇぇっ!」
珠緒さんの一件以降は順調に着付けが進んでいき、今は梨々花さんの撮影タイム。髪を下ろしていつもより幼げな印象になった梨々花さんが宣伝用の写真を撮られています。
「元々子ども用のつもりでしたが……想像以上に似合いましたね」
天音さんの言う通り、ちょっと恥ずかしげに頬を染めている姿は七五三のように見えます。これで十七歳だというのだから驚きです。
「では次、扇様、お願いします。……扇様?」
「ぅへへ……かわいいよ……かわいいよぉ……」
撮影ブースから離れた後も梨々花さんの写真を色々な角度から撮りまくっている美樹さんに天音さんが声をかけますが、よだれを垂らして気持ち悪い笑みを浮かべている美樹さんには声が届いていないようです。
「……天音さん、あとは音羽さんに任せて着替えてきてはいかがですか?」
クォーターなのですが外国人モデルとしてブースに控えていた自分がいまだ私服姿の天音さんにそう声をかけましたが、少し渋い顔で頬をかくだけで動こうとはしません。
「いえ、これはわたしの仕事なので……扇様、お願いします」
「ぇへへ……はっ、はいっ」
再度声をかけられようやく正気を取り戻した美樹さんが慌ててブースに駆けていきます。美樹さんの浴衣は自分たちのものとは大きく違い、明るすぎるピンク色の袖が大きなミニスカートタイプ。なんというかアイドルっぽいです。
「最近ではコスプレも流行っていますからね。実験なので安い布ですが……思ったより様になっていてよかったです」
なるほど、だから身長も低く顔立ちもとてもかわいらしい美樹さんに頼んだんですね。
「梨々花ちゃんどう? かわいい?」
「うん、すっごくかわいいよ」
「なっ! 天音ちゃん、あたしも扇さんとおんなじやつにしてっ!」
梨々花さんに褒められてどや顔を浮かべる美樹さんに対抗し、環奈さんが叫びます。なんでこの方たちは梨々花さん絡みになるととんでもなくお馬鹿になるんでしょうか……。
「まぁ試作品ならあるのでいいのですが……それは後でで。それより翠川様、次お願いします。それと蝶野様もご準備を」
宣伝用の写真を撮るのは自分と風美さん、それと長身係の木葉さんと単純に美人枠の流火さんで終わり。数分間写真を撮られ続け、ようやく解放された自分はみなさんの場所に戻ります。
「おかえりなさいませ、きららさん」
なんと自分一人で着付けを済ませた珠緒さんが自分に声をかけます。ですが……なんというか、少し汚いです。
いえ、珠緒さんの着付けが下手なわけではありません。単純に浴衣の生地が少し汚いんです。自分の浴衣は撮影用なのもあって見るからに高級だとわかるのですが、珠緒さんのものは言ってはあれなのですが安いっぽいです。おそらく触さんの意地悪でしょう。
「ごめんねー、めんどくさかったでしょ」
少しイラッとした気分になっていると、音羽さんが軽く謝りながら近づいてきました。
「いえ別にいいのですが……」
普通に話そうとしたのですが、言葉に詰まってしまいました。音羽さんの浴衣がとても綺麗だったからです。
純白としか言いようがない生地に、上品な花柄。これだけだと大人っぽい美しさが際立ってしまうのですが、ワンポイントの大鷲が少し子どもっぽさを醸し出し、自由奔放な音羽さんのイメージととてもよく合っています。
「音羽さんはお手伝いしなくていいんですか?」
一瞬怖気づきましたが、目をそらして普通にお話します。
「あーいいのいいの。こういう雑用はおねえちゃんの仕事なんだ。ぼくがやっちゃうと周り委縮しちゃうし」
「え、でも天音さんが跡取りですよね? いえ跡取りという制度があるのかは知らないのですが」
「ん? 普通にぼくが跡取りだけど? あーそっか、きららちゃんは知らないんだね」
音羽さんはそう言うと嫌な笑みを浮かべ、天音さんの方を見て一際大きな声を出しました。
「ぼくとおねえちゃんってママが違うんだよ」
ママが違う。その言葉を呑み込むのに時間がかかってしまったことは言うまでもありません。
だって言葉通りの意味だとしたら、こんな大きな声で、わざわざ天音さんに聞こえるように言うはずがありません。デリケートでできれば触れてほしくない話題のはず。それなのに音羽さんは同じ調子で言葉を続けます。
「今の夫人? って言えばいいのかな? それがぼくのママで、おねえちゃんは前の奥さんとの子どもなんだ。だからぼくが正当な後継者。おねえちゃんの方がぼくより地位が低いんだよ」
音羽さんの語りに周りはなにも言いません。どころか環奈さんや珠緒さんには驚きの表情もない。おそらく紗茎出身者には周知の事実なのでしょう。当然他の従業員さんも。
「そんなぼくに働かせたら後でおねえちゃんが怒られちゃうよ。だからぼくはなにもしないの。ねー? おねえちゃーん?」
音羽さんの視線の先にいる人はなにも言いません。ただひたむきに照明を動かしたり案内するだけ。背を向けているので表情はうかがい知れませんが、その背中は現実から逃げているように見えます。
それを音羽さんは許しませんでした。
「天音、返事」
背筋が凍りそうな、冷たい一声。
「……はい」
たったそれだけで、天音さんはまるで地に堕とされた虫のように、ふるふると震えてしまいました。