第3章 第25話 おうちのこと
〇きらら
「わたしの家が呉服屋をいくつか経営していて、近くにお店があるんです。それで最近レンタルを実施しようと考えていて、その宣伝写真を撮らせてはいただけないでしょうか?」
とは天音さんから聞いていたのですが……。
「やばいです……」
てっきり普通に商店街にあるような手軽に入りやすいお店だと思っていたのですが、案内されたお店はしっかりとした日本家屋。高級料亭さながらの荘厳さを放っています。
「こんなところ入っていいのでしょうか……」
何人かが宣伝用の写真を撮る代わりにレンタル代はタダということでしたが、さすがにこんなすごそうなお店だと気後れしてしまいます……。
「見た目だけですよ。安い着物も売っていますし、地域密着を心がけていますので。どうぞお入りください」
天音さんの妹の音羽さんがずかずかと入っていったので自分たちも後に続いたのですが……。
「お久しぶりです、お嬢」
なんかすごい高そうな着物を着たおばあさんが天音さんと音羽さんに頭下げてます! 絶対やばいお店ですっ!
「ひさしぶりーっ、約束の人たち連れてきたからちゃちゃっとやっちゃって」
「かしこまりました」
ひぇっ、音羽さんがその方にため口で話してますっ。
「もしかして天音さんたちってお嬢さまなんですか……?」
「いえいえそんなわけでは……それより早く着替えましょう。着付けは結構時間がかかってしまうので」
楽しそうに笑っている音羽さんとは対照的にどこか緊張感が滲み出た営業スマイルを浮かべる天音さんが自分たちをお店の奥へと誘います。通されたのは大きな和室。十数人の綺麗な着物を優雅に着こなしたスタッフさんらしき人たちが自分たちの姿を見ると深々と頭を下げました。
「ではみなさん、お願いいたします。それと風美ちゃ……蝶野様はこちらへ」
経営者の娘さんだからなのか風美さんに様付けをし、端にある撮影場へと呼びます。
「蝶野様、まずはこちらに着替えていただけますか」
「ぅえ? えと、その、なん、で……?」
天音さんが手に持っているのは浴衣ではなくスポーツブラ。その不可解さにしり込みする風美さんに天音さんが平然とこう言い放ちます。
「和服って体型が出ない方が綺麗に見えるんですよ。それで胸の大きな方でもうちの浴衣なら美しく着れますよというのをアピールしたいので、脱いでほしいんです」
「「脱ぐっ!?」」
そう反応したのは当然の風美さんと、なぜか流火さん。さっきまであんなに疲れていたのに『熱中症』の目付きになって走って行ってしまいました。
「ほんとあの方は……」
「いいよっ、えっちだよっ、もっとセクシーにっ」、と叫び声を上げて流火さんがカメラマンに混ざって風美さんの下着写真を撮りまくってます。一回捕まればいいのにです。
「そういえば珠緒さんって和系統嫌いなんじゃなかったでしたっけ?」
スタッフさんに着付けをしてもらいながらふと思い出して横を見ると、なぜか珠緒さんが六十歳くらいのスタッフさんに土下座していました。いえ土下座というか深い挨拶だと思うのですが、横顔がすごく青ざめているのでそう見えてしまいます。
「お世話になっております。『新世屋』の珠緒です。その節はどうも……」
「あらあらそうやってん。ずいぶん垢抜けたからわからなかったわ」
「あの、それは、すいませんちょっと調子に乗ってて……」
なんだかただならぬ雰囲気です。お知り合いなのでしょうか。
「この子、うちのお得意さんの娘さんなんよ」
自分の視線を感じたのか、京都弁のスタッフさんが珠緒さんに手を向けます。
「うち普段は紗茎の方のお店で働いてて今日はヘルプでこっちに来てん。『新世屋』って言ったら紗茎でも結構な老舗の和菓子屋さんなんやけど……娘さんがちょっと『やんちゃ』らしゅうてね。親御さんがよく嘆いてるんよ」
「うぐっ……」
スタッフさんが言葉を発するごとに珠緒さんの顔に冷や汗の数が増えていきます。自分の両親は普通のサラリーマンなのでよくわかりませんが……こういう古いつながりが大事っぽいお仕事では色々しがらみがあるのでしょう。たとえば髪を染めてはいけない、だとか。
「その、わたしの髪は家とは……」
「でも将来はお店を継ぐんやろ? 今の内にしっかりと色々なことを学んでおいた方がええんとちゃう? うちだからこの程度で済むけど、もっと大事な方を前にそんな髪でいるわけにはいかへんやろ?」
「わたく、わたしはバレーボール選手に……」
「部活も大事やけど、将来の方が大事なんちゃう? ええ? 親御さんを悲しませたらあかんえ?」
たぶんこの方はお偉いさんなのでしょう。仮にもお客さんである珠緒さん相手に結構なことを言っているのですが、周りは誰も止めません。本当は自分が止められたらいいのですが……ただのお友だちが入っていける話ではありません。むしろ珠緒さんに迷惑がかかるでしょう。
この方が言っていることが間違っている。とは思えません。おそらく珠緒さんが生きている、いえこれから生きる世界では当たり前のことを教えてあげているのです。
自身の趣向や夢よりも、堅実で確実な現実な話を。でもこれは昔ながらの仕事だけに言えることではないのでしょう。自分たち高校生が必死に目をそらし続けている現実は、いつだって自分たちにへばりついているのでしょうから。
「はじめまして、新世さんの学校の教師をしております、徳永と申します」
珠緒さんがさらに一段深く頭を下げようとすると、その隣に既に着付けを終えた徳永先生が並びました。上品な水仙が描かれた浴衣が幼げな雰囲気の残る徳永先生も確かな女性の一人だということを再認識させます。
「これはこれは。うちは触と申します。それで先生が一体どないなおつもりで?」
一回り以上離れた大人の登場に触さんが軽く微笑みます。ただ笑っているだけなのに「空気を読め」と言っていることが伝わってくるのがさすがの年の功です。
「間違った教育に口を挟むのは教師の勤めですから」
その空気を感じながらも徳永先生はあくまで堂々としています。普段の訛り全開のほんわか先生と同一人物だとは思えません。
「間違った教育? 最近の先生は大変どすなぁ。他人の家の事情にまで口を出さなあかんなんて」
さすがは京都弁。嫌味ったらしさがはんぱないです。
「子どもに夢へと続く道を示すのが教師の役目です」
「叶わない夢を諦めさせるのも教育の一環だと思うんやけどなぁ」
両者一歩も譲らない一触即発の雰囲気。ですが空気でいったらアウェーである徳永先生が押されているように見えます。
「先生、わたしはいいですから……」
その空気を敏感に察知した珠緒さんが頭を下げたまま徳永先生の腕を掴みます。悲しいかなこの中で一番大人なのは珠緒さんでした。
「よぐねぇ」
ですが徳永先生はその手を払うと、珠緒さんのお腹に手を入れ無理矢理起き上がらせました。
「少なくとも私の見ている前では夢のことで子どもに頭は下げさせません」
そうはっきりと言い放った徳永先生は膝で動いて珠緒さんの前に出ます。現実から目をふさぐかのように。
「ふーん。まぁええわ」
その様子を見て触さんはそう漏らすと、「一人で着付けくらいできるやろ?」と言って部屋の外に出て行ってしまいました。完勝、とは言い難いですが、引き分け以上には持ち込めたようです。
「……ごめんな。おら余計な口出ししちまったかも……」
触さんを視線だけで見送った徳永先生は珠緒さんの前に座り頭を下げます。
「……いえ、ありがとうございますわ」
それに倣うかのように珠緒さんも少し頭を下げると、こう言います。
「まだ無理かもしれませんが、いずれ実力でねじ伏せてみせます。わたくしがこんな狭い世界で収まるような凡庸な存在ではないことを」
そう断言した珠緒さんの身体は小さく震えていて。
やっぱり触さんの言っていることの方が正しいと、どうしても思ってしまいました。