第3章 第17話 浸透
『金断の伍』のメンバーが初戦敗退というまさかの結果から始まったビーチバレー大会。次の出番は、
「水空ちゃん、梨々花ちゃんが観てるんだから変なことしないでよね」
「梨々花先輩が観るのはあたしなんで気張んなくていいですよ、扇さん」
環奈さん、美樹さんの低身長ペア。試合前からギスギスしてます。いつも通りなので別に問題はないのですが。
「ごめん、二人とも。わたしあっちのコートで今から試合だから」
「「ええーっ!?」」
一セットマッチとは言ってもこれだけのチームを捌くには時間がかかるのでコートはいくつか用意されています。ちょうど同じタイミングで環奈さんたちと梨々花さんたちの試合が始まるということで、環奈さんたちは試合が始まる前からテンションが爆下がりしてしまいました。
「よかった。一回戦目は楽勝っぽい」
そんな二人に二十代前半くらいの女性二人組が近づいてきます。口ぶりから察するに今から始まる試合の対戦相手なのでしょう。
「背低いね。中学生……小学生かな?」
「高校生ですよ、実質大人です。水空ちゃんの下品なお胸を見ればわかるでしょ?」
「扇さんの方が大きいですよね」
「みきの方が身長高いからねっ。水空ちゃんはアンバランスなんだよっ」
「あなただって相当バランス悪いでしょ……」
対戦相手放ったらかしでくだらない喧嘩を始めるお二人。二人とも水着は胸が強調されたフリルのついたスカートタイプのフリルビキニ。色こそ環奈さんは水色、美樹さんはピンクを基調としていますが、そのせいで仲良し感が漂っています。お二人が大好きな梨々花さんはワンピースタイプだというのに。
「まぁいいや。うちら高校ん時インドアで県ベスト十六まで行ってんだよね。悪いけどあんたたちに勝ち目はないから。ま、ちょっとは手加減してあげるからがんばってねー」
そして挑発するだけして対戦相手のお二人は向こうに去っていってしまいました。
「なにあれめっちゃむかつくっ。でも……」
相手は二人とも身長百六十五近く、県ベスト十六という中々の戦績の持ち主。確実に格上です。もっとも、それは学校単位の話なのですが。
「舐められるのなんてひさしぶり。ちょっと楽しくなってきた……」
全国一位の経験のある環奈さんが、珍しくニヤッと嫌な笑みを浮かべました。
「じゃあ織華たちは小野塚さんの試合を観に行くから」
元チームメイトの試合だというのに、深沢さんと木葉さんの二人は環奈さんに手を振ります。
「なんで梨々花さんの試合を?」
「花美で一番厄介なのは小野塚梨々花さん……だったわね?」
「はっ!」
そうです! 以前のお食事会で流火さんがそのことを漏らしていたんでした!
「織華は観なくてもいいんだけど、コーチから言われてるんだよねー。せっかくなら偵察もしてこい、って。悪く思わないでねー」
まずいです。梨々花さんの武器はレシーブとトスの超絶技巧と無数のサーブ。それがばれてしまいます。
ですが止めることもできません。なので自分は観戦して余計なことを言わないように、環奈さんたちの試合を観ることにしました。
「いくよっ」
そして始まった環奈さん、美樹さんチームの試合。まずは相手のサーブから始まります。
「ふっ」
ベスト十六は伊達じゃありません。相手のサーブはジャンプフローターサーブ。無回転で打ち出すことによりボールに不規則な変化を与えるものです。でもここは屋外、当然風が吹きます。風はボールに影響を与え、わずかに回転が乗っています。ですが風はサーブにも有利に働きます。潮風に乗ってボールはインドアでは考えられない方向へと曲がっていきました。
「オーライ!」
しかしそこはさすがの環奈さん。ボールの動きに全く慌てることなく、アンダーでレシーブするとネット前にいる美樹さんにボールをぽん、と託します。
「おねがいっ」
そして美樹さんはアンダーで環奈さんにトスを上げます。美樹さんにあまりアンダーが上手いというイメージはありませんでしたが、あまり回転のかかっていない綺麗なトスです。
「はいっ」
そして環奈さんはレシーブ地点から長距離の助走を開始すると、トスに合わせて跳び上がりました。ですが、
「……あれ?」
空振りして、ボールと一緒に砂に着地してしまいました。トスが高かったのではなく、単純に手がネットの上まで出なかったのです。
「――届かない……!」
そして詰んだことを知った流火さんと同じようにがっくりと崩れ落ちてしまいました。
「あひゃひゃっ! なにそれっ。さすがにそれはないっしょっ」
その姿を見て対戦相手のお二人は口を大きく開けて大爆笑します。
「あははっ! 無様だねっ、水空ちゃんっ!」
「なんで扇さんまで笑うんですかっ!」
口に手を当てて笑う美樹さんに怒鳴ると、環奈さんは恨めしそうにネットを見上げます。
「ネットがいつもより高いんですよっ。それに砂の上じゃジャンプ力下がるし……。扇さんだってたぶん上手くスパイクできませんからねっ!?」
ネットが高い……? あまりわかりませんが……。
「高校生のネットの高さは二百二十センチ。対してビーチは二百二十四センチ。大人と一緒の高さだね。私たちからすればそんな変わらないけど、百四十七センチからしてみれば四センチの差は結構大きいよね」
ビーチのルールを全然知らなかったはずの流火さんがスマホ片手にそう教えてくれました。画面には「よくわかるビーチバレー」という文字が。自分の試合が始まる前に調べておけばよかったのに。
「しょうがないな。水空ちゃんが使えないからスパイクは全部みきが打つよ。ほんとにしょうがないなー」
「……屈辱ですがその通りなのでお願いします」
「ふふん。みきに感謝しなさいっ」
確かにそうするしかないのですが……。
「悪いけど誰が打つかを決めるのは私だよっ」
試合が再開し、再び相手のジャンプフローターが環奈さんに注がれます。そうです。サーブを環奈さんに向けて打たれたら、トスは美樹さんが上げて、環奈さんがスパイクを打つという流れになってしまいます。
「――舐められるのはいいけど、舐められっぱなしは嫌なんでっ」
サーブレシーブ。今の環奈さんの動きは完璧にそれです。
しかしボールの軌道、回転、意味は間違いなくトスのそれ。
つまり環奈さんはレシーブと同時にトスを行いました。
「ナイス水空ちゃんっ」
そのボールに合わせて美樹さんが跳び上がります。やはりいつものジャンプ力はありませんが、それでもネットから手が出ます。しかも、
「左利き……!」
バレーボールにおいて利き腕の差はかなり大きいです。スパイクの回転はもちろんですが、ブロックに跳んだ時、右と左、どちらで打つかで打点の位置が身体一個分変わります。だからいつもと同じように跳んだ相手ブロッカーは左利きの美樹さんには何の意味も持ちません。ですが美樹さんの直線上には相手レシーバーがいる。このまま打てば捕まりますが、
「上手いっ」
強打に見せかけて優しくボールを打つフェイントという技を使い、美樹さんはボールをレシーバーの前に落としました。強打だと思って深く構えていたレシーバーは動けず、ボールはバウンドすることなく砂を転がります。
「むかつくけどナイストスッ」
「悔しいですがナイスフェイントです」
言葉では悪態をついていますが、二人は満面の笑みで両手ハイタッチを交わします。これで同点。心配でしたがなんとか戦えそうです。
「あんたたち、ビーチバレーのルール覚えてきた?」
「「……え?」」
得点板は一対一でなく、ゼロ対二。でも今タッチネットもダブルコンタクトもなさそうでしたが……。そんな自分たちの疑問に、お相手の方が答えます。
「ビーチって、フェイント禁止」
「「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」」
そ、そうだったんですか!?
「ビーチって二人しかいないからフェイント使われるとまず取れないんだよ。だから禁止になってるんだ」
さっきダブルコンタクトのルールを知らずに完敗した流火さんがドヤ顔を見せます。顔がいいから余計むかつきます。
「左利きだってわかったし、もうあんたたちに勝ち目はないよ」
「っ……!」
実際問題、かなりピンチです。
スパイクは美樹さんしか打てず、そのスパイクも相手ブロッカーの方が高さがある。これでフェイントができないとなると、攻撃面は最早なにもできないと言っても過言ではありません。それはコートの中のお二人もわかっているはず。
それなのに、環奈さんは。
「――超縛りプレイ……いいね……たのしそう……!」
今までに見たことのないほどの笑顔を見せていました。
いえ、あれは……!
「練習試合のあの時と、同じ……?」
紗茎との練習試合の中盤。梨々花さんが倒れた時に見せたいつもの超ハイレベルプレーを超える神プレー状態と同じ表情。
「へー……ここでくるんだ……。やっぱおかしいよ……環奈」
その表情を見て、隣の流火さんや風美さんが冷や汗をかきます。お二人からしてみてもこの状態は珍しいのでしょうか。
「あれは楽しいからバレーをやってる環奈が勝つためのバレーをやる時に現れる、リベロの才能が溢れた状態――」
環奈さんの瞳が、まるで光を浴びて反射した水面のように輝きました。
「『浸透』」