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つなガール!  作者: 松竹梅竹松
第1章 わたしのおわりとはじまり
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第1章 第7話 自供

〇環奈



 大変なことになった。



 あたしときららちゃんがプレゼントを渡したら小野塚さんの様子がおかしくなった。


 急に口元を抑え、うずくまった小野塚さん。体調が悪くなったのかと思って手を伸ばしたら、普段の小野塚さんからは想像もできないような鋭い目つきで睨まれた。



 殺される。



 そんな非現実的な言葉が咄嗟に頭に出てくるほど、その瞳には強い敵意がこもっていた。



 小野塚さんがあたしに敵意を持っていたことは知っていた。だって同じポジションを争うライバルだもん。しかもあたしの方が1歳年下。良く思われてないことは明白だった。



 でもあれは……あの目は……。



 今思い出しても身体が震える。



 たかだかバレーボールで人はああもなれるものだろうか。



 あたしには理解できない。



 やっぱりあの人とは、仲良くなれない。



「……ごめんね」



 あたしを体育倉庫に避難させてくれた扇さんが、後ろ手で扉を閉めて一言そう言った。扉が閉まった体育倉庫は暗く、陽の光が窓の外からしか注がれないせいで目の前の扇さんの顔を見るのがやっとだ。



「小野塚さんは……大丈夫ですか……?」

「うん……翠川ちゃんに水を買いに行ってもらってる」


 それだと小野塚さんが一人になってるじゃん。今のあの人なら自殺までしたって不思議じゃない。正直不安だ。でも今小野塚さんと同じ空間にいるなんてありえないから不用意なことは言わないでおこう。



「あの……ありがとうございました」

「ううん。それはいいんだよ。話があるのはほんとだから」



 あたしを逃がしてくれたことに感謝を告げると、扇さんはあたしから視線を逸らしてつぶやいた。体育倉庫の中は普段掃除していないせいですごく汚い。床にはホコリやなにから出てきたかもわからないようなゴミが溜まっているはずだ。



 それにもかかわらず、突然扇さんはその床に膝をつき、頭を床に擦り付けた。



 つまり、土下座。



「ぇ……え……?」


 生まれた初めて見る土下座に言葉が出てこない。なぜ、なんで、どうして。そんな言葉が頭の中を渦巻いている。



「……みきが間違ってる」



 あたしが混乱しているのをよそに、扇さんはぽつりぽつりと言葉を漏らしていく。



「こんなのおかしいのはわかってる。悪いのはみき。みきが全部悪いの。でも……おねがい……」


 そして扇さんは頭を下げたまま、それでも強い口調でこう言った。



「梨々花ちゃんにリベロを譲ってあげてください――!」



 言葉の意味がわからず、あたしは固まってしまう。



 ……リベロを譲る? 小野塚さんに……?



 そんなしょうもないことのために扇さんはこんな汚い床で土下座なんかしてるの……?



「梨々花ちゃんはね……ずっと絵里さんにレシーブを上げたかったの。そのためにバレーをやってたの。でもそれは今まで叶わなかった。中学でも、高校でも絵里さんがいる時にリベロになることはできなかった。今度の大会が……最後のチャンスなの」


 それはだいたい聞いている。かわいそうだと思う。理不尽だと思う。



「あなたの方が上手いのは認める。あなたの方がリベロに向いてるとも思う。でも……でもみきは……」



 扇さんの声が小さく震える。顔は見えないけど、たぶん泣いている。


 そして扇さんは身体をさらに縮め、声を震わせ、弱々しく、それでいて強く言う。まるで神様に祈るかのように。



「梨々花ちゃんに……リベロをやってほしいの……!」



 扇さんはあたしのことがすごく嫌いだったはずだ。



 そんな扇さんが、あたしに頭を下げている。



 これ以上ないほど、切実に。壮絶に。激烈に。



「……あたしは……!」


 あたしが答えようとしたその時だった。



 体育倉庫の扉が轟音を上げて開けられ、中に誰かが入ってきた。


 その人はまっすぐに扇さんへと近づくと、後ろから土下座をしていた扇さんの襟首を左手で掴み上げ、無理矢理立たせる。


 そして空いていた右腕を思い切り振りかぶると、扇さんの頬に力いっぱい振り抜いた。



 右ストレートで、顔をグーで、ぶん殴ったのだ。



 衝撃で扇さんは後ろに大きく吹き飛び、あたしの横に立ててあったマットに激突する。衝撃で立ち上がれない扇さんに追い打ちをかけるように、その人は再び扇さんの襟首を掴み、またも殴りにいこうとする。



「やめてください小野塚さんっ!」



 一瞬なにが起こったかわからなかったが、目の前で起きていることの異常さにすぐに思考と身体が追いついた。あたしは扇さんに追撃しようとする小野塚さんを後ろから羽交い絞めにし、なんとか抑えようとする。



 でも興奮しているせいか小野塚さんの勢いはまったく収まらず、あたしを軽く跳ね除けると勢いのまま扇さんの身体の上に倒れ込んだ。



「小野塚さんやめてっ!」

 あたしはすぐに起き上がり、小野塚さんの身体を抱きしめるように抑え込む。完全に動きを止めることこそできないけど、これで殴るのは阻止できた。



「自分がなにさ言ったかわかってんべかっ!?」



 小野塚さんは殴れないのがわかると、扇さんに大きく怒鳴り声を上げた。親でも殺されたかのような怒りを、大の仲良しの扇さんに向けている。



「……わかってんべ」


 それに対しての扇さんの声はひどく小さい。ここが小さな体育倉庫でなければたぶんあたしにまで届かなかっただろう。



「じゃあなしてっ! なしてあんなこと言ったっ!?」

「…………」


 扇さんはなにも言わない。殴られて赤くなった左頬を抑えて俯いている。



「答えろっ! 答えろじゃ美樹っ! なして! なしてっ!」

「だって……だって梨々花ちゃんに……!」


「うるせぇっ! 言い訳なんか聞きたぐねぇっ!」

「梨々花ちゃんに……リベロさやってほしかったから……!」

「っ!」


 小野塚さんの暴れる力がさらに強くなる。あたし一人じゃこれ以上抑えられない。



「こうでもしねぇと梨々花ちゃんがリベロさできねぇから……!」

「うるせぇしゃべんな馬鹿っ! 馬鹿っ! この……馬鹿っ!」


「じゃあ……じゃあ梨々花ちゃんは水空ちゃんに勝てる……?」


 扇さんがついに顔を上げる。その顔は、涙に濡れてぐちゃぐちゃだった。



「勝てるよっ! 勝ってリベロさなるっ! わたしがっ!」

「無理だべっ! 梨々花ちゃんは水空ちゃんより下手だべやっ!」


「そんなのわかってっぺっ! でも勝つんだっ!」

「どうやってっ!?」


「うるせぇ馬鹿っ! 勝つったら勝つんだっ! わたしが絵里先輩にボールを上げるんだっ!」


 訛り全開で、掠れた声で怒鳴り合う二人。会話は噛み合っておらず、お互いただ言いたいことを叫んでいる。



 なんで。なんでこの人たちはこんなくだらないことで喧嘩できるんだ。たかが部活で、仲の良い二人が、傷つけ合って……。



「小野塚さん……あたし別にいいですから……リベロじゃなくてもいいですから……」

 そう思うと、自然と言葉が口から溢れてきた。



「あたしそんなのどうでもいいですもん……。誰がリベロとかリベロじゃないとか……。そんなくだらないことで喧嘩なんてしないでください……!」



 あたしの言葉に、さっきまで怒鳴り合っていた二人が急に静かになる。よかった、気持ちが通じた。こんなの馬鹿げてるって気づいてくれたんだ。



「勝ち負けとかどうでもいいじゃないですか……。楽しくバレーができれば……小野塚さんがリベロをやりたいのならやれば……」



 しかしそれは、ただの嵐の前の静けさだった。



「ああああああああああああああああああああああああああああああっ!」



 小野塚さんが突然そんな叫び声を上げ、今までで一番の力で強く暴れ出す。そして力が緩んでいたあたしの腕を強引に振りほどくと、扇さんに向かうのではなく、倉庫の外に転がるように駆けだした。



「うわああああああああああああああああああああああああああああああっ!」



 慌ててあたしも倉庫を出ようとすると、狂ったようにボールをネットに打ち続けている小野塚さんの姿が瞳に映った。



 カゴからボールを出し、一心不乱にスパイクを打ち続ける小野塚さん。フォームはあまりにも雑で、力いっぱい叩いていてもボールに勢いはなく、小さな音を立てて床にどんどんボールが溜まっていく。



「え……え……?」

 その隣では水を買って戻ってきたきららちゃんがペットボトルを持ちながらコートの外でただおろおろしている。あたしももう完全にわからなくなっていて、小野塚さんに近寄ることができずにいた。コートの外で小野塚さんの意味不明な行動にただ立ち尽くすことしかできない。



「はぁっ……はぁっ……!」

 やがてカゴの中からボールがなくなり、スパイクを打てなくなった小野塚さんは荒い息を吐いて床に崩れ落ちる。



「こんなの……全然楽しくない……!」



 そう絞り出すように吐き捨てた小野塚さんの顔から水滴がぽろぽろと床に零れ落ちる。距離が離れていてそれが汗か涙か見分けがつかないけど、その水滴は小野塚さんの気持ちのようだと思った。



「スパイクなんて打っても全然気持ちよくない……サーブなんてなにがいいのか全然わからない……。わたしにはリベロしかないんだ……! リベロ以外……なにをやっても全然……! 全然だめなの……!」

「だからリベロは小野塚さんが……!」

「それじゃだめなのっ!」



 小野塚さんに近寄ろうとしたあたしの脚を、小野塚さんの一声が引き止める。その声はこれ以上近づくなとあたしを牽制しているようだった。



「わたしはリベロをやりてぇ。絵里先輩にボールを上げてぇ……。でもそれ以上に、絵里先輩に勝ってほしいの……。絵里先輩に最高のトスを上げてほしいんだ……!」


 「だから」と言い、小野塚さんは顔を手で覆う。全てを締め出すように。



「わたしは……リベロにならない……」



 全てを諦めるように、言うのだった。



「リベロになっちゃいけないの――!」



 それ以降小野塚さんも、他の人もなに一つ言葉を発さず、普段喧騒に包まれている体育館には、ただ小野塚さんの嗚咽だけが響いていた。

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