第3章 第9話 現実ヒーロー
「ひーが……部長……?」
突然バイト先に来たかと思えば、突然わけのわからないことを口にしたあっさん。何はともあれ返す言葉は一つ。
「ありえないでしょ、そんなの」
ひーは週一か二くらいしか部活に顔を出さないし、今回スタメン落ちした。というかそもそもこんな適当な奴が部長なんか務まるわけがない。
「絵里のこと、どう思う?」
自分のペースを取り戻すためにパフェを食べて落ち着こうとすると、またもや突然わけのわからないことを言い始めたあっさん。エリーさんか……なんて言えばいいんだろう。
「いい人……だとは思わないけど、まぁいいんじゃないですか? 普通な感じで」
エリーさんは一見誰にでも平等に優しく、常に他人を気遣っている美人に見えるけど、ひーには誰よりも自分のために動いている自己中心的で打算的な普通の人間だとしか思えなかった。
別に何かがあったからそう思うわけじゃないけど、あえて言うなら性格的な欠点が一つも見当たらないことが大きな理由だろう。バレーが下手っていう欠点は誰にでもわかるけど、それ以外にここ直した方がいいのになーという点が存在しない。
完璧な人間なんて存在するわけがない。いるとしたら完璧であろうとする人間だ。でもそう思った時点でその人の性格は完璧じゃない。つまり完璧に見える人には必ず裏があるというのがひーの持論。まぁそもそも。
「いい人だったらリリーにもっと優しくしてあげられるでしょ」
リリーはエリーさんのことを慕っていた。妄信していたと言った方がいいのかもしれない。そんなかわいい後輩のことを、普通ならもっと構ってあげてもよかったはずなんだ。近寄ってくるのを構えるんじゃなくて、お世話してあげることがたくさんあったはず。
でもエリーさんはそれをしなかった。邪険にしていたようにも見えた。リリーやみきみきは気づいてなかったようだけど、ある程度外から見ていればそんなことは誰にでもわかる。
「そういうとこだよ」
でもあっさんの表情は誇らしげだった。まるで自分の判断は間違ってなかったとでも言いたげな顔。行儀悪くパフェのスプーンをひーに突き付けて言う。
「お前が一番他人を見えている。あいつの本性を知ってる奴なんて同期以外だとお前と環奈……あとたぶん珠緒くらいだ。梨々花と美樹はすっかり騙されて懐いてるよ」
「同期以外で三人なら残ってるのその二人ときららんだけじゃないですか。言葉のマジックがすぎますよ」
「ほらほら、そういうとこ。そういうクレバーなところが部長には必要なんだよ。」
「ウチは無理だし胡桃もかなりバカだからな。絵里がいてくれて助かったよ」と笑い、さらに鋭くスプーンがひーに近づいてくる。
「……ひーには無理ですよ」
そんなことを言われても答えは変わらない。部長なんてできないしやりたくない。そんなのになったら嫌でも部活に出なきゃいけないじゃん。
銀のスプーンに映ったひーの顔が歪んでいる。自分勝手な性根を映し出しているようだ。
「そもそもまだ時期が早いでしょ。一、二回戦勝てば九月、その先に十月。本選は一月ですよ? もしかして一次予選で負けると思ってるんですか?」
これ以上醜い顔を見たくないのであえて煽ってみる。怒ってくれたら万々歳だ。部長の話は流れてくれるだろう。
「――ああ。負けると思ってるよ」
でもあっさんは、あまりにもあっさりと。さも当然のことのように、諦めの言葉を口にした。
「一回戦はともかく二回戦は藍根女学院。インハイ予選の優勝校だ。そんなのにうちらが勝てるわけがないし、勝てるくらい簡単ならそもそもバレーなんかやってない」
藍根……。あの子がいる学校か。ならひーじゃ勝てない。そもそも同じコートに立つことすら失礼な話だ。
「もちろん勝つ気でやるさ。でも結果はわかりきってる。お前もオレンジコートに立ちたいって言ってたけどそんなの無理だってことくらいわかってるだろ?」
あっさんの言っていることはもっともだ。目標決めの時に春高本選の舞台であるオレンジコートでバレーをやってみたいって言ったけど、あくまで願望。現実は厳しい。
「じゃあなんでバレーをやってるんですか?」
あっさんは馬鹿に見えるけど決して馬鹿じゃない。現実を見えている。
なら余計疑問だ。だっておかしいじゃないか。
「ひーは高校からバレーを始めた。あっさんも中学からでしょ? もうその時点で子どものころから始めた人たちとは差がある。その中でも背が高い人、センスがある人がようやくスタートラインに立てる。たとえ日本一になったとしても、日本に生まれた以上決して一番になんかなれない。それが体格がものを言うこのスポーツの真理だよ」
話している内に自分の顔が下がっていくのを感じた。そうすると目に映るのはコップやパフェの容器に映る歪んだ顔。まるでひーが間違っているかのようだ。
でも言葉を紡ぐのをやめられない。
ひーは間違ってなんかないって知ってほしい。
「将来バレーでごはんが食べられるならわかるよ。リリーやかんちゃんみたいに才能に溢れた人が必死に努力するのはわかる。でもひーたちみたいな凡庸な人がいくら努力したって将来なんの役にも立たない。だったらいい思い出程度に留めておくのが一番頭のいいやり方だよ。そんなのあっさんだって、みんなだってわかってるはずだよ。なのに、なんで――」
脳裏に浮かぶのは、あの子の姿。
誰よりも長く練習して、自由時間を全部バレーに費やして、努力に努力を重ねて、ようやく強豪校からのスカウトが来たひーの知り合い。
はたしてあんなにがんばることだったのだろうか。あんなに喜ぶほどのことだったのだろうか。人目を憚らずに号泣するほどのことだったのだろうか。
ひーには、わからない。わかりたくもない。
「――ここでプライド以外に何が要るんだ、って言えたらかっこいいんだろうなぁ」
あっさんが言う。
たぶん、ひーと似た価値観を持っているあっさんが。ひーとは違う答えを出した。
「ウチの場合は、泣きたいからだよ」
見上げると、あっさんの視線も下を向いていることがわかった。醜く歪む自分の姿を見て、あっさんは目を細める。
「中学時代。ウチも似たようなことを思ってた。背がそれなりに高かったし、どっか部活に入らなきゃいけなかったからバレー部に入った。別にバスケとかでもよかったんだけどな。たまたま最初に勧誘を受けたのがバレー部だったからバレーを始めた」
あっさんの昔話になんて興味はない。どれだけ感動的な過去があったってひーの答えは変わらない。たぶんあっさんもそれをわかってるのだろうが、それでも語っていく。
「うちの中学は特別強くもなかったんだけど、ウチらの代は割といいところまでいけてた。だから顧問も必死になっちゃって毎日朝練、休みはないしすげー辛かった。ずっと早く引退できないかなって思ってたよ」
あっさんの話はとても想像しやすかった。たぶん全国の多くの中学生、高校生が直面している出来事だからだろう。部活に本気になったって無駄だってみんなわかってはずなんだ。
「そんで引退試合。相手は紗茎学園。今思い返せばたぶん環奈とも戦ってたんだろうな。まぁとにかくこの県では完全に紗茎の一強状態だったからやる前から結果はわかってたし、結果はやっぱり想像通りボロ負けだった」
あっさんが中三っていうことはかんちゃんたちは一年生。そのころから『色持ち』たちは特別だったのだろう。決して一番にはなれない、日本の中だけの特別。
「負けた時はうれしかったね。やっと終わった。これで辛い部活から解放される。明日からは早起きしなくていいし、練習したくねーって嘆くこともない。でもあからさまに笑ってたら怒られるだろうし、示し合わせたみたいにみんな暗い顔で俯いてた」
「でも、一人だけ違っていた」。あっさんの瞳が揺れ動く。たぶんその人が、今でもあっさんがバレーを続けている原因。
「そいつは泣いてた。勝てるはずのない試合で必死にボールを追い、最後の最後まであきらめなかったあいつは過呼吸を起こして整列もできなくなるくらいに涙を流して悔しがってた。その姿を見た瞬間こう思った」
わかる。そういう人がいるのはよく知っている。
中途半端に才能を持っているせいであきらめきれない馬鹿。
そんな奴らを見ると、自分の馬鹿な部分がこう叫ぶんだ。
「あ、ウチって脇役じゃん、って」
理屈を並べてやらない理由を探す普通の人間は、どこからどう見ても主人公からはほど遠い脇役、モブにすぎない。
そんなことはわかってるんだよ、ひーにだって。
でも一歩踏み出せない。あんな馬鹿にはなりたくない。
どうしようもなく理性が邪魔をしてくる。
「だからウチは高校でもバレーを続けた。勝てなくてもいい。将来何の役にも立たなくたっていい」
あっさんの視線を感じる。まっすぐ前を見ることができないひーを見つめている。でもひーは。
「引退の時に馬鹿みたいに泣けたのなら、たぶんその瞬間だけはウチが主人公だ」
そんな馬鹿には、なりたくない。
「まぁこれはウチの話だ。お前にはお前の考え方があるんだろう」
あっさんが立ち上がったのがわかった。これで話は終わり。やっと終わった。これでようやく解放される。
「でも主人公になるのに高校生ほど適した時代はないぞ」
それなのに、その言葉はひーの心に粘っこく絡まった。