第017話 1日目 雨に烟る地上③
階段を駆け上がるにつれ耳に届く轟音は強まり、それに伴って雨の匂いも強くなる。
だが降ったばかりの雨粒が発する湿気だけではなく、少し黴たような時経た水の匂いもする。
淀んだ湿地や沼などに接しているのか。
それともそんな匂いがするほどに、雨が降り続けているのか。
思ったよりも立派な、だがやはり時に朽ち雨に濡れた入り口から地上を確認したアルジェに、その答えはまだわからない。
アルジェの優れた視力でさえとても遠くを見通すことができないほど強い雨が、叩きつけるようにして降り続いていたからだ。
かろうじて確認できるのは、雨のカーテンの向こうで一定周期に明滅している蒼い光。
雨に烟ってそれが何なのかはここからでは確認できないが、間違いなく自然の光ではない。
ところどころ影にさえぎられながら、広大な範囲、かなりの高さまで確認できる光の明滅は完全に同期している上に等間隔で、どう見ても人の手によるものとしか思えない。
そのことにアルジェはちょっとほっとする。
「ナ!」ε=(。ノ・ω・)ノ
アルジェでさえ踏み出すのがためらわれるような豪雨の中へ、躊躇なくラトが飛び出した。
ちょっとびっくりする。
「ラト!」
――猫って水苦手じゃなかったっけ?
「ナ?」|・`ω・)?
不思議そうに振り返り、はよ来いとばかりに平気で豪雨の中に佇んでいる。
あっという間に濡れ鼠に――仮にも御猫様に使う言葉ではないな。
もとい、濡れ猫と化したラトの漆黒の毛皮が美しい艶を放っている。
まだ夜ではないのだろうが、土砂降りのせいでかなり暗くなっている中、光を発しているような金の猫目も吸い込まれるように綺麗だ。
こうして見ているだけなら、人を堕落へと誘う悪魔の化身のような妖しさも湛えているようなラトの姿。
「ナ」(`・ω・´)
だがその無邪気な鳴き声と、それに連動して表示される顔文字のおかげ、あるいはせいでそんな雰囲気は霧散する。
ラトがそう思われるように動いている可能性に、アルジェは思い至る。
猫らしからぬ思考力を間違いなく持っているラトであれば、そんなことも可能だろう。
――絶対に味方ってわけでもないんだよな……
「ナ!」(,,#゜Д゜):∴;'・,;`:!!
思わずそう考えてしまったアルジェに抗議するような、ラトの鳴き声と顔文字である。
言葉を話せたら「心外な!」アタリであろう。
――しまった、ラトは考えてること読めるんだった。
「ナ!」(´・д・`)
――忘れないでよ! アタリかな?
怒り覚めやらぬラトの様子に思わずアルジェは笑ってしまいそうになる。
考えが読まれている状況で、要らん警戒ばっかりしていてもはじまらない。
どうせここにとどまり続けるわけにもいかないのだ、相棒だけを濡れ猫にしておくのも気が引ける。
ラトが自分をどこかへ導きたいというのであれば、ここは素直についていこうとアルジェも土砂降りの中にその歩を進める。
やっと来たかと言っているようなラトの表情が急激に変化する。
その表情は何かといえば驚愕だ。
猫がこんな顔できるんだというくらい、わかりやすいびっくり顔。
あまりといえばあまりなラトの表情に、アルジェは耐え切れずに笑ってしまう。
なにがおかしいって、本気でビックリしているせいなのか、鳴き声もなければ顔文字も表示されていないところだ。
本気の驚愕による、完全な空白。
人間だってそうだろうなと思ってしまうだけに、笑いを抑えられない。
「あははははははははははははは!!!」
「ナ! ナ! ナー!!!」(>μ<#)
吹き出したアルジェに抗議するように、ずぶ濡れのラトが雨の中へと踏み出したアルジェの足元へと走って戻ってくる。
ラトが猫らしからぬ、あるいは猫らしい驚愕の表情を浮かべた理由。
それはアルジェの『魔法障壁』が、まさかの雨にも適用されたからである。
土砂降りの雨をはじくばかりか、足元の水溜りすらもアルジェを中心とした半径一メートルからは外側へはじき出される。
湿った地面を乾かすまでは行かなくとも、少なくとも靴が水の浸入を許すような状況にはなり得ない。
さすがにたかが雨にHPを砕く力は無いようで、要は傘の理想系が実現しているようなものだ。
そりゃ自分だけが頭の天辺から尻尾の先までびしょ濡れになっている中、相棒だけが快適に雨の中に踏み出してきたらあんな表情にもなろう。
いや慌てずに一緒に出ればよかっただけなのだが、そういうことでもないのだろう。
何の抵抗もなくアルジェの『魔法障壁』範囲の中へ侵入し、雨に晒されぬ環境を得た上で喰らえとばかりに躰を震わせて毛皮に染みた水分を弾き飛ばす。
当然その水粒の攻撃は、『魔法障壁』内で行使されているので何の抵抗にあうこともなくアルジェの足元を結構しっかり塗らす。
そのしょうもない嫌がらせもアルジェのツボを付いたようで、なかなか笑いは収まらない。
ラトはおかんむりである。
「わーかった、わかった。悪かったってラトさん。一緒に濡れずに行くとしようよ」
「ナー」(´・ω・)…。oо○
まだ言いたいことがありそうな鳴き声と顔文字を表示したものの、このままでは埒が明かないとラトも思ったものか、ゆっくりと自分の進みたいほうへと歩き出す。
アルジェを中心とした半径1メートルから外に出ればもちろん濡れるので、ラトがチョコチョコ進んでは、そこへアルジェが追いつくという繰り返しにならざるを得ない。
二人? の身体能力からすれば亀の歩みすぎるのんびりな道行となったが、その様子そのものも可笑しくて、アルジェは笑いをこらえるのに苦労することになった。
これ以上笑ったら、本格的に相棒にへそを曲げられるかもしれないから自重したのだ。
土砂降りの中、アルジェとラトはある建物へたどり着いた。
これからしばらく拠点となる場所。
すなわち冒険者ギルドの成れの果て――廃墟へと。