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桜散る街の片隅で

作者: 篠城将朝

 連日吹き荒れていた北からの降ろし風はいつしか南風に変わり、あっという間に公園に植えられた桜の枝には緑が見え始めるような季節になっていた。とはいえ、川沿いにあるこの運動公園にはまだ十分に花見を楽しめるだけの桜が咲いていた。マラソンをする初老の男性、花見をする若い女性、河原ではしゃぐ学生達、ベビーカーを押す若い夫婦。穏やかな春の午後である。そんな中、私は一人花見をしながら歩道を歩いていた。

公園を河原から反対方向へ歩いていくと、木々が生い茂る脇道が見える。この先は公園の外になる。まだ未熟な鶯の囀りに誘われて、私はその道へ足を進めることにした。

 公園内はコンクリートで舗装された道であったが、この辺りは土のままだ。昨日降った雨のせいでややぬかるんでいる場所もある。公園の人々の賑わいは遠くなり、木々のざわめきが近くなる。

 この辺りは昔に城があったと聞いたことがある。前方に見えてきた高い土の壁はその名残であろう。かすかに見える道を辿ると道は土塁を上っていくように続いている。私はゆっくりと土の壁を回り込むように登っていった。土塁の上へ出ると畑が目の前に広がり、その横には古びた神社が見える。ここまで来ると辺りは静寂に包まれており、神社へと進む私の足音のみが響いていた。神社の柱は黒ずんでおり、いくつもの額がかけられている。脇には何やら石碑があるが表面が風化しており文字はほとんど読めない。

 神社の前に一人の老人が佇んでいる。近くへ行き挨拶をするとこちらを睨むように不機嫌そうな顔を見せて来た。

「この神社へ参るつもりか。」

老人は表情と同じく厳しい声で尋ねて来た。

「え?あ、ええ。せっかく来ましたしお参りぐらいは。」

「そうか。」

それだけ言って老人は歩き出した。彼が歩いていく道のずっと先に鳥居が見える。あの道が神社の参道なのだろう。私は神社の拝殿に向き直りお参りをする。鈴の音はカランと乾いた音を響かせた。再び参道へ目をやるとすでに老人の姿はない。近くにある手水台に水が溜まっており、羽を怪我したカラスがそれを飲んでいるだけだ。私は参道を歩いていくことにした。

 参道の両脇にはいくつものスギの大木が根をおろしており、長い影を作っていた。しかしかなりの老木なのだろう、いくつかの木はすでに枯死しているらしく、根本に大きな穴をあけている木も見られた。

 そのなかにひと際大きなスギの木があった。ただその木もまた根元に大きな穴をぽっかりとあけており、中には不気味な暗闇が広がっている。あまりにも深い暗闇に誘われた私がその穴を覗くと中から小さな少女が飛び出してきた。私は思わず声を出してのけぞるが、少女は気にも留めていないらしく、私をじろじろと眺めている。

「ねえ。」

不意に少女が口を開いた。

「ここはねー。むかし人がいっぱい死んじゃったんだよ。」

少女はここが城だった時のことを言っているのだろう。ここが城だった時、城主が政権に抵抗し数度にわたり合戦が行われたという話を聞いたことがある。

「お殿様も、お姫様も逃げたけど死んじゃったんだ。」

少女は悲しそうに呟いた。辺りを流れていた春の風はにわかに冷たいものへと変わる。

「お殿様のこどもも頑張ったけど死んじゃったの。」

「そのまたこどもは海に落とされちゃったの。」

少女は神社のある方向へ歩き出した。

「かなしいな。かなしいな。」

「さみしいな、さみしいな。」

唄うような調子の声がだんだんと低くなっていく。少女は歩き続けた。

「悲しいね。哀しいね。」

「寂しいね。淋しいね。」

瞬く間に少女は大人の女性へと姿を変えていた。彼女は振り返り薄く笑みを浮かべる。それには妖しくも抗いがたい不思議な力があった。私の足は知らず知らずに少しずつ彼女へと進んでいく。

「かなしくも、さみしくも、あなたを思えば耐えられよう。」

女性はこちらを見ているのか、それとももっと遠くを見ているのか、ぼんやりとこちらを見つめている。

「ああ、いずこへ行かれたのか。私を置いてあなたは。あなたはいずこへ。」

女性は声を荒げ天を仰ぐ。冷たい風が強まりスギの枝が大きく揺れる。

「一人はもう嫌だ。せめて誰か。誰か私のそばに。」

女性の瞳から涙がこぼれる。それは傾き始めた陽の光を浴びて輝き流れた。

私は歩きながらぼんやり思う。この人は孤独なのか。それを泣いているのか。それとも親しい人を思い泣いているのか。

近づいてきた私をはっきりと見て女性は声を高める。

「ついに、ついに来たのですね。ああ、待ちわびました。さあ、さあ、共に参りましょう。じきに桜も散ります。それまでにあなたと行くと決めたのです。」

彼女が手を差し伸べる。私もそれに応えるように手を差し出した。

その瞬間である。一頭の大きな鷲が横を通り抜けた。同時に柔らかな風が巻き上がる。気が付くとすでに女性の姿はなかった。呆気にとられ辺りを見回していると神社の方からさきほどの老人が歩いてきた。先ほどまでと同じく不機嫌そうな顔をしている。

「桜がなぜ美しいかわかるか。」

老人はこちらも見ずに呟いた。

「桜は散るから美しい。」

老人は足を止め、空を見上げつつ言う。

「今年も桜が咲いて散っていく。それを忘れるな。」

そのまま老人は去って行ってしまった。一人参道に立っていた私は引き返すことにし、神社の方へと戻った。境内は相変わらず静まり返っている。しかし耳を凝らすと公園の人々の声がわずかに聞こえてくる。その時強い風が吹いた。どこからか桜の花びらが舞ってくる。花びらに気を取られ、空を見上げると神社の上空を大きな鷲が飛んで行くのが見えた。


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