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ドンっ、ドンっ。
23:00過ぎ。
突然、タカキの部屋の扉が叩かれた。
宅配の時間も、とっくに終わっている。
こんな時間に誰だろうと、静かに扉を開けると、そこには予想外の人物が立っていた。
「タカキ、頼みがある!」
「澤田さん?」
「お邪魔します!」
澤田さんが自分から部屋を出るのも珍しいことだが、こうしてタカキの元へ来るのは、初めてのことだった。
タカキは、澤田さんを部屋に招き入れると、小さなローテーブルの前に案内した。
冷蔵庫に入っていたトウモロコシ茶をコップによそい、澤田さんの前に差し出す。
「どうしたの?」
「綺麗っつーか、何もねーな。この部屋」
「そう?」
「せめて、パソコンくらい置けよ~、現代っ子!」
「iPadならあるよ。使う?」
「いや、マイパソなら持ってるからな」
澤田さんは腕時計型のパソコンをタカキに見せた。
画面から、レーザー型のキーボードとスクリーンが表示される。
電子の最先端のソレだが、もちろん、澤田さんの自作の物だった。
「便利だね」
「重いもの持ち歩くのが嫌いなんだよ」
「なるほど」
澤田さんはキョロキョロしながら、タカキの部屋を見渡した。
「俺と、同じ間取りとは思えねーな」
「真下だから、全く同じはずだよ」
「つか、この座椅子いいな。折りたたみ式か?」
「うん。普段はベッドの下に入ってる」
「お前なぁ。ベッドの下ってのは、本来エッチな本とか入れとくところだろ! 整理整頓に使ってんじゃねーよ。もっと有意義に使いなさい」
「そんな怒られ方されたの初めてだ」
「男は、みんなこうなの。覚えとけ」
「はい」
素直に頷きながら、タカキはお菓子の箱を開けて澤田さんの前に出した。
「お、悪いな」
「夕飯食べてなかったら、簡単に作るけど?」
「食べてきた! お前、ほんといい奴だなぁ、今度またカレー作ってくれな」
「いいよ。それで、どうしたの? 頼みごとって何?」
タカキが尋ねると、澤田さんはコップを机に置いて、珍しく真剣な声で言った。
「ちょっと、二週間ほど、ホテル暮らししてくんね?」
「え?」
「いやー! このボロアパート、ちょいと改築したくてよ〜〜、山田に頼んだら、お前が金を払うならいいって、許可貰えたからさ。大した工事じゃねーんだけど、ちょっとだけ弄らせてくれ!」
「改築って?」
「壁は薄いし、セキュリティは糞だし、風呂も追い焚きできねぇなんて、今時ねぇだろ。だから、俺の技術で、ちょっと改造してやろうかと思ってさ! 住みやすさは、保証するぜ!」
「全面工事するの?」
「まぁな。元より、山田の奴にドアぶち壊されないような頑丈な扉を作ろうと思ったんだけど、そうすると壁から変えねーと意味ないってことに気付いてよ。だから、頼む! 俺の安眠とエンジョイ引きこもり生活を応援すると思って!」
澤田さんは、お願いのポーズをしながら、タカキに頼む。
相変わらず、無茶苦茶な提案だった。
だが、澤田さんなら可能だ。
セキュリティーの強化も、追い炊き機能付き風呂も、簡単に作れるだろう。
だが、タカキには疑問が残っていた。
「でも、費用がかかるなら、澤田さんだけに払わせられないよ」
「それは大丈夫。スポンサーがついてっから」
「スポンサー?」
「そ。だから、頼むよ。明日から二週間だけ、別のところで暮らして欲しいんだ。ホテルの手配も、もう出来てる」
「それ、かなりかかるんじゃ……」
「いーの! いーの! 俺が無理に頼んでるんだから、このくらいはな!」
タカキは、考えた末に頷いた。
澤田さんは、何も無しに動く人ではない。
ましてや、山田さんは駄目な時には、何があっても頷かない人だ。
きっと何か大切な理由でもあるのだろう、とタカキは納得した。
「いいのか! すまん! じゃあ適当に必要な貴重品だけ纏めてくれ! ホテルの場所はここな! 明日からならいつ行っても、タカキの名前を言えば泊まれるようになってっから! ここに電話すれば、専用タクシーがすぐにホテルまで連れてってくれる。明日荷物詰め終わったら言ってくれ。大きな荷物は引越し業者に頼んで、しばらく別のとこに保管してもらう。その他に、質問があれば、明日以降いつでも構わないから、俺の携帯に電話してくれ」
テキパキと指示をする澤田さんはいつもとは別人のようだった。
的確に手配をし、タカキに負担がかからないように配慮されている。
「このホテル名、初めて聞いた」
「大丈夫! 行けば、わかるって! 頼むな!」
「荷物詰めるのは、すぐに終わるから、明日の朝には出れるよ」
「助かるぜ〜〜!」
タカキは、こくんと頷いた。
「他の人は、どうするって?」
「他の部屋の奴らにも、許可は貰ってるよ。ありとあらゆる手は使ったけどな」
澤田さんの顔がニヤリと悪い笑みを浮かべた事には、深く突っ込まないでおいた。
みんなが問題無いのなら、それでいい。
「あ、201号室の……」
「あぁ、河童か」
「知ってたの?」
「アイツ、俺たちと、たまに麻雀してるぞ」
「麻雀、出来るんだ」
「タカキも今度やるか?」
「ううん、やめとく」
「アイツは暫く海外旅行に行くっつーから、チケット手配した」
「飛行機乗れるんだ」
「いや、豪華客船の旅だ。空は怖いらしい」
「水辺が落ち着くのかな」
「かもな〜〜! まぁ、悪い奴じゃねぇよ。いいおっさんだ」
「男なんだ」
「見りゃわかるだろ」
キョトンとした顔の澤田さんを見て、タカキは自分がまだまだ経験不足なことを悟った。
「とりあえず協力してくれてありがとうな。今よりもっといい部屋にすっから、待ってろ!」
「ありがとうございます。もし、後からでも費用とか何か必要な事があれば言ってください」
タカキが、礼儀正しく丁寧に御礼を言うと、澤田さんは、呆れたように口をあけながら、頭をおさえた。
「お前……ほんと、騙されるなよ? 俺みたいなやつが今後現れても、ソイツは絶対悪い奴だから、信用するなよ?」
「大丈夫。澤田さんのことは、ちゃんと見てるよ」
「怖いガキだわ。末恐ろしいな。まぁ、いいか。お前に何かあれば、おじちゃんが手を貸してやるよ。俺が他人を気にいることってあんまないから、レアだぜ? 明日の朝、また来るから、よろしくな。しっかり休めよ、若者!」
要件を言い終えると、澤田さんは颯爽と部屋から出て行った。
その後ろ姿を眺めながら、久しぶりにこの家を空けるな、とぼんやり思う。
そのまま視線を壁に移して、白い壁に貼られている一枚の写真を見つめた。
「これも、外さないと……」
裏返しになっているその写真は、タカキにとっては大事なものであった。
「何処に入れようか」
その写真をひっくり返す事の無いまま、タカキはソッと手帳の中へと挟んだのだった。
◇◇◇
「と、言うわけなんだ」
「絶対、反対!」
ナイトは、笑顔で怒っていた。
タカキは、シャープペンを高速でクルクルさせながら、どうしたものかと頭を悩ませる。
「怒ることじゃないよ」
「怒ることだよ!! なんで、いきなり改築?! 意味がわからないだろう!」
「意味は理解できなかったけど、悪い意味ではないと思って」
「も~~~だから、言っただろう! お人好しも大概にしろって! どこの世界にそんな話を信じるやつがいるんだよ! 仮に、アイツが本当に改築したところで、部屋に盗聴器とか仕掛けられてたらどうするんだ!?」
「そういう面倒なことはしない人だから大丈夫だよ。それに、どのタイプの盗聴器でも、監視カメラでも見つけられる自信があるから問題ない」
「問題大ありだ!」
ズイッと顔を迫られ、タカキは目を瞬きさせた。
ナイトはタカキに関してだけは、極度の心配性なのだ。
ナイトが心配するとは思っていたけれど、流石に二週間もホテルだと誤魔化しようが無い。
元より、タカキは嘘をつく気はなかった。
だが、正直に話してどうにかなるものでもない。
案の定、ナイトは、厳しい表情をしていた。
「そんなに怖い顔をするな」
「笑顔の方がいい?」
「もっと怖い」
「まぁ、納得いかないからな」
「しばらく、都内のホテルに泊まるだけだよ」
「今日からだろ? だったら、俺の家に来ればいいじゃないか」
「ナイトの家には、行けないよ」
「だったら、俺の家が経営しているホテルに泊まればいい」
「それもできない。セブキ会長とも約束したんだ。ナイトがいくら良いって言っても、俺はそういうことで、ナイトの名前は使いたくない。わかってくれるだろう?」
「……でも、二週間もホテル暮らしだなんて、」
「今までと何も変わらないよ。大学で会えるし」
「……でも、明日からゴールデンウィークに入るだろう」
「バイトたくさん入れたから、どっちみちバイト三昧だよ。ナイトも、ゴールデンウィークは、会食とか、打ち合わせで埋まってるんだろう?」
「そうだけど……」
いつまでも、落ち込んだように下を向いているので、タカキは、ナイトに向かって言った。
「改築終わったら、俺の家でご飯食べる?」
「行く!」
「決定。やっと、顔上げたな」
「……!」
「よかった」
「悪い、拗ねたりして……」
「もう怒ってないか?」
「怒っても仕方なさそうだからな。納得はしてないけど、諦めるよ。でも、何か少しでも問題がありそうだったら言えよ?」
「わかった」
「絶対だからな?」
「うん。困った時は、ナイトを頼るよ」
罰が悪そうな顔で苦笑したナイトは、タカキの言葉を聞いて、少し機嫌を戻した。
タカキも、安心させるように微笑む。
ナイトは、「メールも電話もするからな!」と言い残して、その後、タカキとわかれた。
一人になったタカキは、その足でホテルへと向かう。
タクシーを呼んでいいとも言われていたが、ホテルの場所は、そんなに遠くは無かった。
駅で言うなら、二つほど離れた場所にある。
タカキは、スマフォのナビを頼りに、普段は歩かない道を進んで行った。
「ここ……か?」
着いた先は、絵に描いたような高級ホテルだった。
何度も見直したが、地図は、ここで間違いない。
明らかに高級感が漂うその空間で、タカキの服装は、大分浮いてしまっていた。
「あってるよな……?」
どうやら、このホテルは最近建ったばかりのものらしい。
全てが新しく、最新のものを多く取り入れたその空間は、著名人や芸能人御用達と言ったところだ。
庶民からすれば、とてつもなく異空間なホテルとなっていた。
「お荷物、御預り致します」
「ありがとうございます」
ドアマンに、小さな荷物を持たれ、受付へと案内される。
「こちらは、ヨークタワーホテルでございます。ようこそ、お越しくださいました」
「受付で、タカキと言えば予約が取れてると言われてきたのですが、こちらで合っていらっしゃいますか?」
「大変失礼いたしました……っ! タカキ様でいらっしゃいますね! すぐにご案内致します……!」
名前を名乗るや否や、突如として、受付の人達の顔色が変わった。
慌てて、タカキに深くお辞儀する。
タカキは、嫌な予感がしていた。
「ご案内致します、こちらです」
奥から、年配の案内人が現れた。
タカキは、何か尋ねることなく、黙って後に続く。
専用のエレベーターで上がり、着いた先は、最上階だった。
「あの、」
「申し訳ございません、私共は、何も話さないようにと言われておりますゆえ、お伝えできることは何もございません」
「わかりました。ご案内してくださり、ありがとうございます」
「二週間という短い間ですが、どうぞ、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
その男性は、深く深くお辞儀して、再び専用エレベーターで下がっていった。
一人になったタカキは、目の前の大きな扉を開ける。
特に迷いはなかった。
中に入ると、広々としたキッチンや、寝室が見える。
そして、奥には、パーティーが開けそうなくらいに大きなリビングが待ち構えていた。
ゆっくりと深呼吸をする。
瞼を閉じて、静かに開いた。
「久しぶりだな。愚弟よ」
「やはり、貴方でしたか……ウィリアム、」
久しぶりに会う兄の顔は、タカキには少し違って見えた。




