‐203号室の住人……の息子(仮)
俺の名前は、ネコタ。26歳。
職業 秘書。
15年前に、203号室の住人「キョウカ」に拾われた。
出逢いは、最悪だった。
俺が、孤児院の裏の路地で従業員の女に、ずっと傘で殴られ続けていたところを発見されたのだから。
良く聞く話だから、別に珍しいことではないが、孤児院での虐待は当たり前と化していた。
15年前、俺は11歳だった。
まだ、ガキだったが、それでも大人と同じくらい冷静に物事を見ていたと思う。
虐待していた女の顔は、少しも幸せそうではなかった。
そのことを今でも鮮明に覚えている。
「ねぇ、子どもに何してるの?」
「……アンタ、誰よ」
「私? 私は、キョウカよ」
何が起きたのか、一瞬わからなかった。
気付けば、従業員の女は倒れていた。
俺は、その後、病院に運ばれ、意識を失った。
キョウカが、酷く悲しそうな顔で、俺を抱きしめていたのだけは、覚えている。
だけど、起きたらその温もりは消えていた。
結局、虐待されていた女は、キョウカの通報によって辞めさせられ、孤児院には新しい「マザー」が来た。
今度は、口うるさいが暴力こそ振るわない、普通の人だった。
それに安堵していたのも、つかの間。
キョウカは、再び俺の目の前に現れた。
窓の淵に腰掛ける、不法侵入者の姿を見て、俺は呆れた溜息を吐いた。
「なんだよ」
「はは、驚かないんだ~?」
「驚いて欲しかったのか?」
「うん。ちょっとだけね。あのさ~ぁ、君、強いよね」
「別に」
「でも、傘くらい避けれたでしょ? なんで避けなかったの? どうして逃げなかったの?」
「逃げても意味がなかったからだ。俺の家は、今ここ以外にはどこにもない。家に帰っても逃げ場がないんじゃ、どこに逃げりゃいいんだよ」
「なるほど〜〜あの人のこと、恨んでる?」
「一人を恨めれば楽だが、この問題は、あの女だけの問題じゃない。それに恨む人数を増やせば、余計に体力を消耗する」
「合理的じゃないってことかぁ。しっかりした考え方だな〜〜」
「言いたいことは、それだけか?」
「あのさ、君、勉強する気ある~?」
「は?」
「私、会社作るんだ~、だから、君みたいに冷静で優秀な秘書が欲しいのよ。あと10年ぐらいしたら、また声かけに来てもいい?」
へらへらとした顔で、そんなことを言いのけたキョウカを見て、当時は、珍しく口を開けて驚いたのを覚えている。
もう何年も、こんな風に、驚かされたことなんてなかった。
俺の顔が無表情から変わったのが嬉しかったのか、キョウカはキャッキャッと笑った。
「それって、10年後じゃなきゃダメな話か?」
「ん~?」
「アンタ、俺の里親になる気はないか。そしたら、今からアンタの秘書になってやる」
俺がそう言って、キョウカの右手を掴むと、あまりにもおかしそうに、アイツは笑った。
「あははははは、君、すっごいなぁ、やっぱり、超優秀~~っ」
「どうなんだよ、オイ」
「はは、いいけど~、いや? ダメだよねぇ~、こんな小学生を働かせらんないもん~」
「別に、ばれなきゃいいだろ」
「ははは、肝っ玉座ってるねぇ~~、そういう子、好きだよ」
そう言って、キョウカは、俺の屈むと、俺を思い切り抱きしめた。
「私みたいなのが、母親なんて笑えるよねぇ~」
「別にいいだろ。仮だ、仮」
「マジかぁ~、仮ならいいかなぁ? 君、うちの子にして、怒られない?」
「怒る親なんて、どこにもいない」
「そっかぁ、ふふ、じゃあ、うちにおいで。ねこたん」
「おう……ねこたん?」
「病院に運ばれた時に名前見たの~。ネコタくんって言うんでしょ~? だからぁ、ねこたんっ!」
「絶対にヤメロ、二度と呼ぶんじゃねぇ」
「え~~~、可愛いのに。じゃあ、手続き済ませちゃおうか!ごはん苦手だから、好きなもの食べにいこう!あ、お風呂洗いは、得意だよ~」
その後、キョウカは、本当に俺を引き取った。
何だか、色々な手続きをしていたが、子どもの俺にはよくわからなかった。
キョウカは、意外と金を持っていて、生活に不自由はしなかった。
高校生になった俺は、毎日のように、職員室に呼び出されたいた。
それは、進路の話でだ。決して、目つきの悪さや、素行が悪かったからじゃない。
それなりに勉強したお陰で、割と成績はよかった。
だけど、大学に行く気はさらさらなかった。
「ねこたん~、大学も出なね~ぇ」
「別に勉強さえできりゃあ、出なくてもいいだろ」
「ダメだよ~、もし転職することになったら、学歴は必要だもの~」
「アンタの下以外で働くつもりはねーよ」
「ダメだよ~、いつ私が死んじゃうか、わからないでしょ~」
「縁起が悪いこと言ってんじゃねーよ。アンタみたいな奴は、俺の親と違って、ぽっくり死なねーだろ」
「ねこたんの、パパとママね。一度会ってみたかったなぁ」
「とんでもないお人好しだった覚えしかねーな」
「だから、しっかりもののねこたんが生まれたのかもね」
「さぁな」
「だから、お願い~、大学は行こう?」
「……」
「私もちゃんと、朝ごはん食べるようにするから~」
「なんで、それが等価条件になってんだよ」
「ちゃんと、寝る時も、パジャマ着るからぁ~」
「……はぁ、ついでに、無理な仕事はしねぇって約束しろ」
「してないよ~」
「じゃあ、大学行かね」
「嘘嘘~、わかった~ぁ、ねこたんに心配かけるような、お仕事は絶対に受けません~約束、はい、ゆびきりぃ~」
「……絶対だからな」
「ん、やくそく」
そんな約束をしたせいで、俺は大学四年間は、しっかりと学んだ。
勉強は嫌いじゃないし、ゼミも案外楽しかった。
生活の基本は、キョウカの秘書として動いていたが、キョウカも俺が大学に行ったのがよほど嬉しかったのか、毎日のように大学の話を聞いてきた。
そして、俺が大学3年生になったある日。
キョウカが初めて俺に『自分』のことを話した。
信じがたい話だったが、キョウカは嘘をつかない。
だからこそ、俺は、その言葉を信じた。
信じた上で、アイツに言った。
「バッカじゃねーの」
「ねこたん……」
「俺は、お前の何なんだ、言ってみろ」
「……」
珍しく、口を噤んだキョウカの頬を両手でバチンと押さえた。
「いひゃい……」
「痛いなら、泣けよ、この大馬鹿野郎」
俺がそう言うと、キョウカはボロッと大粒の涙を溢した。
この十年間、コイツが泣いたところなんて、見たことがなかった。
当たり前だ。
泣けなかったんだから。
それを今まで話さなかったキョウカにも腹が立つし、今まで、無理矢理にでも問い質さなかった自分にも苛立った。
「俺は、アンタの息子だろう? 秘書だろう? 大事な家族だろう? ……支え合うのが大事って、俺に教えたのは、アンタじゃねーか。何、自分は迷惑をかけれませんって、顔で、へらへら生きてんだよ、ふざけんな」
「でも、仮だって」
「でも、じゃねーよ。何年前のこと持ち出してきてんだ。それとも何か。俺を息子とは思えないのかよ」
「そんなことない……けど、私が、ねこたんの母親って言える資格は、」
「母親に資格なんていらねーだろ。アンタが、俺を息子と思うのなら、俺はあんたの息子だ」
「ねこた、ん」
「俺は、アンタが母親になってくれて、嬉しかった」
「――!!」
ボロボロと、キョウカが泣いた。
そのことに、どこかホッとする。
今まで、踏み越えることができなかった壁を越えれた気がした。
「アンタが、俺の両親を知っていようが、関係ない。アンタは、俺の母親なんだ。俺に二度も母親を失えって言うのか」
「ううー……っ」
「アンタは一人じゃない。俺を頼れ。仕事では秘書として、プライベートでは、家族として、アンタを支えてやる。今まで、アンタが俺に、してきてくれたこと……少しぐらい、俺にもさせてくれたっていいだろう」
「何もしてない、ねこたんが、いたから、毎日、凄くしあわせで」
「……あぁ、知ってるよ。アンタが、ずっと、俺の苗字しか呼ばなかったこと、ずっと不思議に思っていた。最初は、俺のこと、子どもだと思っていないから当たり前だと思っていたけど、まさか、そんな理由を抱えていたとはな」
「……ねこたん、」
「ネコタだ、苗字は構わねーけど、ネコたんって呼ぶな」
「わぁぁぁぁ……ねこたーん、」
「ったく、アンタって人は、」
「ネコたん、ネコたん、ありがとう」
「おう。俺も、話してくれてありがとうな……」
初めて、自分からキョウカを抱きしめた。
あの時は、大きいと思っていたキョウカが、こんなに小さい身体をしていたと知って、驚いた。
見て見ぬフリは、もうやめだ。
こうなったら、とことん、関わってやる。
「オイ、卒業したら、今の会社、本格的に動かすからな」
「今でも、ねこたんのお陰で、動いてるよ~?」
「今後の目的が変わった。最初は秘書になって、アンタの会社を支えることが目的だったけど、今は、秘書になって、アンタがもっと幸せになるように、支えるっつー役目ができた。そうなったら、今のままじゃ、ダメだろ」
「……ネコたんって、ほんと凄いなぁ……お人好しなのは、ご両親似なんだね」
「頑固なのは、アンタに似たんだよ」
「はは、そっか~、嬉しいな。私似だ」
それから、五年が過ぎた今も、俺はキョウカの傍にいる。
今は、アパートに暮らしているキョウカだが、しょっちゅうこの家に戻ってきている。
仕事中は、常に一緒だし、正直、大学に通っていた時と、そんなに会っている時間は変わらなかった。
「ボス、今日は、西野区に行くぞ」
「了解」
「商談が成立したら、今夜は好きなもの食べさせてやるよ」
「やったぁ~、じゃあ、焼肉ねぇ」
「戻ってんぞ、ボス」
「はーい、頑張ります」
親バカ、子バカだと言われるかもしれないが。
俺たちは、これでいて
結構、上手くやっているのだ。
END




