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「ふぎぎぎぎっ!」
「ナイト、離してあげて」
「……」
タカキの一言で、ナイトは父親のセブキ会長から手を離した。
見たことも無い息子の姿に、セブキ会長は動揺する。
「ナイト、おまえ、」
「いつか、こんな日が来るかもとは、思ってたけどね」
「なっ! 今、何を!」
「別に、父さんに反抗したいわけじゃないよ。今までの生活にも、文句があったわけじゃない。でも、流石にさっきの言葉だけは聞き過ごせなかった」
ナイトは、真剣な顔でセブキ会長を見下ろして言った。
「タカキは、捨て犬なんかじゃないよ。父さん」
その一言で、セブキ会長とタカキの目が見開かれる。
ナイトが父親に意見する事は、今まで本当に数える程もなかった。
それが、今、ハッキリと楯突いているのだ。
これには、ユキナリさんも拍手した。
「馬鹿な……っ、このガキめ! ナイトを取り込みおって!」
「セブキ会長、」
「お前のような奴と関わったから、ナイトがこんな反抗的になったんだ! どうしてくれる!!」
「父さん、タカキに酷いことを言うのは、やめてくれ」
「ナイトも、いい加減に目を覚ませ! 友達ごっこは、終わりだ! セブキの名を背負うお前が、こんな馬の骨と似たりしたら、溜まったものじゃない!」
「友達ごっこ、か……タカキに話したんだね。俺が、タカキを利用する為に近付いたんだってこと」
そう言いながら、ナイトがタカキに視線を合わせる。
その視線を見つめ返しながら、タカキはコクリと一度、頷いた。
「いつか、バレるって思ってた。その日が、ずっと来なければいいのにって、願ってたけど」
「最近、様子がおかしかったのは、俺がベリル財閥と関係が切れたからか?」
「うん。父さんに、もう付き合う必要が無くなったから関係を切れって言われて、目の前が真っ暗になった。タカキの側にいる理由を奪われてしまったから。嘘をつき続ける理由が無くなって、俺は、どうすればタカキの傍にいられるのか、そればかり考えていた」
ナイトは、タカキに向かって、頭を深く下げた。
「ごめん、タカキ。殴っても罵ってもいい。全部、俺が悪かったんだ、」
「殴らないよ」
アッサリと断られ、ナイトは顔を歪ませる。
いっそ、殴られたり罵られた方が、よかったかのように。
恐ろしい量の罪悪感がナイトの心を襲った。
「……タカキなら、そう言うと思った、」
「謝られることをされた覚えもない」
「俺は、タカキを騙していた。その事実は変わらないよ」
傷付く言葉を、自分で自分に浴びせているナイトを見て、タカキは、眉を動かした。
「コラ、」
ペチンッ、と、力を入れないでタカキはナイトの頬を叩いた。
痛くはないが、目を見開く。
タカキは、滅多にそんなことをしないので、ナイトは心底驚いていた。
「俺がベリル財閥と切れたことがわかってから、何日が過ぎた?」
「へ?」
「俺が財閥と切れた事よりも、俺自身と離れることの方が嫌だったんだろう? それって、肩書きも何もない俺だけど、ナイトの意思で友達でいたいと思ってくれてるって、受け取っても間違いじゃないよな?」
「タカキ、」
「俺もナイトのこと親友だと思ってる。けど、それは、財閥の息子だからじゃない。騎士だからだ」
タカキの言葉を聞いて、ナイトはグッと拳を握った。
その手は、僅かに震えている。
眉間に皺を寄せて、泣くのを堪えているかのような声でナイトは言った。
「絶対……嫌われるって、思ってた」
「なんで?」
「最初に、近付いた目的は、不純なものだったから……。自分は、金目的で近付かれるのを嫌うくせに、最低だよな。棚上げして、タカキの友達になろうとするなんて、」
「ナイトは、最低じゃないよ。俺に対して、不誠実な事もしていない」
「してたよ。最初の頃は、どう接していいかもわからなくて、ずっと作り笑顔で誤魔化してた」
ナイトが悲しそうな顔をしたので、タカキはその頬を抓って言った。
「俺の親友は、良い奴だよ。責めないでくれ」
「タカキ、そんなに、お人好しでどうするんだよ。本当に心配になる」
「俺は、ナイトの方が心配だけど。ところで、セブキ会長の事はいいのか? あそこで石になってるぞ?」
「あー……面倒だったし、今まで反抗らしい反抗したことなかったからなぁ」
「そうだったんだ」
セブキ会長の方を二人で見ると、見事にセブキ会長は衝撃を受けたまま、固まっていた。
よもや、従順だった息子が、こんな風になろうとは、予想もしていなかったのだろう。
タカキは、ふむ、と顎に指を添えながら言った。
「さて、ここで、大きな問題を解決しておかないとな」
「タカキ?」
「親子の仲は、大事にするべきだと思う」
そう言って、タカキはセブキ会長の元へと駆け寄った。
「な、なんだ」
「交渉しようかと思いまして」
「交渉? お前がか」
「はい。セブキ会長、先ほどの話では、ベリル財閥の力を利用したかったようですが、必要なのは、財力でしょうか? それとも、知識や情報でしょうか?」
「どういう意味だ……?」
「どれでも、手に入れることは可能です。地位も名誉も、その気になれば、手に入れられます。今の俺に価値がないと言うのでしたら、価値を作り出してみせましょう」
タカキは、ナイトの目を見ながら、セブキ会長に言った。
ニヤリと笑うタカキを見て、ナイトは驚く。
こんな笑い方をするタカキは見たことがなかったからだ。
「お前のような奴に、価値があると言うのか」
「今、俺とナイトを切り離すのは得策ではないと、数年後に証明してみせます。なので、今はナイトと友人でいる事を許していただきたい。もし、数年後も、俺がナイトにとって、価値のない人間だと判断したのでしたら、その時は、無理矢理引き剥がしていただいても構いません」
「タカキ!」
「大丈夫。絶対、証明できるから」
「でも、」
「俺の大丈夫は、絶対大丈夫だから、安心しろ」
タカキの迷いない言葉を聞いて、ナイトは言いたかった言葉を飲み込んだ。
先ほどから、タカキの表情がタカキじゃないみたいに、動いていた。
まるで、自信満々の俳優のように、綺麗な笑みを浮かべている。
「そうだ。さっき、俺とナイトが似ると困ると言ってましたよね?」
「言ったが、それがどうした」
「ナイトって、俺みたいに笑うんですよ。知ってました?」
次の瞬間。
タカキは、ニヤリとした笑みを止め、いつもの顔で、ニコリと笑った。
その顔を見て、セブキ会長は固まる。
眼を大きく見開いた、その時。
タカキの奥に、幼い頃のナイトの姿が見えた気がした。
「――!」
「この顔のナイトが見たかったら、ナイトをいっぱい笑わせてあげてください」
そう言い残して、タカキはセブキ財閥の屋敷を後にした。
「あ、オイ! タカキ、待てよ!」
ナイトも後ろから、タカキの後を追う。
残されたセブキ会長は呆然と立ち尽くしていた。
「……ユキナリ」
「はい、」
「ナイトも、昔は、あんな顔で笑っていたな」
「えぇ、遠い昔の記憶ですが」
「アレは、どうして、笑ったのだか、覚えているか……?」
「セブキ様が、褒めたからですよ」
「そうか、」
「思い出されましたか」
「……ナイトは、良い子だったな」
「今も、変わらず。ナイト様は良い子でいらっしゃいますよ」
ユキナリさんは、嬉しそうに微笑みながら、そう言った。
ナイトの笑顔を思い出しながら、もう、随分とあの笑顔じゃない笑顔を見ていたのだと、反省する。
セブキ会長は、オレンジ色に染まりつつある空を見上げながら答えた。
「あぁ、そうだな」
久しぶりに見た夕焼けは、とても優しい色をしていた。
「ところで、さっきの化け物はなんだったんだ?」
「私の方で、調べておきましょう」
「あぁ。それに、あのガキ……いやタカキ坊の事も、もう一度調べておけ」
「セブキ様?」
「別に、引き離す為の材料集めじゃない。あの少年が何に関わっているのかが、わかればいい。あんな化け物と戦っていて、約束を破られたんじゃ困るからな」
「そう言う事でしたら、このユキナリにお任せを」
「くれぐれもナイトにはバレないように、慎重に頼むぞ」
「嫌われたら困りますものね」
「ングゥっ!」
「ふふ、ナイト様の好きな食事でも用意して待っておきましょうか」
ユキナリさんの言葉を聞いて、セブキ会長は顔を顰めながらも、ぶっきらぼうに「そうしておけ」と伝えたのだった。
◇◇◇
一方、その頃のタカキたちは。
「送らなくていいのに」
「俺が送りたいんだよ! それより、どうして、俺の家に来たんだ? しかも、俺が居ない時に」
「えっと……近くに用事があって、」
「ふーん。ところでさ、彼奴のことだけど、覚えてるか?」
「あいつ?」
「あの、前に公園で会ったホームレス」
「あぁ。クラゲさんのこと?」
「それ」
ナイトは、うげっと舌を出しながら、頷いた。
「タカキ、アイツから、何か言われたのか?」
「へ?」
「講演会に行ったら、彼奴がいてさ。最初、誰だかわからなかった」
「あぁ、最近身体鍛えてるって言ってたし、前よりスーツもちゃんと着るようになったみたいだからね」
「だとしても、あんな変わるか?! 女性陣からキャーキャー言われてて、妙に癪だったから無視してやろうかと思ったけど、しつこく絡んできてさ」
「クラゲさんらしい」
「早く家に帰らなくていいのか? って言ってくるから、何を言ってんだ、コイツって思ってたら、ユキナリからメールがあって」
「そう言えば、連絡あったって言ってたっけ」
「それで、急いで帰ってきたんだけど、思い返せば、なんであいつが知ってたのか気になって」
「そっか。実は、クラゲさんって情報に詳しい人で、最近この辺りが物騒だって聞いたから、心配で、パトロールしてたんだ」
「そんなのお前がしろよ!! あの不審者め! と言うか、彼奴が怪しい奴だろ!」
「クラゲさんは、良い人だよ?」
「良い人は、あんなに馴れ馴れしく絡んでこない」
不機嫌な顔で苦々しくそう呟いたナイトを見て、一体どんな絡み方をしたらこんな顔をするんだろうかと、タカキは真剣に考えた。
「まぁ、理由はわかったけど。物騒だって聞いたなら、なおさら来たらダメだよ。タカキに何かあったら、どうする?」
「俺が身体鍛えてるのは、ナイトも知ってるだろう?」
「そう言う問題じゃないんだよ。強いとか、弱いとかじゃなくて、この間のこともそうだけれど、タカキは無茶し過ぎだ」
ナイトの言葉に、タカキは反論することなく、素直に頷いた。
すると、そんなタカキの顔を覗き込むようにして、ナイトが見つめる。
「……本当に怒ってないのか?」
「怒ってもないし、嫌ってもないよ」
「よかった、」
タカキの言葉に、ナイトは心から安堵する。
それを見た、タカキはクスリと笑った。
「ホッとしたか?」
「当たり前だろ。タカキに嫌われたら、生きていけない」
「そうなのか?」
「どうしたら、許されるだろうって、ずっと悩んでた。父さんが、友達を止めろって言ってきた時から、時間の問題だとは思ったけどな。反抗するのは、簡単だけど、タカキに騙していたことがバレるのだけは、怖くて仕方なかった」
「騙されたとは、思ってなかったよ。最初から、予想してたから」
「予想してたのに、どうして、俺と関わったりしたんだ? 金目的なんて、失礼な奴だと思わなかったのか?」
タカキは、当時のことを思い出す。
友達になろうと誘ってきた、ナイトの顔は、とても綺麗な作り笑いだった。
だけど、
「初めて会った時に、少し話した後『遊びに行かない?』って言われて、俺が『ごめんなさい』って断ったの、覚えてる?」
「すごーく、覚えてますとも」
ナイトは、顔が良くて、頭が良くて、表向けの性格がいい。
家柄もよくて、スポーツ万能で、音楽もできる。
今まで、友達が寄ってこなかったことがなかった。
だからこそ、タカキに断られて、凄く驚いたのだ。
「断られると思ってなかったせいか、ナイト、すごく焦ってた。あれから、色々な手を使って、俺のこと誘おうとしてきただろう?」
「うん、全部空振りだったけどな。今、思えば、タカキは俺に対して、怪しがってたわけじゃなくて、ただ、バイト三昧だっただけなんだけど、当時の俺は、それで凄く焦ってたんだ。はは……恰好悪いよな」
「セブキの会社の人間が、ベリル財閥について調べてるって情報も入ってたから、多分、何かしら裏があるとは思ってたけど、それにしても、ナイトが誘ってくるから、少し不思議に思ってたんだ。近づく手段なら、他にもいくらでもあるだろうに、どうして、友達にこだわるんだろうって」
「それは、」
「ナイトは頭がいいから、友達以外にも、近づく方法はあっただろう?」
「……なかったよ」
「どうして?」
「タカキが金にも女にも興味ない人間だってわかったから。奢るって言っても、いいですって言うし。女の人を紹介するって言っても、断ってきただろう。何をするにも、律儀に御礼してくるし。ここまで、無欲が人間がいるのかと思って」
「それで、興味が湧いた」
「……!」
「ビンゴ?」
「……ビンゴ」
「だと、思った。途中から、ナイトの誘い方が変わってきたから。最終的には、『俺と公園で散歩しませんか!』って言われて、笑ったな」
「あれは……半ば、ヤケになってて……忘れてくれ」
「忘れないよ。それで、あの時、たまたま、瞳さんから電話が入ってバイトの予定が無くなったから、行けますって言ったら、ナイトが凄く嬉しそうにガッツポーズしたんだよな」
「無意識にガッツポーズなんてしたの、生まれて初めてだったよ」
二人は、クスクスと笑い合った。
今思えば、微笑ましく思える。
「公園で、初めてタカキがバイトしてるって聞いて、めちゃくちゃ力が抜けた覚えがある」
「慣れないと、あまり話さないからな」
「アレからだよな。タカキと話すようになったの」
「うん」
「俺、自分が、こんなに感情豊かな人間だったなんて、タカキに出会うまで知らなかったよ」
「勿体ない」
タカキの言葉を聞いて、ナイトは「そうだな」と微笑んだ。
その笑顔を見て、タカキは言った。
「きっと、セブキ会長は、ナイトに優しくなるよ」
「なんで、わかるんだ?」
「ナイトの笑顔が見たくなっただろうから」
「あ、それだけど、俺、本当にタカキと似たような笑い方してたのか?」
「気付いてなかったんだ?」
「自分じゃ、笑った顔は見れないからな」
「そっか。じゃあ、今度、写真に撮ってみるか」
「それは、それで恥ずかしいな」
タカキとそんな会話をしている中で、ふと、ナイトが思い出したかのように言った。
「そう言えば、さっきのタカキ、あんな顔も出来るんだな」
「あんな顔?」
「父さんと話してる時のタカキの事だよ。策略家みたいな? 普段駆け引きとか、そういうことはしないだろう」
「ナイトの真似したんだよ」
「え?」
「似てただろ」
ニヤリと、さっきと同じ顔で笑うタカキを見て、ナイトは顔を真っ赤に染める。
「ずるい、タカキ」
「どうも。策略家のナイトくん」
「あー! くそ、墓穴掘った!」
「一緒にいたら、似てくるものだよ」
「それって、ふ、」
「ふ?」
「い、いや! 何でもない!」
夫婦のようだと言いそうになって、慌てて口をおさえる。
ぶるぶると、ナイトは首を横に振った。
夕暮れが一番鮮やかに輝きだした、その時。
タカキは、前を向きながら言った。
「ナイト、ありがとうな」
「え? なんで、タカキがお礼なんて言うんだ?」
「さっき、庇ってくれただろう。身内に意見する事は、凄く勇気がいる事だ」
「あれは、当たり前だよ。父さんが、ごめんな。酷いこと言って、」
「全然。それに、当たってたから」
タカキはナイトより一歩前に出て、振り返って言った。
「捨てられたのは、本当のことだ」
「何言って――…」
「でも、良いんだ。捨てられた方が、きっと、しあわせだったと思えるから」
「タカ、キ……?」
逆光で、ナイトの方からは、タカキの表情が読めなかった。
ナイトは、無意識にタカキの腕を掴む。
縋るようなその手が振り払われることはなかったが、ナイトは、酷く不安になった。
「タカキは、今……幸せなのか?」
「しあわせだよ」
「本当に? 辛くないか?」
「辛くないよ」
タカキは、空を仰いだ。
「――今は、な」




