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目を覚ます。
音を立てて勢い良く上体を起こした。
左を見て、右を見る。
開かれたままのカーテンから外が暗いのはよく分かった。
夜である様だ。
昼に寝たから、今の時刻に起きても不思議ではない。
アリスは全く眠気のない頭を悩ます。
奇妙なクエストの事が気になっていた。
あれは夢だったのか、それとも現実に起きた事なのか。
それがアリスには分からなかった。
夢ではないと思う理由は、拳に人を殴った感覚が残っているからだ。
現実ではないと思う理由は、始まりが唐突過ぎたからだ。
どちらでも大した問題ではないのだが、少しモヤモヤとする疑問である。
朝になったらカルマに会いに行こう。
それで詳しく話を聞こうと思った。
(でもその前に、まだ幾つか調べる方法あるはずだ)
例えばアイテムの整頓。
見覚えのないアイテムがあれば、あの戦闘が現実だと思って良いはずだ。
例えば装備の品質調査。
今着ているのは新しい装備だ。
それなのに著しく損傷がある場合、戦闘の証明になる。
例えばステータスの確認。
レベルが上がっていたら、戦闘が起きたのは確定である。
思い付くのは、どれもパネルを使う必要がある方法だ。
アリスは暗い部屋に灯りをつけた後、パネルを開いた。
しかしそれらの確認の為に操作する事は出来なかった。
アリスは驚きで目を見開いている。
ログアウトのボタンが復活していた。
「あれぇ?」
呆然とログアウトの文字を眺める。
目を擦るが消えない。
頬を抓ってもそれは同じだった。
つまりログアウトが出来る様になったと言うことだ。
両頬を叩く。
痛かった。
クエストがどうかは知らないが、ログアウトボタンは現実のものだ。
喜びながら押そうとして、躊躇う。
「待てよ。変なタイミングだ」
久し振りに掲示板を開いて、勢いのあるタイトル順に流し見る。
多くの種類があって目が滑るが、そのどれにもログアウト不能が解消したというタイトルはない。
ログアウトが出来ない事を嘆いている物は幾つも有るのに。
つまり自分以外の人たちはログアウトが出来ないらしい。
アリスは不信感を抱いた。
「何か、おかしい気がするぞ……」
そう呟いて、直前のクエスト名がフラッシュバックした。
鍵。
あのクエストはそんな変な名前だった。
鍵とは、何の鍵だ。
アリスの頬をつうと汗が垂れた。
もしかしてログアウトする為の鍵が、あのクエストだったのではないか。
(まさか!それだとログアウトが出来なかった状況は、バグではなく故意的な物だった事になる)
しかし態々こんなクエストを用意した理由を、それ以外に思い付かない。
ゲームを進めていけば、また別の真実が見えてくるのかもしれない。
けれど今気になった事は、無視出来るほど小さな問題ではなかった。
(ログアウトしよう。そしてネットで調べてみよう)
杞憂ならそれで良し。
そうでなかったのなら……。
アリスは頭を振った。
兎も角、先の事は後で考えよう。
今度は躊躇いなくログアウトボタンを押した。
卵型カプセルから空気が排出される様な音が長く鳴った。
鍵が外れる音がして、鋼鉄の支柱が伸びて、重い蓋が持ち上がる。
人が楽に入れる大きさのそれは、最新型の個人用シェルターである。
一般的な多機能型だ。
生体調節機能を筆頭に、VR機能などのシステムが搭載されている。
設定によってはコールドスリープも出来る様になっていた。
優れたマシンなのだ。
「んー……!」
マシンの中で少女が体を伸ばした。
口から漏れた艶かしい声は、本人の他に誰も聞く者がいないまま、虚空に溶けて無くなった。
少女は立ち上がる。
しっかりとした足取りで、マシンから出てくる。
長い間をこの中で座って過ごしたはずだが、健康に支障はない。
それは常に少女の体を最高の状態で維持していた、マシンに搭載された機能のお陰である。
階段状になった蓋の上を、段飛ばしで下りる。
木製の見た目や触感を再現した床に裸足で降り立ち、無造作に置かれたパソコンへと向かう。
今では滅多にお目にかかれない旧式のパソコンである。
電源を入れて、趣味で用意したキーボードを叩く。
モニターに明かりが点くと、コンマに満たない読み込みを挟み、デスクトップが表示された。
ウインドウを開くと、少女は今し方やっていたゲームの名前を入力し検索する。
そして以前からお世話になっていた情報サイトを覗く。
「あれ、デスゲーム?」
少女は注意と赤文字で表示されたタイトルの文章を読む。
曰く、ログアウトが出来なくなった。
そしてゲーム内ではデスゲームが行われているらしい。
それらは全て開発者の1人が暴走して引き起こした事件である様だ。
リンクを辿って、少女は全く予期していなかった真実に到達した。
バグだと思っていた物は、個人の悪質な計画による物だった。
そして事態は自分の想像よりも遥かに重い場所にあった。
しかしその胸中に悲しみも憤りもない。
驚きと困惑に占められていたからだ。
「なぜ、こんな事を」
少女には分からなかった。
幻想と言う美しい魅力で満たされた世界を、作り出した張本人が汚した理由が。
分かりたいとも思わなかった。
(デスゲームって事は、プレイヤーも本当に死んじゃうのかな)
少女は惨劇を思い出す。
森でバラバラになった無残な死体。
邪竜によって焼き尽くされた何十人もの冒険者たち。
あの人たちはもしかしたら。
少女は恐ろしい考えを必死に抑えて、考えないようにした。
目の前に鎮座する真実から目を反らす。
それに釣られて、思考も自然と別の問題に題材を変えた。
(これからどうしよう)
少女はマシンに目をやる。
悩んでいた。
ログアウトが不能だけなら、少女にとって何も問題はなかった。
この卵型の優れたマシンは、どれだけゲームに入り浸っても、万全の体調を保たせてくれる。
それこそゲームが出来ない程にマシンが壊れなければ、それは永遠に変わらないだろう。
しかし現実で死ぬとなれば、話は異なってくる。
別に生に執着する理由はない。
しかし今すぐに死を望む訳でもない。
まだ世界には楽しみが限りなく溢れている事を、少女は知っていたからだ。
その上で重要なのは、このゲームの結末も、その楽しみの内の1つである事だ。
でも、少なくとも。
今までの通り気楽に遊べはしないだろうと少女は思う。
現実の死が寄り添う世界で危険な怪物と戦う時には、きっと情けなく足が震えるはずだ。
それが容易く想像出来る。
「でも約束しちゃったからなぁ……」
幾度となく助けられたアラクネとは、また明日と言って別れた。
子供の様な大人の魔女とは、何があっても自分は絶対に変わらないと、約束したばかりだった。
それに人の話を聞かない美しいメイドには、まだお礼を言えていない。
死の危険と友との約束を天秤にかけながら、少女は髪の毛を掻き乱す。
しばしの静寂が部屋を包んだ。
思案に耽って俯き気味だった顔を上げた時、少女の目は決意に燃えていた。
(もう1度、やろう)
悩み抜いた末に、少女はゲームの再開を決めていた。
理由は幾つかある。
約束が多くの割合を占めてはいるが、決してそれだけではない。
まだゲーム内には死に怯える他のプレイヤーが囚われている。
それを無視して元の生活に戻るのは、少女の精神では難しかった。
それでは罪悪感が酷過ぎる。
少女は立ち上がって、歩き出した。
しかし目的地はマシンではなく、部屋の片隅に置かれたベッドだった。
「その前に一休みだ」
マシンの性能は本物だけど、要は気持ちの問題だ。
それにゲームの中はまだ夜中だ。
少女はベッドに体を沈めた。
朝までのんびりするとしよう。
また戻ってこれる保証はないのだから。
自分は抜けられても、デスゲームは継続中。
死んで復活が出来るかどうかは怪しいところだ。
だが少女の顔に悲壮感はなく、気楽な笑みを浮かべている。
簡単な話である。
レベルを上げていく程、自分は強くなり、安全は守られる。
ゲームに戻ったら、レベリングを再開しよう。
驚きの単純思考のまま、少女は決めた。
その日からゲーム内で魔物を片っ端から殴り倒ながらプレイヤーを助ける兎人の少女の姿が見られる様になった。
あまりに力任せな方法を取る少女を、救われたプレイヤーたちは親しみをこめて渾名を付けた。
脳筋少女、と。
当の本人は最後までその事に気付かなかった様だけど。




