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 暴走を弱めた邪竜は、クレーターの中で荒い呼吸をする。

 さっきまでの二足歩行を止めて、前足は地面に着けている。

 堅固な守りである鱗の内側を竜の炎で焼かれるのは、いかに竜と言えど大きなダメージになったらしい。

 口から白い湯気を上げながら、鋭い牙の合間からはドロドロとした濁った赤い血を垂らす。

 見るからに瀕死の状態である。

 しかし目に宿る憎悪は薄れるていない。

 そればかりか最初よりも強くさえなっている様だ。

 憎悪だけではない。

 邪竜の中には数多の負の感情が融合し渦巻いている。

 負以外の感情がないのかもしれないとアリスは思った。

 邪神に乗っ取られるとは、そう言う事なのかもしれない。

 負の思念に支配され、自分の本来の意思を失うのだ。

 悍ましさに震えた。


(まるで捨て駒じゃないか)


 上位者の望むままに使い潰される、都合の良い操り人形。

 水の精霊は、邪神に乗っ取られれば自我は消されると言っていた。

 酷い話だと改めて思う。

 しかし同時にチャンスだとも思った。

 本来なら竜は深い叡智を持つとされる。

 肉体も頭脳も優れる怪物こそ竜なのだ。

 だが邪竜の思考は鈍い。

 密着された敵に対処が出来ない程、その知恵は失われている。


(哀れだ)


 黒い加護に侵される前の竜の境遇をアリスは知らない。

 興味はあるが、知る術は自分にない。

 もしかしたら何かしらの悲劇的な結末の所為で、女神に反する邪悪へと身を落としたのかもしれない。

 あるいは、単に身勝手で、力だけを欲した可能性もある。

 アリスは邪竜の思いに想像を巡らせて、それを鼻で笑った。

 理由など今となってはどうでも良い事だった。

 邪竜は街を破壊した。

 女神教に仇なし、今もテレリや街の人々に危害を加えようとしている。

 ならば邪竜とはアリスにとって倒すべき害悪でしかなかった。


(どこを攻撃するのが効率的かな)


 アリスは顎に手を当てて考え込む。

 足を攻撃し続けるのは安全だが長い時間が掛かってしまいそうだ。

 両手足を地面につけている今なら、胴体にも手が届きそうだ。

 問題点は危険である事か。

 あの巨体で伸し掛られてしまえば、地面の染みになるのは間違いない。

 では、やはり足か。

 そう考えた時に、鎖を巻き付けられた邪竜の頭部が目に入る。


(あれ。頭って今なら安全じゃない?)


 あの鎖のお陰で邪竜はブレスを吐けない状態にある。

 口も開けないから噛み付かれる心配も、食われる心配もいらない。

 後は振り落とされる事にさえ気を付けていれば、幾らでも攻撃し放題だ。

 アリスは早速行動を始める。

 再びクレーター内部へと下りて、衰弱した邪竜へ駆け寄った。

 叩き付ける様に落とされた前足での攻撃を掻い潜り、アリスはジャンプして邪竜の首を捕まえる。

 力任せに登り切る。

 <怪力>のスキルの影響なのか、体が軽く楽に登れた。

 落ちない様にして、這うように頭部を目指して進む。

 邪竜の動きに合わせて、首は大きく振られるので、予想以上に安定しない。

 迷惑な事に、図体がでかい分、動きの幅も大きいのだろう。

 それでも何とか頭部まで辿り着くと、そこは尖った鱗で凹凸が酷い。

 下手に殴れば自分の手を傷付けてしまいそうだ。

 アリスは周りを見渡した。


(ああ。あの辺りが良さそうだ)


 目星を付けた場所へ慎重に向かう。

 ここで落ちたら台無しだ。

 目の上から背に向かって生える逞しい角を手摺り代わりする。

 アリスが陣取ったのは人間で言う額の辺りだった。

 真横に角があり、それを掴めば振り落とされる可能性が減らせる。

 それに比較的滑らかな表面で足場にするのも殴るのにも、都合が良い。

 アリスは試しに一撃を見舞う事にする。

 左膝を付き、右足を立たせる。

 左手で角を掴んだまま、右手は石のように握り締める。

 振り下ろした。

 鈍い音が響き、硬い物を全力で殴った衝撃が重く腕に伝わった。

 邪竜は蹌踉めく。

 声が出せるなら空気が震える大音量の咆哮が轟いたに違いない。

 初めて邪竜に動揺が走る。

 積み重なったダメージは無視の出来ない値になっていた。

 だから邪竜は大翼を広げる。


(まさか、空を飛ぶ気か!?)


 アリスは慌てて角にしがみつく。

 計算外の行動だった。

 てっきり地面に居てくれる物だと思っていたのに、裏切られた思いだ。

 邪竜の羽ばたきによって起こった風は土埃を舞い上がらせる。

 不味い。

 アリスは顔を曇らせる。

 空の上でも攻撃は出来るが、倒してしまうと地上まで真っ逆さまだ。

 折角の経験値が失われてしまう。

 邪竜の前足が宙に浮かび始めた。

 アリスは飛行を止めようと眉間に蹴りを入れる。

 テレリから放たれる氷の魔法も翼を撃つ。

 しかし邪竜は止まらない。

 今にも飛び立とうと空を見上げた。

 邪竜が地を離れる間際、それは起こる。

 地面から何本もの糸が現れた。

 宝石の様に透き通った赤い糸は、邪竜の両翼の皮膜を貫く。

 そのまま翼の骨に巻き付くと、糸は再び地面に潜った。

 それは何度も繰り返されて、翼には何重にも糸が巻き付いていた。

 まるで地面と翼を縫い合わせる様に。

 アリスはハッとして辺りを探すと、遠くに赤いアラクネの姿を見つけた。


(エルメダだ!)


 顔を綻ばせる。

 頼もしい味方の参戦だ。

 この糸の綺麗な赤を見れば、誰の援護なのかすぐに分かった。

 エルメダの蜘蛛の様な色をしていたから。

 アリスは角から手を離す。

 邪竜が地面に囚われたお陰で、揺れはほぼ無くなった。

 これで思うように攻撃出来る。

 頭頂部に歩いて行った。

 そして、踏みつける。

 手よりも足の方が力が強い。

 <浸透勁>はどちらでも作用するので、基礎威力が大きそうな足を使う。

 落ち着いていた邪竜がもがく。

 何とか糸から脱出を図ろうとしている。

 しかしそこへ駄目押しの魔法が放たれた。

 クレーターに氷が張られたのだ。

 力を込めようとすれば足を滑らせ、まともな抵抗は出来ないだろう。

 またしても伸びてきた糸が、両手足を拘束する。


(うわぁ。えげつない)


 アリスはエルメダの追撃に顔を引き攣らせる。

 確かに邪竜は全力で戦うべき相手だが、ここまで封殺されているのを見ると、流石に気の毒に思えてくる。

 しかし手と足を封じられても、邪竜は諦めなかった。

 尻尾を振り回して、自分の行動を妨げる全てを薙ぎ払おうとする。

 糸が伸びたが、間に合わない。

 だがそれでも邪竜の反撃は失敗に終わる。

 天から落ちて来た白い稲妻が邪竜の尻尾を焼き切ったからだ。

 凄まじい破裂音がして、その時には尾は吹き飛んでいた。

 近場にあった建物を破壊して、地面に落ちた。

 驚くべき威力を秘めた、誰かの魔法だ。

 正体不明の助力に感謝しながら、攻撃の為にアリスは右足を上げた。

 すると白い光が足に纏わり付く。

 何だこれ。


「微力ながら、お手伝いさせて頂きます」


 凛と澄んだ女性の声が聞こえた。

 そっちに目を向ければ、見覚えのある顔がいた。

 10代目聖女である。

 なるほど。これが聖属性の力か。

 アリス軽く頭を下げて、足を振り下ろした。

 何度も何度も、ひたすらに攻撃を続ける。

 満身創痍でありながら、邪竜はしぶとかった。

 数え切れない蹴りを放ったのに、まだ息は続いている。

 だが終わりは必ずやってくる物だ。

 最後の一撃を放った時、アリスは肩で息をしていた。


「あっ……」


 足場を踏み抜いたような感覚。

 不意打ちのように訪れたそれに息を飲み込んだ。

 重力に引っ張られて、弾けた光の中を落ちる。

 氷の地面に尻餅をついて、アリスは悲鳴を上げた。

 邪竜は消失してた。

 光の粒子も既に失われつつある。

 何とも唐突な幕切れに溜息が出た。

 臀部から氷の冷たさが伝わって来る。

 しかしアリスは立ち上がれなかった。

 全身に一気に押し寄せた疲れで、そんな気力がない。

 目の前に黄金のオーブが転がっている。

 それを目で追いながら、アリスはまた溜息をもらす。


(達成感がまったくない!)


 作業的な戦闘風景を思い出しながら、唇を尖らせた。

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